今でも読まれている古い記事に後日談を書くシリーズ~
「公文、D教材の壁を越えて」というのは2009年の記事ですね、10年前です。
←子供の受験すべてから解放された幸せ
それでも「人気記事」に表示されたりするってことはつまり、公文の「壁」に悩んでいる親御さんがいらっしゃるんでしょうね、たぶん。
公文は私たち世代が子供のころからありました。よしぞうは公文算数やってたそうです。中受勉強が山場になる前に。
そういうのがスタンダードな利用方法かと思います。計算をすらすらにしておいて受験勉強に向かう、という…
実際、よしぞうは計算に強かったんで効果はあったというか(あるいは素質か)
私は公文やってなかったんで算数と数学がイマイチだったのか(あるいは素質か)
実は大人になってから、というかまたろうとこじろうのダブル受験が終わったときに、自分で公文数学やってみたことがあります。中学生範囲から。
もちろん中学生範囲の公文数学ならわからないところはありませんが、なにしろそんなの(手で文字式計算するとか)何十年ぶりか、ほんっっとに錆びついていますので最初はのろいし間違えるしですごかったんですけど、しばらくやっていると急速に整ってくるんです。
どういうふうに注意を向けると速く正確に計算できるか掴めてきて、鉛筆すらすら動かして処理できるのが快感(笑)
公文の醍醐味は、そこいらへんにあると思います。すらすらできる快感。習熟度を高め、その先の見通しが良くなる。
2009年に書いた記事にある「壁」にぶち当たったときの公文は、最悪です。すらすらいかないプリントがそのまま(まったく同じもの)繰り返し宿題に出てきて、面倒なうえにつまらなくて、まったく役にも立ちませんし(何か新しいことが学べるわけでも習熟できるわけでもなく)勉強が嫌いになり親子関係が険悪になる以外の効果はありません。
それでも「壁」になっているプリントを出し続けた公文の先生が何を考えてたのかわかりませんが(大きな教室だったので個別対応が面倒だったのかも)、公文は教室指導者による違いがけっこう大きいので、ほかのやり方をしている先生も多いでしょう。「すいすいすらすら」を大事にすることを考えれば、
・大きく戻す
・いっそ先に進めてしまう
のいずれの手もあり、場合によっては効果的だと思います。あるいは、「壁」があまり深刻でなければ「枚数を減らす」でやる気が回復できるかもしれません。
はなひめの場合は、しばらくしてD教材の壁を越えてその先は多少スムーズに進みましたが、じゃあ「壁」を避けずにあくまでそのまま取り組んだことで何か得たかというと、時間と(親の)気力を削られたくらいで何もいいことはなかったと思います。何でも逃げればいいってことではないけど、取り組む(真剣になる、労力をかける)価値のある課題ならもっと実りあるものが世の中いくらでもあります。公文の「壁(プリント)」は単純すぎてうま味がない。
私は、あまりそのときはなひめに手をかけたくなかったためしばらく公文にこだわってしまったけれど、多少とも面倒を見る時間があるならば、調整のきかない公文より、中学受験用教材のほうがよほど使いやすいです。
中学受験するにしたって、結局のところ、計算力必要なんですがね。でも、公文くらいできなくちゃ困るでしょってことでもなく、もっと複雑でおもしろいことがいっぱいあるので、まぁそれはそれで難しさ別物というか、公文で落ちこぼれる子が中学受験(塾)で落ちこぼれるかっていうと違います。
中学受験塾に通ってもやっぱり計算練習しなくちゃいけないんですが(^^;; 公文と違って親が直接、本人にちょうどの問題を選ぶこともできますし、速さや正確性についても丁寧に見ていけますから効果も上がります。つまり、丁寧に見る必要のあるような子は、ということです。こじろうの場合、そこいらへんはケアする必要なかったので。
小学一年生ではコラショの算数に落ちこぼれ、小学三年生では公文の算数に落ちこぼれ、それでも中学受験ではN偏差値60くらいの女子校の算数ではそこそこ稼げるようになり、さらに高校では数学と物理が得意になって理系に進むんだから人生わかりません(公文では占えません)。
