記号というものは、本人の心覚えのメモならばともかく、他人にも何か伝えようとするんだったら、共通の意味を持たせて統一の記号を使わなくちゃ役に立たないんじゃないのか?
←そういえばまたろうが「数学っていちばん簡単な科目だよね」っていってた
物理学者のファインマンさんは、既存の記号… sin、cos とか f(x) とかが気に入らなくて(笑)いろいろと独自記号をデザインして便利に使っていたことがあったんだけれど
「高校時代、僕は友だちに何かを説明していて、つい何気なく自己流の記号を使い始めたところ、彼が「いったいその変てこな記号は何だい?」と言いだしたことがあった。そのとき僕は人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。」(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」より)
ダメに決まってるでしょうがー、ファインマンさんときたら…まぁ、心を入れ替えてちゃんと他人に読める論文が書けるようになってよかったネ。
そしてまた、この場合は記号自体がオリジナルだったから、まだしもその友人も「意味がわからない」ということがわかったので事なきを得たけれど、もしも記号は見慣れたもので、それを独自の別の意味に用いられていたりしたら、混乱はいかばかりであったか。
…白状すると、作曲者が楽譜にこちゃこちゃと書き込んでいるいろんな記号、前は(大人ピアノを再開してすぐとか)あんまり気にしなかった、っつか、ろくすっぽ見てなかったので全然問題にならなかったのだが(つまり、音の高さとか長さは楽譜で見るにしても、強弱や表情記号はテキトーに流して、録音を聞いた感じでナントナク弾いていたのだ)、最近は「まぁせっかく書いてくれたんだから見てあげようか」ってな気になって見始めると、これが案外ややこしい。
今日の記事タイトルは、今弾き始めたシューベルトの話なんだけど、クレッシェンドはまぁ音が大きくなるに決まってるんですが、じゃあデクレッシェンドどディミニュエンドってどうして二つあるのよ、と。昭和のピアノ教室的には、どちらも「音が小さくなる」、以上、ってとこなんだけれども、じゃあなぜわざわざ同じ曲でも両方を使う(使い分ける?)のか。
これはデクレッシェンド
これはディミニュエンド
この音楽記号のモトというか、イタリア語の語感的にはいちおう違いがあるらしいのだが、音楽記号としてどうかというのはまた別の話だろうよね。
デクレッシェンドは、いうまでもなくクレッシェンドの反対だけど、クレッシェンドは「成長する」「大きくなる」「増える」とかで、create(創造する、生成する)と関連する語。
一方、ディミニュエンドも「ディ」の部分は接頭辞だけどこれは否定じゃなく強調。「ミニュエーレ」は「マイナス」と同じ語源で、ミニチュアとか、メヌエットとか、「メノ・モッソ」のメノとかもお仲間。小さくて愛らしい? (参考「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし―イタリアの日常会話から学ぶ」)
といってもどう弾けばよいかわからないが、おゆき先生の説明と、いろいろなピアノの先生がブログに書いたのとかを総合するに、
デクレッシェンドのほうが純粋に音量小さく的な表現で、
ディミニュエンドのほうが「気持ち」「雰囲気」が入ってる感じで、「ゆるむ(速度も)」「消え入る」感じが付け加わる。
という理解でいいのかな…
しかしシューベルトさんがこんな感じ(?)で「使い分け派」なのはわりと確からしいけど、別にすべての作曲者がそうだってわけじゃなくて、単に「dim.」のほうがインクが減らなくていい(スペースが狭くていい)と思ってた人がいるかもしれないし、ということでsin cosほどわかりやすくはないようです。
ところが…
これでいちおうはわかった気になってこんどショパンさんの楽譜を見ると、松葉記号(クレッシェンドは<、デクレッシェンドは>)の使い方から混迷が深まる…
「>」とcresc.がいっしょに書いてあったりしてどないせーっちゅーねん
こないだの銀座ヤマハでの戦敗品「ショパンの音楽記号 その意味と解釈」(セイモア・バーンスタイン)には、後半でえんえんとこの謎の松葉について書かれていて、えーとだから何?? ってくらい話が行ったり来たりして、短い「>」は情緒を表しているとか、松葉でテンポの変化を示しているとかそういう説明が丁寧な譜例とともに解説されています。丁寧すぎてよくわからない。
バシッと定義が書いてないわけよ数学じゃないからー
結局、音楽がわかんないと記号読んだことにならないのか??(←記号のイミがあんまりない)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←そういえばまたろうが「数学っていちばん簡単な科目だよね」っていってた
物理学者のファインマンさんは、既存の記号… sin、cos とか f(x) とかが気に入らなくて(笑)いろいろと独自記号をデザインして便利に使っていたことがあったんだけれど
「高校時代、僕は友だちに何かを説明していて、つい何気なく自己流の記号を使い始めたところ、彼が「いったいその変てこな記号は何だい?」と言いだしたことがあった。そのとき僕は人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。」(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」より)
