東慶寺は年を通じて様々な花が楽しめるのですが、訪問した5月19日は花期の間に当り目ぼしい花は咲いてなかった!
ま。今日の目的は新緑散歩だから問題ないけど。
ってなことで東慶寺から移動して浄智寺へ。
実は真葛岡・裏大仏ハイキングコースは浄智寺の左隣の坂道が登り口なのだ。
の。前に浄智寺の説明板。あ。トップ画像が浄智寺です。ここ。以前に詳しく紹介した浄智寺(2008年12月20日)の記事ので今日はサラリと流す感じで。
/手前の池は甘露ノ井戸(甘露水)です。
「国指定史跡 浄智寺境内
鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派、金宝山浄智寺は、弘安4年(1281)北条時頼の三男宗政が29歳で没後、間もなく、宗政夫人と幼少の師時(もろとき)を開基して、宗政の菩提を弔うため創建されました。
中国、宋の名僧、ごつ庵普寧と大休正念、及び日本僧南州宏海の三人が開山になっています。これは、当初開山に招かれた宏海が、任重しと身をひき、師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、すでに世を去っていた師僧のごつ庵普寧を開山としたためです。
創建当時の伽藍は、外門、山門。行堂、仏殿、方丈、庫裡等を備え、塔頭は11院に及んだということです。
長い間には、たたずまいも変化し、現在は、看門寮、山門、鐘楼門、仏殿、書院、方丈、隠寮、庫裡などの堂宇が柏槙や杉木立の中に点在しています。
境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながらの、広大な寺域を残しており、地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保護されています。」
浄智寺からしばらくは緩やかなアスファルト貼りの道。その後石段がしばらく続きます。石段を抜けると、自然の土の道となります。
こんな感じで。
ね。山登りの靴が必要でしょ?この辺りまで写真を撮る元気もあったのですが、「どっちがハイキングコースだと思う?」と連れにたずねる道が続く。んで上ったり下ったりしつつハイキングコースを進みます。
風が木々を吹き抜ける音。まるい木陰が地面に幾何学模様を描く。時折横須賀線の電車の音や野鳥の鳴き声を楽しみながらだからあんまり辛くない。
そんなこんなで道幅が広くなるとそこに真葛岡神社がありました。
この辺りはベンチやテーブルがいくつかあるので、休憩にはもってこい。訪れた5月19日にはまだヤブ蚊もいない。
真葛岡神社も以前に紹介してる鎌倉のハイキングコース(2009年10月17日)の記事こちらに真葛岡神社、日野俊基のお墓、化粧坂切通の画像があります。 ので今回はパス。
ここ、ご祭神が日野俊基さんです。売店があって、おもしろいお守りが売られてました。ここパワースポットで売ってるみたい。以前来た時はなかったよな。
真葛岡神社からハイキングコースを少しだけ進むと。
以前、この辺りで富士山が見えるハズとうろうろして発見出来なかったんだけど、樹にある貼紙にしたがって右手を見ると!
うっすら富士山の頂上あたりが見えました。
でも訪れた時はまだ富士には残雪が多くて、画像では富士の形を判別出来なかったので、ピンクで稜線を書き込んでみた。こんな感じに見えます。
ハイキングコースに沿って日野俊基の墓と化粧坂切り通しがある、日野俊基さんはこの地で処刑されたのです。明治に入って朝廷の為に果てた彼は復権したんですね。鎌倉はそういうの結構あるのです。
化粧坂切り通しは、私は何度もぼやいてますがここ急坂なんで私は降りたくな~いっ!
も。上から坂を見下ろすだけにするつもりだったんだけど、友人は元気に坂を下ってゆきました!
げ、元気だ…。彼女「体力が最近なくて…」って言ってたけど、充分元気だよ…。
そんなこんなでいつもの源氏山公園の頼朝公の像のある広場に到着。いつものようにどこぞの小学生が遠足に来てます。が、カラス軍団VSトビもいます。カラスとトビは獲物を狙ってバトルを繰り広げてます。しばらく観察していたら、小学生のおやつをカラスがさらって行きました!
