アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ピアノが好きすぎる調律師

2023年11月27日 | ピアノ
「ピアノ調律師の工具カバン 失われた音を求めて」(アンジェロ・ファブリーニ)
この本のタイトルを見たとき、期待したのはピアノを調律する技術そのものの話とかでしたが(だって「工具カバン」ってあるものね)、実際は、いろんなピアニストと仕事をしたときのエピソードなど、エッセイ的なものでした。まぁおもしろかったことはおもしろかったんですけど

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ファブリーニというのは、ミケランジェリ、ツィメルマン、ポリーニ、シフといった名だたるピアニストが信頼をおき、コンサートのためのピアノを世話してもらってた調律師です。

ふつう調律師というと、どこかの誰かに呼ばれてでかけていって、そこのピアノを調律するといったイメージですが、ファブリーニさんがやっていた事業は、スタインウェイなど何台もの優れたピアノをコレクションとして所有しつつ、そのピアノをメンテナンスしておき、ピアニストがコンサートをする際に貸し出すと共に、そのピアノが最高の状態で弾かれるようにスタンバイするというものです。

バイオリニストと違って、ピアニストは自分の愛器を自らの手でコンサート会場に持ち込むわけではありません(重すぎる!!)。
そんじょそこらのピアニストであれば、会場にあるピアノを弾くしかなくて、でも調律は入れてもらうというくらいでしょうが、
ツィメルマンなどの大御所ピアニストともなれば、自分にとって最高のピアノを会場に運び込んでもらって、かつ、
それを最高の状態に調律してもらうというわけですね。

となるとコンサートの成功は、当該ピアニストと共に、その演奏を全面バックアップする調律師にかかってくるので、これはほんとうに大ごと…

ピアノがよほど好きじゃないとできませんよね! ピアノの選定、購入、メンテナンス、特徴を把握しつくしたうえで各ピアニストのための選定、希望を引き出しつつの調整仕上げ。

だから好きなのは必然ではあるんですが…この本を読んだ感じ、ファブリーニさんはいささか「好きすぎる」ようです。コレクションしているピアノはスタインウェイが多いようですが、ご存知のとおりひとことでスタインウェイといってもいろんな個性のピアノがあり、そのそれぞれを愛している(らしい)ファブリーニさんは名前つけてたりするんです。

ジョット、ティツィアーノ、ラファエロ、ミロ、ミケランジェロ、カンディンスキー…

ピアノの「声」「音色」の色彩感を思い浮かべて画家の名前をつけるようです。そんななので商売道具であるピアノを手放すとなるとたいへんです。ピアノのコレクションは、お仕事の必然性からいって動的なもので、ピアノを新たに仕入れたり、売ったりしていてその売買も含めての商売であるところ、思い入れが強すぎるピアノはなかなか売りたくなくなってしまいます。「店に展示しているにもかかわらず、その楽器に魅せられたクライアントに購入を思いとどまらせようと努力してしまう」とか、特にこだわったピアノについては機をみて買い戻してしまったりとか。

そこまで好きすぎると、なんか酒屋の主人が酒に溺れたらやばいとかそんな感じで、(商売的には)行き過ぎじゃないかという気もするのですけどね。

ピアニストたちはたいへん癖ありの、こだわりが強い繊細な人たちですから、そんなファブリーニだからこそピアノの世話を任せることができたのかもしれません。

たとえばミケランジェリの非常に細かい要求に応えるときに
(1) パンチング・クロスが硬くて指に負担がかかるかもしれない、とミケランジェリが言い出す
(2) より柔らかいフェルトのパンチングに入れ替える
(3) 薄い紙パンチングを入れたり出したり際限ない微調整


これだけあれこれやって、時間も押してきたときにまた突然ミケランジェリが「鍵盤の深さがつかめそうにないので、コンサートをキャンセルします」と言うんです。主催者はもう真っ青です。でもそこでファブリーニが「変更前の状態に戻せたら弾けそうですか?」と聞くと「そうだね。だがもう再調整する時間はないだろう」なんてミケランジェリはいうわけですよ。何か気分がのらなくて中止したがっていたのかもしれません。しかしファブリーニはさきほどの「(2) より柔らかいフェルトのパンチングに入れ替える」の際、取り外したパンチングを順に針金にとおして保存していたので、その順に戻すだけで復元できたのです。それでミケランジェリは(逃げ場をなくして?)コンサートを実施し、コンサートは大成功だったのですが…

そうやって、気難しい人にもすっと場をおさめさせることができるのは、ファブリーニさんのピアノ好きぶりがあまりに浸透していて、まぁああいわれたらしゃあないわ、というような落としどころがあるからなんでしょうね。そういう人がいるからこそ、技術的な意味でも、気持ち的な意味でも、なんとか現場がうまく収まる、というものなのかもしれません。

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