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「公文、D教材の壁を越えて」というのは2009年の記事ですね、10年前です。
←子供の受験すべてから解放された幸せ
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公文は私たち世代が子供のころからありました。よしぞうは公文算数やってたそうです。中受勉強が山場になる前に。
そういうのがスタンダードな利用方法かと思います。計算をすらすらにしておいて受験勉強に向かう、という…
実際、よしぞうは計算に強かったんで効果はあったというか(あるいは素質か)
私は公文やってなかったんで算数と数学がイマイチだったのか(あるいは素質か)
実は大人になってから、というかまたろうとこじろうのダブル受験が終わったときに、自分で公文数学やってみたことがあります。中学生範囲から。
もちろん中学生範囲の公文数学ならわからないところはありませんが、なにしろそんなの(手で文字式計算するとか)何十年ぶりか、ほんっっとに錆びついていますので最初はのろいし間違えるしですごかったんですけど、しばらくやっていると急速に整ってくるんです。
どういうふうに注意を向けると速く正確に計算できるか掴めてきて、鉛筆すらすら動かして処理できるのが快感(笑)
公文の醍醐味は、そこいらへんにあると思います。すらすらできる快感。習熟度を高め、その先の見通しが良くなる。
2009年に書いた記事にある「壁」にぶち当たったときの公文は、最悪です。すらすらいかないプリントがそのまま(まったく同じもの)繰り返し宿題に出てきて、面倒なうえにつまらなくて、まったく役にも立ちませんし(何か新しいことが学べるわけでも習熟できるわけでもなく)勉強が嫌いになり親子関係が険悪になる以外の効果はありません。
それでも「壁」になっているプリントを出し続けた公文の先生が何を考えてたのかわかりませんが(大きな教室だったので個別対応が面倒だったのかも)、公文は教室指導者による違いがけっこう大きいので、ほかのやり方をしている先生も多いでしょう。「すいすいすらすら」を大事にすることを考えれば、
・大きく戻す
・いっそ先に進めてしまう
のいずれの手もあり、場合によっては効果的だと思います。あるいは、「壁」があまり深刻でなければ「枚数を減らす」でやる気が回復できるかもしれません。
はなひめの場合は、しばらくしてD教材の壁を越えてその先は多少スムーズに進みましたが、じゃあ「壁」を避けずにあくまでそのまま取り組んだことで何か得たかというと、時間と(親の)気力を削られたくらいで何もいいことはなかったと思います。何でも逃げればいいってことではないけど、取り組む(真剣になる、労力をかける)価値のある課題ならもっと実りあるものが世の中いくらでもあります。公文の「壁(プリント)」は単純すぎてうま味がない。
私は、あまりそのときはなひめに手をかけたくなかったためしばらく公文にこだわってしまったけれど、多少とも面倒を見る時間があるならば、調整のきかない公文より、中学受験用教材のほうがよほど使いやすいです。
中学受験するにしたって、結局のところ、計算力必要なんですがね。でも、公文くらいできなくちゃ困るでしょってことでもなく、もっと複雑でおもしろいことがいっぱいあるので、まぁそれはそれで難しさ別物というか、公文で落ちこぼれる子が中学受験(塾)で落ちこぼれるかっていうと違います。
中学受験塾に通ってもやっぱり計算練習しなくちゃいけないんですが(^^;; 公文と違って親が直接、本人にちょうどの問題を選ぶこともできますし、速さや正確性についても丁寧に見ていけますから効果も上がります。つまり、丁寧に見る必要のあるような子は、ということです。こじろうの場合、そこいらへんはケアする必要なかったので。
小学一年生ではコラショの算数に落ちこぼれ、小学三年生では公文の算数に落ちこぼれ、それでも中学受験ではN偏差値60くらいの女子校の算数ではそこそこ稼げるようになり、さらに高校では数学と物理が得意になって理系に進むんだから人生わかりません(公文では占えません)。
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