あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

谷中散歩その2

2017年11月02日 05時38分38秒 | レトロ建築
上野の科学博物館で深海展を見た後谷中へ。上野桜木交差点から谷中墓地へ歩いてると、細道に観光客が入っていく。不思議に思い私達も細道へ。と?昭和情緒たっぷりの建物が見えた。
あれ?こんな所にこんな建物あったっけ?
昔上野桜木交差点からさんさき坂を降りて東京メトロ千駄木駅へと歩いたことがある。その時には見過ごしたか?それとも今のようにウエルカムじゃなかったんだろう。今この古民家は小さなビアホールとして営業してる。古民家は昭和13年に建てられた。袋小路の一角にあって、昭和情緒あふれる街を求めてくる観光客がつい足を止めてしまう風格がある。



古民家は3棟。それぞれに違う使い方をしている。
こちらは谷中ビアホールさん。6種のビールと5つの土鍋を使い分けて作るおつまみや料理を提供している。

こちらはパン屋さん。
そしてレンタルできる広間を持つ家。
昭和のドラマ撮影がお手軽にできそうな佇まいです。

訪問した2017年9月14日は庭の芙蓉が綺麗でした。

上の方にも手押しポンプの画像を載せましたが、下の画像のポンプを見ると、水の出る口に布の覆いをかぶせてあった。これさ、組み上げた地下水にまじるゴミを取り除くためにするんだよね。ということは、この手押しポンプは今も使ってるということ。うわ〜、まさか!ですよね。さすが谷中!!(まああ実際の住所は上野桜木ですが)



さて、先を急ぎましょう。谷中墓地を目指し歩いてると?道向こうでチラシを配ってるおじさんがいた。
何してるんだろか?
骨董喫茶・茶席 瑜枷庵(ゆかあん)さん。。
大正2年創業の大久保美術は「ギャラリー大久保」の母店にあたります。建て替えに伴い2階に畳敷きのお茶席と正座することなく椅子に座って(立礼式)お作法無用で抹茶と和菓子が楽しめ丸。2階の半分はコーヒー&ティールーム・骨董喫茶になってます。
古き良き日本が見たい人向けです。外国人にもおススメですね。

レトロ地図発見:谷中寺町と谷中霊園
「寺院の屋根の下に谷中の町がある」という表現がおおげさでないほど寺が多く、その数は70数軒にもなる。
寛永年間 (1624-43)、上野寛永寺の子院がこの高台に多く建立されたのが谷中寺町の始まりである。それ以前は鎌倉時代創建の感応寺(現天王寺)他数える程しか寺院はなかった。
そして、慶安年間(1648-51)、江戸府内再開発という幕府の施策で、神田あたりの相当数の寺院が谷中に移転してきた。また、明暦の大火(1657)の後も、江戸府内の焼失寺院がかなり移ってきた。寺の門前に町屋が形成され、また参詣に来る人で賑わい、庶民の行楽地となったのもこの頃である。
幕末の慶応4年(1868)、上野戦争の兵火は谷中を襲い多くの寺院が焼失したが、その後再建され、震災、戦災にも会わず、昔ながらの情緒を持った寺町を今日に残している。
谷中霊園は、明治5年(1872)、旧天王寺境内の一角を官有とし、それに天王寺墓地、徳川墓地の一部を合わせた谷中墓地が始まりである。現在の墓地の使用者は6000あまり。幕末、維新以降の著名人の墓碑が数多くある。
む!?谷中散歩で一番行きたいのは徳川15代将軍徳川慶喜のお墓なのですが、無事に見つけられるかな?東京の墓地って墓石が多すぎて、番地がわかってても見つけられないことも多いんだよね〜。
もちろん事前に所在地は調べて来てるんだけども?

さてと?道幅の広い場所に着いた。上野桜木交差点から進んできた道は道なりに左へカーブしつつ坂を下って続きますが、このまま狭い方の直進すると谷中五重塔桜通りです。目的の谷中墓地はこっち。さらにWEBで調べてきた徳川慶喜のお墓への分かりやすい行き方は管理事務所スタートとのことなので、谷中五重塔桜通りではなく上の画像の細い道へ向かいます。

この辺りは墓参参りの客相手の家かな?多磨霊園に行った時も霊園前はこういう感じの家がいっぱいあったなあ〜。

管理事務所に到着です。(続きは明日、谷中散歩その3にて)
コメント
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