あられの日記

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近江彦根藩井伊家屋敷跡

2012年09月02日 05時37分43秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
喰違門を抜けると、有名なホテルに着いた。
ホテルニューオータニです。実はここはかつて近江彦根藩井伊家の麹町屋敷があった場所です。

説明板発見:井伊家は外桜田にあった永田町邸(国会前庭一帯)を上屋敷として使用していましたので、ここは中屋敷として使われました。
井伊家は、武勇の誉れが高い家柄で、藩祖直政は、関ヶ原の戦いで徳川家康の軍奉行として活躍しました。慶長5年(1600)近江佐和山に18万石で封ぜられ、慶長9年(1604)直政の子直勝の時代に彦根藩主となり近江国等を領地とし、以後、16代にわたって明治維新まで続きました。石高はほぼ35万石でした。井伊家は譜代大名の筆頭であり、大老職に任じられる名家でもありました。幕末に幕政を動かした井伊直弼は特に有名です。
明治5年、この地は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて「紀尾井町」という町名になりました。
そう言えば、以前都内に残る井伊家のあれこれを巡ったよな…。

井伊家の石燈籠(2008年12月26日)の記事桜田門近くにあった井伊家の屋敷跡。
桜の井(2008年12月26日)の記事江戸の名水。憲政会館の敷地の外に残ってます。
井伊家墓所全体図(2008年12月1日)の記事世田谷の豪徳寺は井伊家の墓所です。
豪徳寺紅葉散歩(2009年12月6日)の記事豪徳寺は紅葉の名所です。
豪徳寺の招福まねき猫(2008年11月30日)の記事豪徳寺はまねき猫の発祥地の一つでもあります。
井伊直弼のお墓(2008年12月1日)の記事井伊直弼のお墓だけでなく、井伊家の墓所には代々の藩主6名の墓があります。
そう言えば、明治神宮もかつては井伊家の下屋敷だったんだよね。
ホテルの庭に、井伊家の屋敷の名残を探してみることに…。

地図ではちっともわかりませんが、ホテルの庭は、急坂の斜面でもありました。びっくりしました。
 
庭には、茶室があります。「なだ万」なんかもあったりして!!
おっ!?有望な石燈籠発見!由来がわかるかも~。
ん??でっかい木がある。これはもしやして~??
旧井伊家中屋敷のイヌマキとカヤ
井伊家の庭だった時代から立っていた木を見つけました!!
説明板発見;カヤ*目通り幹囲294センチ、直径93.6センチ。樹高約17、6メートル
イヌマキ*目通り幹囲268センチ、直径85.4センチ。樹高約21、1メートル
旧牛込門から旧赤坂門までの延長4キロの国史跡江戸城外堀跡には、四谷門のムクノキ、真田濠土手のマツなど、その歴史性を伝える特徴的な樹木が生育しています。その中で、ホテル・ニューオータニ敷地内には、明治時代の伏見宮邸の庭園やスダジイ・タブノキ、クスノキなど巨樹がみられます。
正面のカヤと奥の通路にあるイヌマキの2本の針葉樹は、年輪の測定から200年以上の樹齢を持ち、江戸時代中期の遡ることが判明し、この頃屋敷を構えていた近江彦根藩井伊家中屋敷に生育していた樹木であることが確認されました。
千代田区は、かつて江戸城内や大名屋敷の庭園などに多数の樹木が見られましたが、今はほとんど残っていません。そのなかでこの樹木は、ともに天明年間(1780年代)頃から当地に生育していたもので、江戸時代以来の樹木がほとんど確認されてない千代田区内にあって貴重なものです。 (平成21年4月1日、千代田区指定天然記念物)

またまた石燈籠が登場。どうやら庭のあちこちに石燈籠を配置してあるようで。
って!!
あれ?

この石燈籠の胴に刻んであるのは…。

大猷院殿!すなわち三代将軍 徳川家光の法名!!
あった~~っ!!
よ~く見ると、従五位下井伊兵部大輔の名前も見えます。
全文だと…。
 「東叡山
大猷院殿 尊前
 従五位下井伊兵部大輔
慶安五壬辰暦四月六日 藤原●」
これを解説すると…。
東叡山とは、寛永寺のこと。寛永寺は徳川将軍家の菩提寺で、歴代15人のうち6人が寛永寺には眠ります。
大猷院とは、徳川家光の諡号です。
従五位下井伊兵部大輔とは、井伊直継(1590年2月ー1662年8月)のこと。徳川四天王の一人、井伊直政の長男。
慶安5年は1652年です。前年慶安4年4月20日に家光が死去してます。
遺骸は遺言により東叡山寛永寺に移され、日光輪王寺に葬られました。日光輪王寺にある大猷院廟は慶安4年(1651)の翌年かあら造営され、わずか1年2ヶ月で完成しました。
尊前とありますので、一度は寛永寺、もしくは輪王寺に置かれていた石灯籠なのかもしれません。大名がこぞって石燈籠を奉納したので、その一つだと思います。
などと…。感慨にうっかりふけっていたらダンナを見失った~~~。どこや~~~っ!!!

