川越観光は喜多院と市立博物館で予定を大きく上回る時間を費やしてしまい、だいぶんピンチになってきた。このままでは蔵の街並を充分楽しめない。小田急でもらってきた観光順路は市立博物館の後、コースは氷川神社へ北上してるんだが、ここは省略してもいいかな~?
と。迷いましたが、省略せずに足が勝手に北へ向かってしまった…。やっぱ、博物館で見た昔の氷川神社の写真が素敵過ぎた~。あの彫刻の素敵な建物が見たい~~。
ああ。どこまで行っても貧乏性な私…。またもや詰め込み観光コースへ舵を切ってしまいました…。城ヶ島&横須賀散歩の時こりたハズなのに…。アホか~!!自分で自分に突っ込みいれちゃうよっ。
でも歩いてみたら市立博物館から氷川神社まで結構近くて移動距離は約7分。嬉しい事に近かった!
いや~、小江戸観光巡回バスは20分置きに来るんだけどね。待つ時間が惜しいっ!も。正常な判断力を失ってる私です。
さて、到着しました氷川神社。いそいそとトップ画像の拝殿を撮影してたのですが、なんかおかしい。正装姿はなぜ??
理由はすぐに判明しました。拝殿の扉を開けて現れたのは2人の巫女さんでした。
結婚式に行き当たったのですよ。
いや~~!!神社って結婚式の和装姿の人々とよく合いますよね。今までも明治神宮お札を返しに(2010年5月9日)の記事とか鶴岡八幡宮鶴岡八幡宮の大銀杏は今(2010年12月13日)の記事とかで偶然結婚式と遭遇したことがあるけど、氷川神社でも結婚式!
…撮影モードチェンジ!
絵になるなあ…。
げっ!あの鳥居大き過ぎでしょう!?や。鳥居の大きさに制限はないんだろうけど…。氷川神社の拝殿とのバランスが取れてないじゃん。まあ、鳥居の背後にある結婚式場の建物と比べたら釣り合ってるんだろうけど…。大鳥居のバカでかいのは何故じゃろう??
帰宅後調べたら、大鳥居の高さは15メートル。木製としては日本一、扁額は勝海舟の書なんですって!びっくりだ!木製だったのか…。
あれ?なんか変った笹を発見!なになに…。
「太田道灌手植えの矢竹と献詠和歌
老いらくの 身をつみてこそ 武蔵野の 草にいつまで 残る白雪
長禄元年(1457)川越城の築城にあたった太田道真・道灌父子は城の戊亥(神門)の方角に既に鎮座していた当社を城の守護神として篤く尊栄した。
特に道灌は当社に詣でて自らこの矢竹を植え冒頭の和歌を献納した」
おおっ!!
寄道大正解っ!またまた太田道灌所縁の地に行き当たったようです。
しか~しっ!!
道灌が参拝したのが1457年って、今年が2011年だから554年前だよね。竹は地下茎で増えてくから、1つの竹をどんどんクローンしてくってことだと思うけど、いくらなんでも550年以上昔に植えた竹がこのサイズであるハズがないよね。お手植えの竹って本当かな~?言い伝えの真贋は怪しいんじゃないかな~?
しかし、博物館で見た素敵な建物の写真は拝殿じゃないんだよ。どこにあるんだろう~?
こちら拝殿の左にあった建物。
手前に絵馬をかける場所があって建物の全景がよくわからない。でもこの建物に私の萌えが反応しないから違うと思う。
調べたらこの建物は八坂神社でした。wikiによりますと、『寛永14年(1637)三代将軍徳川家光が江戸城二の丸に東照宮として建立したものが当地に移築され社殿となっている。』ってあります。川越を歩くとあちこちで寛永14年(1637)を見かけるなあ…。もしかして川越の歴史のキーワードなのか?
変なのがあった。
柿本人麻呂って誰だっけ??飛鳥時代の人だっけ??でも何故にこんな所に彼を祀る社があるんだろうか?山上憶良の歌碑がある。(上の画像に右端の石がソレ)
おおっ!変ったおみくじ発見!
どうやら川越の氷川神社は縁結びの神様のようですね。でも「あい鯛みくじ」ってダジャレじゃん!神様的にはアリなのか??
絵馬の種類は目的に合わせててんこ盛りですが、もうちょっと絵柄に工夫が欲しいと思うのは私だけ?
境内をウロウロしててなんか見つけてしまった…。
画像をよく観察すると、左奥にうっすら水に溶けて水没した人形の残骸が写ってるのを記事を書いてて発見した!ひええ。
氷川神社で結婚式と行き当たりついつい撮影しててまたもや観光予定時間オーバーです。本格的にヤバい。市立博物館で見た素敵な建物は現存してないか、非公開の場所にあると見た!これ以上探す時間が惜しい。きっぱり諦めて次、行ってみよう!
