その日、優吾は授業が終わるとすぐに寮の自室に戻って袴をはいた和装に着替えると、学帽も被らぬ下駄履きで校門を出た。見上げると空は未だ明るく澄み、山の端に一掴みほどの雲が浮いている以外は地上に降り注ぐ陽光を遮るものはない。そのまま、町には向かわず校門前の通りを左に折れ、すぐ側にある松本商業学校を目指すと、橋本は約束通り、校門からやや離れた場所で優吾を待っていた。
「待たせたか?」
「……いや」
口数少なく問い掛ける優吾に、やはり口数少なく橋本が答える。そのまま二人は連れ立って歩き出すと、すぐ側を流れる川縁の道を東に向かって遡るように進んでいった。
やがて人家はまばらになり、傍らに苗が植えられたばかりの田んぼが延々と続く道から人の姿が絶えた辺りで、無言のまま河原に降りる優吾に、やはり無言のまま続く橋本。そのまま川縁に座り込んだ二人は、絶え間なく音を立てて流れ去って行く水の流れに目を向けたまま微動だにせずに長い時間を過ごすばかりだったが、こうしていても埒が明かないと判断した優吾は、二人の間に横たわる屍のような沈黙を思い切って自分の方から踏み越えた。
「この前の騒動は、お前らしくなかった」
「ああ、俺もそう思う」
優吾の言葉に対して素直に頷いてから、橋本は、やや途切れがちにではあったが話し出す。
「あの女学生は、俺の妹の先輩だ」
だが、俺が職人見習いの友人に頼んで妹の為に作って貰った特別誂えの櫛を差し出すほど、仲が良い相手ではないと思う。そんな風に続いた橋本の言葉に対して流石に眉をひそめる優吾。
「あまり、こういうことは言いたくないのだが、証拠はあるのか?」
「妹が櫛を無くしたと泣いて俺に謝った次の日、あの女が同じ意匠の櫛を髪に飾っていた。だから俺も頭に血が上った」
「それは難しいな」
呟いてから黙り込む優吾。やがて今度の沈黙を破ったのは橋本だった。
「俺のことは良い、それより知りたいのはお前についてだ優吾」
一体、どのような理由で柔道の世界から身を引いた。そんな橋本の問い掛けに優吾は無言のまま俯く。
「この前俺を投げ飛ばしたお前の技に衰えは感じなかった。それなのに何故だ」
更に続く橋本の言葉に、優吾は無言で立ち上がると周囲を見回してから呟く。
「ここでは足場が悪い、余所に移るぞ」
「待たせたか?」
「……いや」
口数少なく問い掛ける優吾に、やはり口数少なく橋本が答える。そのまま二人は連れ立って歩き出すと、すぐ側を流れる川縁の道を東に向かって遡るように進んでいった。
やがて人家はまばらになり、傍らに苗が植えられたばかりの田んぼが延々と続く道から人の姿が絶えた辺りで、無言のまま河原に降りる優吾に、やはり無言のまま続く橋本。そのまま川縁に座り込んだ二人は、絶え間なく音を立てて流れ去って行く水の流れに目を向けたまま微動だにせずに長い時間を過ごすばかりだったが、こうしていても埒が明かないと判断した優吾は、二人の間に横たわる屍のような沈黙を思い切って自分の方から踏み越えた。
「この前の騒動は、お前らしくなかった」
「ああ、俺もそう思う」
優吾の言葉に対して素直に頷いてから、橋本は、やや途切れがちにではあったが話し出す。
「あの女学生は、俺の妹の先輩だ」
だが、俺が職人見習いの友人に頼んで妹の為に作って貰った特別誂えの櫛を差し出すほど、仲が良い相手ではないと思う。そんな風に続いた橋本の言葉に対して流石に眉をひそめる優吾。
「あまり、こういうことは言いたくないのだが、証拠はあるのか?」
「妹が櫛を無くしたと泣いて俺に謝った次の日、あの女が同じ意匠の櫛を髪に飾っていた。だから俺も頭に血が上った」
「それは難しいな」
呟いてから黙り込む優吾。やがて今度の沈黙を破ったのは橋本だった。
「俺のことは良い、それより知りたいのはお前についてだ優吾」
一体、どのような理由で柔道の世界から身を引いた。そんな橋本の問い掛けに優吾は無言のまま俯く。
「この前俺を投げ飛ばしたお前の技に衰えは感じなかった。それなのに何故だ」
更に続く橋本の言葉に、優吾は無言で立ち上がると周囲を見回してから呟く。
「ここでは足場が悪い、余所に移るぞ」