ニユーオータニの庭は高低差がかなりあり、斜面を降りてしまうと見えなくなるのだっ!!
こういう時こそ文明の利器。携帯電話をかける。
「どこにいるの?」
「一番下~」と言うので追いかける。

普通の人はニユーオータニの建物に感動するのだけれど、今日ばっかりは庭の方が萌え度が高いのです。

庭と反対側のホテルの建物は、屋上に庭園がある模様~。でも次なる目的地は、大久保利通暗殺の碑がある清水公園です。
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8 コメント

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東京の井伊家ゆかりの地 (M YASUDA)
2015-01-28 10:44:07
はじめまして・・・
私、彦根市生まれの73歳です。
高校まで、彦根で過ごしました。
現在、彦根城について私のブログに「彦根城物語」シリーズをアップしています。
シリーズの最後は、首都圏の井伊家ゆかりの土地について書こうとネットで調べいる時に、あなたの記事に出会いました。
井伊家について良く調べておられにますね。
うれしいかぎりです。
参考にさせていただきます。
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いらっしゃいませ。 (あられ)
2015-01-29 12:27:45
いらっしゃいませYASUDAさま。
私の記事を楽しんで下さりありがとうございます。
でも私は単なる歴史好きでして、記事には間違いもあるやもしれません。その場合「参考」にとどめて下さいね。
歴史巡りをしてますと、たまに地元の歴史好きな方に行き当たることがあります。その場合はラッキーとばかりにその地の本などには紹介されようもないちょっとした由来や小話を教えてもらえる事がありまして、これだから歴史巡りは止められません。
世田谷区豪徳寺に訪れた時も「豪徳寺の紅葉全編2013(2013年11月30日)の記事」たまたま居合わせた方に、豪徳寺の山門に掲げられた揮毫の意味を教えていただきました。右から『碧』『雲』『關
』と書かれてあるのですが、これが招き猫伝説の出来事を簡潔に3文字で現してあったのです。
ちなみに、豪徳寺と近所の馬事公苑にはひこにゃんも来た事があるとか?
更には、豪徳寺から徒歩10分位には松陰神社があります。(吉田松陰のお墓もここに)安政の大獄関連で訪れると感慨深いです。もし関東井伊家歴史巡りを敢行されるならおススメのポイントかもしれません。
返信する
彦根城物語 (M YASUDA)
2015-01-30 10:45:38
井伊家の江戸にゆかりのある土地
桜田門から始まり、井伊家上屋敷(憲政記念館)、中屋敷(ホテルニューオータニ)、下屋敷(大隈公園、明治神宮外苑)
そして、世田谷の豪徳寺、代官屋敷、横浜の掃部山公園の井伊直弼の銅像と続けようと思っています。

歴史を机上で学ぶだけでなく、その現場を訪れ、当時を想像することは、歴史のロマンを感じ楽しいことですね。
日本では歴史に登場した神社、仏閣はそのまま残っていますが、私は破壊され、消滅してしまった城郭や戦跡を好んでいます。

歴史の痕跡を探すうちに旦那さんを見失ってしまうとは、ほほえましい限りですが、私もこの反対で妻や子供を見失ってしまうことがありました。
これから、あられさんのブログをたびたび訪問させていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
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井伊家屋敷跡 (M YASUDA)
2015-01-30 11:02:40
先のコメントの井伊家下屋敷は「明治神宮外苑」ではなく「明治神宮御苑」でした。
訂正させていただきます。
返信する
明治神宮の庭 (あられ)
2015-01-31 13:15:26
明治神宮に井伊家の名残りはなかったように思います。でもここを訪問したらば、ぜひ有料のお庭を見て下さい。入口から最奥に「清正の井戸」が残存してます。ここはパワースポットとしても一時もてはやされたのですが、井伊家に下げ渡される前は加藤清正のお屋敷だった。その名残りが残ってます。またこの有料のお庭には大きな菖蒲田があるので、6月ににぎわいます。
歴史好きならば、明治神宮の本殿裏(裏といってもだいぶん距離がありますが)宝物殿もおススメです。明治神宮は名前からしてご祭神が明治天皇です。宝物殿も皇室関係。
ついでに訪問するならば、明治神宮は代々木公園に隣接してます。公園内に昭和39年の東京オリンピックの時に使用された宿舎が残ってます。もちろん目の前の国立代々木競技場もいい感じの建物です。既に歴史的建造物かもしれません。
返信する
江戸における井伊家ゆかりの地 (M YASUDA)
2015-01-31 21:08:02
私のブログに下記をアップしました。お暇な時にご覧いただければ幸いです。
井伊家の中屋敷と下屋敷はネットの写真を掲載しています。
後ほど、現地を訪れあられさんに教えていただいたところも見て、別稿にて書き直します。

(386)彦根城物語⑦ 桜田門と井伊家の江戸屋敷跡
http://21432839.at.webry.info/201501/article_10.html

(387)彦根城物語⑧ 掃部山公園「伊井直弼の銅像」、井伊家の菩提寺「豪徳寺」
http://21432839.at.webry.info/201501/article_11.html
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ブログ拝見しました。 (あられ)
2015-02-08 11:45:20
YASUDAさま。
コメントありがとうございます。
紹介下さった「彦根城物語」の該当記事を拝読しました。
楽しいです。でも一つの記事に詰め込み過ぎに思います。アレコレせっかくまわってるのに、サラっと流してはもったいないなあ。といのが一番目の感想です。
私は桜木町のかもん山公園にはまだ訪問してなかったので、そのうち行ってみます。
あとですね。おせっかいですが、世田谷の松陰神社をYASUDAさんが訪問した時に見学されてるとは思いますが。
2010年10月2日の記事に、桂太郎と吉田松陰のお墓の記事があります。ここに、松蔭神社の境内に並んでいる石灯籠の奉納者の画像があります。明治の有名所が名前を連ねてて凄いです。
見そびって後悔~~とかあるやもしれん。記憶に補完して下さい。
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ご覧いただきありがとうございます。 (M YASUDA)
2015-02-11 10:13:31
私のブログをご覧いただきありがとうございます。
確かに、一つの記事に、あれこれ詰め込んでいますね。
ひとつで、全てを済まそうとする会社時代の合理主義の残存かもしれません。
今後は余裕をもって、ゆっくり行きます。
いろいろ情報ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
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