カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

場面その17

2016-10-02 19:12:43 | 松高の、三羽烏が往く道は
 決して広くない部室の上座に位置する壁際。
 そこに置かれた椅子に腰掛けた応援団長が色々な意味で全身を硬直させているのを、優吾は敢えて見ない振りをしながら此処にも化け物が出たかと嘆息する。ちなみに優吾の認識する『化け物』は団長の背中に回って両肩に手を置き、何やら耳元に囁きかけている真っ最中だった。団長が恐る恐ると言った態で僅かに視線を横に向けると、普段の優吾が信乃と呼んでいる化け物は、まさに妖艶としか称しようのない闇と毒を含んだ笑顔で応える。
「団長、いえ笹井先輩とお呼びしますか?俺は別に貴方に対して、それ程無茶なことを頼んでいる訳ではないと思うのですが?」
「あ……ああ……しかしだな」
弱々しい抗議はしかし、団長の肩に置いた指に軽く力を込めた信乃の動きに容易く封じられた。雷にでも撃たれたかの様に一瞬だけ痙攣してから力なく垂れる両腕。
「詳しくはお話し出来ませんが、これは松高の学生を一人、救う行為でもあるのですよ」
「そ、そうなのか……」
 喉の奥が貼り付いたような口調で呟く団長に対して、信乃は更に畳み掛ける。
「そうなのですよ、ですからこうして笹井先輩にご協力を仰いでいる訳なのです」
 ご理解頂けますか?などと、殊更に団長の顔に向けて己の頬を寄せながら囁く信乃に、とうとう団長も陥落せざるを得なかったらしい。
「判った言う通りにする!だからもう離れてくれ!!」
「そうですか、では、くれぐれも手順に粗相や遺漏の無いようお願いしますね」
 呟くなり軽やかな動作で団長から離れる信乃。そして椅子に崩れ落ちる団長の身体。
「頼むから……今すぐ此処から出て行ってくれ!」
 団長の悲痛すぎる叫びに優吾は僅かに眉を顰め、信乃は悠然と微笑んだまま傍らの机に置いてあった自分の学帽を被り、優雅な動作でマントを羽織りながら部室を後にする。そのまま二人が応援団が練習している付近まで近付くと、信乃の姿に目を留めた副団長が何とも言い難い複雑な視線を向けて来たが、当の信乃は相変わらず微笑みを崩すこと無く学帽の庇に手をやりながら一礼するばかりだった。
「団長とは、どういう知り合いなんだ?」
 そんな優吾の問い掛けに、昔少しだけ一緒に歩いたことがあるだけですよと応える信乃。つまり、詳細を語る気はないのだなと判断して黙り込んだまま空を見上げる優吾。
 彼らの頭上に広がる空は人間達の小さな企みなど知らぬげに、普段通りの霞んだ青の端々に白い雲を輝かせていた。
 
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場面その16

2016-10-02 16:09:29 | 松高の、三羽烏が往く道は
 平成の昨今では殆ど聞かれなくなったが、『バンカラ』という言葉がある。やはり最近は聞かない言葉となった、西洋風の身なりや文物を求める『ハイカラ』(high collar 、シャツの高襟に由来する)の対義語で、敢えて弊衣破帽、つまり着古した学生服に破れたマント、学帽を纏い、荒々しい振る舞いを行う事によって表面を取り繕う事無く真理を追究する態度を示した、ある意味では武士道的精神を含んだ禁欲的な行動様式と言えるだろう。ちなみに漢字を当てるなら『蛮殻』若しくは『蛮カラ』であり、昭和時代の少年漫画に登場する『番長』との混同から『番カラ』と記される場合もあるが、これは誤りだそうだ。
 そしてバンカラの集団と言えば、何と言っても高校の全国的普及に伴う校外対抗試合の応援役を担う、つまりは応援団の存在が大きい。

「徳性ヲ滋養シ学芸ヲ講究シ身骸ヲ鍛錬シ以テ本校の校風ヲ發揚シ教育ノ資助トナサンコト」

 これは、第四高等学校の校友会である北辰会の会則だが、応援団とは『徳性を育み、学芸に励み、身体を鍛錬する事によって自校の校風を輝き顕し、教育の助けとする』事を目的に組織され、組織的かつ規律的な応援活動を通じて集団的連帯感情を育て、最終的にはそれを「善良ナル校風ノ発揚」にまで高めるのが目的であったとされている。

*   *   *

 さて、当然ではあるが松本高等学校にも応援団は存在していて、放課後ともなれば熊髭(クマヒゲ)と綽名される容貌魁偉な団長の指揮の元、校庭の隅で打ち鳴らされる太鼓の轟音に併せて応援歌やエールをがなり立てる団員達の蛮声が喧(かまびす)しいことこの上ない。
 だが、その日太鼓の傍らで団員達の指揮を執っていたのは、普段は影の様に団長に付き従うばかりの無口な副団長だった。何も知らない団員は珍しいこともあるものだと思いつつも、日頃から炎のような蛮声を張り上げる団長とは違い、まるで氷の巌を思わせる太く重い副団長の声に僅かな怯えを覚えつつも普段通りの練習に励む。勿論、彼らは誰一人として現在の団長が部室内でどれだけの修羅場の只中に在るのかを知らなかった。
 
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