ダメに決まってるでしょうがー、ファインマンさんときたら…まぁ、心を入れ替えてちゃんと他人に読める論文が書けるようになってよかったネ。
そしてまた、この場合は記号自体がオリジナルだったから、まだしもその友人も「意味がわからない」ということがわかったので事なきを得たけれど、もしも記号は見慣れたもので、それを独自の別の意味に用いられていたりしたら、混乱はいかばかりであったか。
…白状すると、作曲者が楽譜にこちゃこちゃと書き込んでいるいろんな記号、前は(大人ピアノを再開してすぐとか)あんまり気にしなかった、っつか、ろくすっぽ見てなかったので全然問題にならなかったのだが(つまり、音の高さとか長さは楽譜で見るにしても、強弱や表情記号はテキトーに流して、録音を聞いた感じでナントナク弾いていたのだ)、最近は「まぁせっかく書いてくれたんだから見てあげようか」ってな気になって見始めると、これが案外ややこしい。
今日の記事タイトルは、今弾き始めたシューベルトの話なんだけど、クレッシェンドはまぁ音が大きくなるに決まってるんですが、じゃあデクレッシェンドどディミニュエンドってどうして二つあるのよ、と。昭和のピアノ教室的には、どちらも「音が小さくなる」、以上、ってとこなんだけれども、じゃあなぜわざわざ同じ曲でも両方を使う(使い分ける?)のか。
これはデクレッシェンド
これはディミニュエンド
この音楽記号のモトというか、イタリア語の語感的にはいちおう違いがあるらしいのだが、音楽記号としてどうかというのはまた別の話だろうよね。
デクレッシェンドは、いうまでもなくクレッシェンドの反対だけど、クレッシェンドは「成長する」「大きくなる」「増える」とかで、create(創造する、生成する)と関連する語。
一方、ディミニュエンドも「ディ」の部分は接頭辞だけどこれは否定じゃなく強調。「ミニュエーレ」は「マイナス」と同じ語源で、ミニチュアとか、メヌエットとか、「メノ・モッソ」のメノとかもお仲間。小さくて愛らしい? (参考「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし―イタリアの日常会話から学ぶ」)
といってもどう弾けばよいかわからないが、おゆき先生の説明と、いろいろなピアノの先生がブログに書いたのとかを総合するに、
デクレッシェンドのほうが純粋に音量小さく的な表現で、
ディミニュエンドのほうが「気持ち」「雰囲気」が入ってる感じで、「ゆるむ(速度も)」「消え入る」感じが付け加わる。
という理解でいいのかな…
しかしシューベルトさんがこんな感じ(?)で「使い分け派」なのはわりと確からしいけど、別にすべての作曲者がそうだってわけじゃなくて、単に「dim.」のほうがインクが減らなくていい(スペースが狭くていい)と思ってた人がいるかもしれないし、ということでsin cosほどわかりやすくはないようです。
ところが…
これでいちおうはわかった気になってこんどショパンさんの楽譜を見ると、松葉記号(クレッシェンドは<、デクレッシェンドは>)の使い方から混迷が深まる…
「>」とcresc.がいっしょに書いてあったりしてどないせーっちゅーねん
こないだの銀座ヤマハでの戦敗品「ショパンの音楽記号 その意味と解釈」(セイモア・バーンスタイン)には、後半でえんえんとこの謎の松葉について書かれていて、えーとだから何?? ってくらい話が行ったり来たりして、短い「>」は情緒を表しているとか、松葉でテンポの変化を示しているとかそういう説明が丁寧な譜例とともに解説されています。丁寧すぎてよくわからない。
バシッと定義が書いてないわけよ数学じゃないからー
結局、音楽がわかんないと記号読んだことにならないのか??(←記号のイミがあんまりない)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
いつもゆーとりますが、F.クープランのスラーとタイの書き分けが普及しなかったのは返す返すも残念なことです。他に彼が作ったふたつの記号、アスピラシオンとシュスパンシオンも影響力がどこまであったのか... たぶんアスピラシオンは形を変えてもうしばらく生き残ったと思うのですがシュスパンシオンは古楽やってる人でも知らない場合が多いみたいで。
音が上がる時はエネルギーが大きくなる、近づいてくる、下がる時はエネルギーが小さくなる、遠ざかる。
シューベルト即興曲に関して、先生は「子供には弾けない曲」と言っていました。
アンダンテさんが弾いてみて感じた様に弾くといいのではと思います。
スタインウェイを弾いた時、響き過ぎて難しいと思いました。
ヨーロッパの建物で弾くと 音が上から降って来るので自分の音がよく分かるそうです。
スラーとタイ、書き分けはいいアイディアだと思うのになぜ普及しなかったのかしらね。
アスピラシオンとシュスパンシオン(o_o) 初めてきいたよ
工夫の人だったのねぇ。
フレーズの作り方というか、カタチを決めるのに物理法則にのっとって的ないい方をした先生は、ヨーコ先生と森下先生かな。私、物理は得意なんだけど音楽ではいまいちわかってないみたい…(^^;;