カラス…。器用な飛び方です。トンビも1羽だけでは分が悪いのか、獲物を得られないまま海の方へ飛び去りました。
いつものお昼ごはんをいただいて体力回復です。
ま。今日の目的は新緑散歩だから問題ないけど。
ってなことで東慶寺から移動して浄智寺へ。
実は真葛岡・裏大仏ハイキングコースは浄智寺の左隣の坂道が登り口なのだ。
の。前に浄智寺の説明板。あ。トップ画像が浄智寺です。ここ。以前に詳しく紹介した浄智寺(2008年12月20日)の記事ので今日はサラリと流す感じで。
/手前の池は甘露ノ井戸(甘露水)です。
「国指定史跡 浄智寺境内
鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派、金宝山浄智寺は、弘安4年(1281)北条時頼の三男宗政が29歳で没後、間もなく、宗政夫人と幼少の師時(もろとき)を開基して、宗政の菩提を弔うため創建されました。
中国、宋の名僧、ごつ庵普寧と大休正念、及び日本僧南州宏海の三人が開山になっています。これは、当初開山に招かれた宏海が、任重しと身をひき、師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、すでに世を去っていた師僧のごつ庵普寧を開山としたためです。
創建当時の伽藍は、外門、山門。行堂、仏殿、方丈、庫裡等を備え、塔頭は11院に及んだということです。
長い間には、たたずまいも変化し、現在は、看門寮、山門、鐘楼門、仏殿、書院、方丈、隠寮、庫裡などの堂宇が柏槙や杉木立の中に点在しています。
境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながらの、広大な寺域を残しており、地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保護されています。」
浄智寺からしばらくは緩やかなアスファルト貼りの道。その後石段がしばらく続きます。石段を抜けると、自然の土の道となります。
こんな感じで。
ね。山登りの靴が必要でしょ?この辺りまで写真を撮る元気もあったのですが、「どっちがハイキングコースだと思う?」と連れにたずねる道が続く。んで上ったり下ったりしつつハイキングコースを進みます。
風が木々を吹き抜ける音。まるい木陰が地面に幾何学模様を描く。時折横須賀線の電車の音や野鳥の鳴き声を楽しみながらだからあんまり辛くない。
そんなこんなで道幅が広くなるとそこに真葛岡神社がありました。
この辺りはベンチやテーブルがいくつかあるので、休憩にはもってこい。訪れた5月19日にはまだヤブ蚊もいない。
真葛岡神社も以前に紹介してる鎌倉のハイキングコース(2009年10月17日)の記事こちらに真葛岡神社、日野俊基のお墓、化粧坂切通の画像があります。 ので今回はパス。
ここ、ご祭神が日野俊基さんです。売店があって、おもしろいお守りが売られてました。ここパワースポットで売ってるみたい。以前来た時はなかったよな。
真葛岡神社からハイキングコースを少しだけ進むと。
以前、この辺りで富士山が見えるハズとうろうろして発見出来なかったんだけど、樹にある貼紙にしたがって右手を見ると!
うっすら富士山の頂上あたりが見えました。
でも訪れた時はまだ富士には残雪が多くて、画像では富士の形を判別出来なかったので、ピンクで稜線を書き込んでみた。こんな感じに見えます。
ハイキングコースに沿って日野俊基の墓と化粧坂切り通しがある、日野俊基さんはこの地で処刑されたのです。明治に入って朝廷の為に果てた彼は復権したんですね。鎌倉はそういうの結構あるのです。
化粧坂切り通しは、私は何度もぼやいてますがここ急坂なんで私は降りたくな~いっ!
も。上から坂を見下ろすだけにするつもりだったんだけど、友人は元気に坂を下ってゆきました!
げ、元気だ…。彼女「体力が最近なくて…」って言ってたけど、充分元気だよ…。
そんなこんなでいつもの源氏山公園の頼朝公の像のある広場に到着。いつものようにどこぞの小学生が遠足に来てます。が、カラス軍団VSトビもいます。カラスとトビは獲物を狙ってバトルを繰り広げてます。しばらく観察していたら、小学生のおやつをカラスがさらって行きました!
カラス…。器用な飛び方です。トンビも1羽だけでは分が悪いのか、獲物を得られないまま海の方へ飛び去りました。
いつものお昼ごはんをいただいて体力回復です。