…ってタイトルの小説があったなぁと思いました(^^;;
←暑い熱い夏がやってきた。宿題も厚い!?
宿題代行業者が盛況だ、というネタがいくつかの番組で取り上げられたそうです。ま、季節の話題ですね。
そういう話を聞くと、思うところは人それぞれ、いろいろな感慨があるでしょうけど、私もね、ほら、現役小学生がいて、中学受験ブログなんぞ書いてるときには、あんまり宿題をディスることもやりにくいんで。学校のことなんかどうでもよくて、中学受験さえうまくいけばいいと思ってるんでしょとか思われるのも面倒だし。
学校どうでもいいわけはないんです。過ごす時間が長くて、そこで快適な小学校生活を送れるかどうかは子どもにとってめちゃ大きいことですから。
それに、別にどうしても宿題の時間をギリギリ削らなきゃいけないほど、中学受験勉強をツメツメにして「上」目指してたわけじゃないしね、うちの場合…
どちらかというと、
学校の先生が「やれ」といったからといって、
その課題が自分にとって役に立つか、やるべきかということを考えもせずに
やるという姿勢
そのものがイヤ。
もうちょっと細かくいうと、そういう姿勢を子どもに教え込むのがイヤ。教え込むことを是としている(少なくともそのような態度をとっている)自分がイヤ。
その本音を隠しているのがしんどかった…
今はもう子どもが小学生じゃなくなったから幸せです(^^;;
幸せになってから書いた記事(中学受験ブログ)→「小学校の宿題は「道徳」の課題である」
そもそもの問題は、小学校の宿題が「ねじれ」ている…児童本人の勉強のためのものではない(部分が大きい)ことからくるので、その隙間に宿題代行業者が入り込むのはしかたがないといえばまぁ。
私が個人的に好む「道徳」の観点からいえば、やりたくない(それだけの時間を費やす価値がないと思う)宿題があるならそのままブッチしろよと思うのだけど、それは、
「時間」というものを、人の生命、人生の一部であるところのプレシャスなものであると考える一方、
波風立てるということに抵抗がないからであって、
(別に私は何も迷惑行動してないんで、先生が怒って波風立つってんなら波風は先生の責任でしょ)
集団の和を尊ぶという道徳に私より重きを置いている人にとっては、
親が代行するなり、お金で解決するなりするほうが正しいということになるのかもしれませんね。
価値観(道徳)人それぞれ。
ところで、「宿題ひきうけ株式会社」の小説も、やりたくない宿題の代行というところを入り口にして、いろいろ考えるうちに深いところに入り込んでいったって話ですね。ついややこしいところまで考察してしまうネタであるのは小学校の宿題の持つ「ねじれ」によるわけだから、ま、この歪みそのものが日本の文化である、と(独自ではないのかもしれないが)。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←暑い熱い夏がやってきた。宿題も厚い!?
宿題代行業者が盛況だ、というネタがいくつかの番組で取り上げられたそうです。ま、季節の話題ですね。
そういう話を聞くと、思うところは人それぞれ、いろいろな感慨があるでしょうけど、私もね、ほら、現役小学生がいて、中学受験ブログなんぞ書いてるときには、あんまり宿題をディスることもやりにくいんで。学校のことなんかどうでもよくて、中学受験さえうまくいけばいいと思ってるんでしょとか思われるのも面倒だし。
学校どうでもいいわけはないんです。過ごす時間が長くて、そこで快適な小学校生活を送れるかどうかは子どもにとってめちゃ大きいことですから。
それに、別にどうしても宿題の時間をギリギリ削らなきゃいけないほど、中学受験勉強をツメツメにして「上」目指してたわけじゃないしね、うちの場合…
どちらかというと、
学校の先生が「やれ」といったからといって、
その課題が自分にとって役に立つか、やるべきかということを考えもせずに
やるという姿勢
そのものがイヤ。
もうちょっと細かくいうと、そういう姿勢を子どもに教え込むのがイヤ。教え込むことを是としている(少なくともそのような態度をとっている)自分がイヤ。
その本音を隠しているのがしんどかった…
今はもう子どもが小学生じゃなくなったから幸せです(^^;;
幸せになってから書いた記事(中学受験ブログ)→「小学校の宿題は「道徳」の課題である」
そもそもの問題は、小学校の宿題が「ねじれ」ている…児童本人の勉強のためのものではない(部分が大きい)ことからくるので、その隙間に宿題代行業者が入り込むのはしかたがないといえばまぁ。
私が個人的に好む「道徳」の観点からいえば、やりたくない(それだけの時間を費やす価値がないと思う)宿題があるならそのままブッチしろよと思うのだけど、それは、
「時間」というものを、人の生命、人生の一部であるところのプレシャスなものであると考える一方、
波風立てるということに抵抗がないからであって、
(別に私は何も迷惑行動してないんで、先生が怒って波風立つってんなら波風は先生の責任でしょ)
集団の和を尊ぶという道徳に私より重きを置いている人にとっては、
親が代行するなり、お金で解決するなりするほうが正しいということになるのかもしれませんね。
価値観(道徳)人それぞれ。
ところで、「宿題ひきうけ株式会社」の小説も、やりたくない宿題の代行というところを入り口にして、いろいろ考えるうちに深いところに入り込んでいったって話ですね。ついややこしいところまで考察してしまうネタであるのは小学校の宿題の持つ「ねじれ」によるわけだから、ま、この歪みそのものが日本の文化である、と(独自ではないのかもしれないが)。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
懐かしい!あれはデキのいい同級生が代行、って話
だったよねぇ。
「やる事やった上で直前の休みを要求する」予定だ
ったんで、すげえ頑張ったわ、あの頃。人生で一番
頑張ったのは長男小6の夏休みだったかも知れな
い。結果的にそんな次元ではなく学校とモメたので
全く意味がなかった・・・わけではないと信じたい
が、結局残るのは「頑張ったわ、アタシ!」だけなのかも知れない・・・・。
小説を読むと、宿題ひきうけ株式会社を運営しようとしたことがとてつもない「勉強」になってることがわかるんだけど(笑)
るっちゃんさんのご長男が小六だったころってまだマイミクじゃなかったのでどういう様子か存じませんが、でもたいへんだったのねぇ。きっとるっさゃんさん、相当頑張ったことでしょう…でも公立小との戦いとか、どんなに頑張っても空しいんだよねぇたいてい。
> 「欲しいものがあるなら泣き言言わずに手に入れろ」
ま、話の中心ではないんだけど、
ポイントのひとつではあるかも。
勉強さえやってりゃ幸せになれるというわけじゃないのに??
という中での、「宿題」ですものね。