氷川神社でも「地震が起きたら鳥居や建物に近づかないで」という貼紙がありました。昔の建物は耐震構造じゃないよね。気をつけよう。
川越氷川神社をいつものwikiで検索。
創建:533年
ご祭神:スサノオ、奇稲田姫命、大巳貴命、脚摩乳命、手摩乳命。2組の夫婦神が鎮座していることから縁結びの神様として信仰されている。
と。迷いましたが、省略せずに足が勝手に北へ向かってしまった…。やっぱ、博物館で見た昔の氷川神社の写真が素敵過ぎた~。あの彫刻の素敵な建物が見たい~~。
ああ。どこまで行っても貧乏性な私…。またもや詰め込み観光コースへ舵を切ってしまいました…。城ヶ島&横須賀散歩の時こりたハズなのに…。アホか~!!自分で自分に突っ込みいれちゃうよっ。
でも歩いてみたら市立博物館から氷川神社まで結構近くて移動距離は約7分。嬉しい事に近かった!
いや~、小江戸観光巡回バスは20分置きに来るんだけどね。待つ時間が惜しいっ!も。正常な判断力を失ってる私です。
さて、到着しました氷川神社。いそいそとトップ画像の拝殿を撮影してたのですが、なんかおかしい。正装姿はなぜ??
理由はすぐに判明しました。拝殿の扉を開けて現れたのは2人の巫女さんでした。
結婚式に行き当たったのですよ。
いや~~!!神社って結婚式の和装姿の人々とよく合いますよね。今までも明治神宮お札を返しに(2010年5月9日)の記事とか鶴岡八幡宮鶴岡八幡宮の大銀杏は今(2010年12月13日)の記事とかで偶然結婚式と遭遇したことがあるけど、氷川神社でも結婚式!
…撮影モードチェンジ!
絵になるなあ…。
げっ!あの鳥居大き過ぎでしょう!?や。鳥居の大きさに制限はないんだろうけど…。氷川神社の拝殿とのバランスが取れてないじゃん。まあ、鳥居の背後にある結婚式場の建物と比べたら釣り合ってるんだろうけど…。大鳥居のバカでかいのは何故じゃろう??
帰宅後調べたら、大鳥居の高さは15メートル。木製としては日本一、扁額は勝海舟の書なんですって!びっくりだ!木製だったのか…。
あれ?なんか変った笹を発見!なになに…。
「太田道灌手植えの矢竹と献詠和歌
老いらくの 身をつみてこそ 武蔵野の 草にいつまで 残る白雪
長禄元年(1457)川越城の築城にあたった太田道真・道灌父子は城の戊亥(神門)の方角に既に鎮座していた当社を城の守護神として篤く尊栄した。
特に道灌は当社に詣でて自らこの矢竹を植え冒頭の和歌を献納した」
おおっ!!
寄道大正解っ!またまた太田道灌所縁の地に行き当たったようです。
しか~しっ!!
道灌が参拝したのが1457年って、今年が2011年だから554年前だよね。竹は地下茎で増えてくから、1つの竹をどんどんクローンしてくってことだと思うけど、いくらなんでも550年以上昔に植えた竹がこのサイズであるハズがないよね。お手植えの竹って本当かな~?言い伝えの真贋は怪しいんじゃないかな~?
しかし、博物館で見た素敵な建物の写真は拝殿じゃないんだよ。どこにあるんだろう~?
こちら拝殿の左にあった建物。
手前に絵馬をかける場所があって建物の全景がよくわからない。でもこの建物に私の萌えが反応しないから違うと思う。
調べたらこの建物は八坂神社でした。wikiによりますと、『寛永14年(1637)三代将軍徳川家光が江戸城二の丸に東照宮として建立したものが当地に移築され社殿となっている。』ってあります。川越を歩くとあちこちで寛永14年(1637)を見かけるなあ…。もしかして川越の歴史のキーワードなのか?
変なのがあった。
柿本人麻呂って誰だっけ??飛鳥時代の人だっけ??でも何故にこんな所に彼を祀る社があるんだろうか?山上憶良の歌碑がある。(上の画像に右端の石がソレ)
おおっ!変ったおみくじ発見!
どうやら川越の氷川神社は縁結びの神様のようですね。でも「あい鯛みくじ」ってダジャレじゃん!神様的にはアリなのか??
絵馬の種類は目的に合わせててんこ盛りですが、もうちょっと絵柄に工夫が欲しいと思うのは私だけ?
境内をウロウロしててなんか見つけてしまった…。
画像をよく観察すると、左奥にうっすら水に溶けて水没した人形の残骸が写ってるのを記事を書いてて発見した!ひええ。
氷川神社で結婚式と行き当たりついつい撮影しててまたもや観光予定時間オーバーです。本格的にヤバい。市立博物館で見た素敵な建物は現存してないか、非公開の場所にあると見た!これ以上探す時間が惜しい。きっぱり諦めて次、行ってみよう!
氷川神社でも「地震が起きたら鳥居や建物に近づかないで」という貼紙がありました。昔の建物は耐震構造じゃないよね。気をつけよう。
川越氷川神社をいつものwikiで検索。
創建:533年
ご祭神:スサノオ、奇稲田姫命、大巳貴命、脚摩乳命、手摩乳命。2組の夫婦神が鎮座していることから縁結びの神様として信仰されている。