カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

場面その18

2016-10-05 20:50:55 | 松高の、三羽烏が往く道は
 松本と市街を接する旧本郷村には”犬飼の御湯”とも呼ばれる有馬温泉があり、古くから歴史ある湯の町として知られている。藩政時代には松本城主や家臣の湯殿として、明治期には蚕種取引客の逗留宿として、そして大正以降は信州観光の行楽基地として隆盛しているこの地は、当然ながら松本に住む豪商が建てた別宅なども珍しいものではなかった。

 ココからは俺一人でやる、くれぐれも手はず通り頼むぞ。

 目指す郊外の森を背にした邸宅を見据えながら、秀一に貸して貰った懐中時計の一つを優吾に渡した信乃はマントの乱れを直し、学帽の庇の角度を正してから歩き出す。
 書生風の男が憮然とした表情で案内してくれた先では、相手が信乃であるとあらかじめ聞かされていたらしい優香が笑顔で待っていた。
「秀一さんからの手紙を預かっていらしたのですって?」
「ええ……でもその前に……」
 宜しいですか?と呟くなり遠慮なく優香との距離を詰める信乃の姿に、傍らに控えていた書生が身を反射的に身を乗り出しかけるが、優香はそれを手で制すると無言のまま部屋から出て行くように促す。憮然とした表情で躊躇いがちに男が姿を消すと、信乃は優香の髪に凝った意匠の櫛を挿しながら甘い声で囁く。
「貴女には、初めてお目に掛かった時に身に付けていらした櫛より此方の方が似合うと思いましてね……俺の母の形見です」
「そのような大事な物を私に下さるのですか?」
 上気した表情で問い掛けてくる優香に、信乃はあくまで笑顔のまま答える。
「ええ、あの時からずっと俺は、貴女が俺の母に良く似ていると思っていたのですよ」
「まあ!」
 男が女に対してこのような言葉を投げかける一般的な意味を、当然ながら優香は知っていた。確かに秀一との婚儀は最重要事項ではあるが、人形のように整った顔立ちの松高生に熱烈な感情を向けられる立場に今はひたすら酔いしれる。それにこの男を自分の元に寄越したのは秀一自身だ、何があったとしてもそれは秀一の責任だと決めつける優香。
「本当にそっくりですよ、己の幸せの為なら笑顔のまま周囲を、自分の息子の人生をどうしようもなく歪めることすら厭わない身勝手さが」
 あくまで甘い口調のままで囁きかけてきた言葉の意味を捉え損ねた優香が信乃の顔を見詰めて小首を傾げると、信乃はやはり笑顔のままで言い放った。
「それでは用事も済みましたし、あとは圭佑を連れて帰ります」
 ああ、案内は結構です。大体の見当は付きますからと微笑みかける信乃の真意にようやく気付いた優香は大声で書生を呼ぶ。すわお嬢さんの危機かと血相を変えてやって来た数人の書生に囲まれても、しかし信乃は動じることなく自分の右耳に軽く手をやった。
 直後、その場にいた全員の耳を打つ太鼓の音。

「松本高等学校ぉぉぉ、寮歌ぁ、『雲にうそぶく』斉唱-ぉぉぉーっ!」

血は燃えさかる朝ぼらけ
女鳥羽の岸に佇みて
君よ聞かずや雪溶けを
春は輝くアルペンの
真白き肌に我が胸に
いざ朗らかに高らかに
歌いて行かむ野にみつる
大地の命踏みしめて

 いつの間にやら屋敷の前に十数人ほど並んだ松校応援団は、団長の指揮の下で日頃の練習の成果を充分すぎるほど発揮してみせる。
「あの寮歌は三番までありましてね、それが終わるまでに俺が圭佑を連れて戻らなかった場合、我が校の応援団がこの屋敷にストームを掛ける事になってるのですよ」

 ちなみにストームとは、言うなれば青春の滾りを蛮声や暴力行為で発散するガス抜きのようなもので、本来は様々なルールの元に行われる半合法行為た。

 我々の所業は『若気の至り』で済ませて貰えるかも知れませんが、官憲が介入した際に言い訳が立たないのはお嬢さんの方ではありませんかね。そんな風に微笑んでから信乃は屋敷の奥底に設えられていた座敷牢まで足を運び、両手足を縛られ猿轡を噛まされた姿で長持ちに押し込まれていた圭佑を見つけるなり言った。
「ここに居たか圭佑、帰るぞ」
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惨劇

2016-10-05 00:39:46 | 字書きさんにお題出してみったー
たかあきさん、『玄関』を舞台に、『銀色』と『笑顔』と『鉱石』の内二つをテーマにして話を書いてみませんか。

 あの日、家に帰った俺は応接間に崩れ落ちた両親と姉夫婦、そして事態が理解出来ないまま呆然としてるアイツの腕を掴んだ従兄の姿に出くわした。従兄は俺に邪魔者は居なくなったと笑顔で告げ、そのあと少しだけ寂しげな表情になって「姉については不本意だった」と謝ってくる。更に言葉を続けようとした従兄を蹴り倒すようにして無理矢理アイツを奪い返した俺は、殆ど反射的にアイツの子守兼護衛役として姉夫婦が作った蒸気犬、御嶽丸を従兄に差し向けていた。
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