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2019/9/16訪問。上野の国立博物館本館2階を見学後、お昼ご飯は平成館の1階ロビーでいただく。冷房あるし、ふかふかな椅子もある。私は持参したお茶を飲んだけど、無料の飲用水も配布してた。
さて、次は法隆寺宝物館へ。小雨がうっすら降っていたけども、傘を預けた本館まで戻るのが面倒臭いのでそのまま移動することに。
ふと、目に入ったのは、今ではほとんど使用されていない表慶館。神奈川では日曜お昼にBS朝日で「百年名家」という番組があってですね。私が訪問したのは今年の敬老の日(9月16日)でしたが、9月1日にトーハクの表慶館が紹介されました。たまに展覧会がありその時は入れますが、基本中に入れません。以前ダイヤモンド展とかで入ったのを思い出す。
で、番組内で紹介されていたのが正面建物のレリーフです。
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わかりますか?ズーム。
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よく見れば、大工道具みたいなデザイン。般若の面もありますが。
しかしですね。裏に周るとこう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d6/bdbc83f84afa954920e9df2d42d674ed.jpg)
レリーフがない!
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サイドにもレリーフはない。
中途半端な仕上がりの建物だなあ?予算不足か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e2/dfbc35de5e2602cd2a806de026c7125d.jpg)
表慶館の位置はこう。上の画面右奥が本館です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d6/d37f97e18391b6968a25a79288c3bc9f.jpg)
正面左右には狛犬ならぬ狛ライオンが鎮座。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/12/b87e1e12ced79ec26e46a370375b6d69.jpg)
口を開けてるのと閉めてるの。つまりまさしく「狛犬」の程で作られた玄関を守る置きの物です。
あ。説明板発見:表慶館
皇太子殿下嘉仁親王(大正天皇)のご成婚記念に、国民から奉献された美術館である。宮内省の片山東熊に設計が委嘱され、明治34年8月に着工し、明治41年10月に竣工した。ネオ・バロック様式と鉄骨、石材などの材料には、同じく片山が設計した東宮御所(現迎賓館)と類似の点が多く見られる。石張りレンガ造り2階建てで、中央部に大ドーム。両翼に小ドームをもち、左右相称となっている。内部は、中央ドーム下のホールが1・2階吹抜けとなり、ドーム天井周り、2階ギャラリーを回るイオニア式列柱や手すりなどは、ゆるぎない整然とした比例構成など、雅致深い建築である。昭和53年5月、重要文化財に指定。」
見覚えあるのは迎賓館に似てるからか。
歴史補完:迎賓館の竣工は1909年(明治42)。表慶館はその前年に竣工。
ついでに迎賓館には戦意昂揚をモチーフとしたデザインが多用されている。日露戦争の期間は1904年2月8日ー1905年9月5日。ご存知のようにポーツマス条約では賠償金が取れなかったので、予算不足になったのやも?確か明治天皇が「迎賓館を華美に過ぎる」と評したせいで、大正天皇の東宮御所として造ったのに使用されなかったし。
せっかくなので、赤坂迎賓館参観のブログ記事をリンクします。
法隆寺宝物殿へ向かう。
途中にこれを見つけました。
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説明板発見:黒田家の江戸屋敷鬼瓦
德川幕府の参覲交代の制度により、江戸には諸大名の屋敷が設けられた。この鬼瓦は、筑前福岡藩主黒田家の屋敷(現在の千代田区霞ヶ関、外務省の地)の建物の棟飾りとして用いられたものである。鬼瓦といっても鬼面にはなっていない。複雑な雲文の鰭までを一体に造った大振りなものとなっており、屋根を重厚にする江戸趣味をよくあらわしている。」
そして並びに旧因州(現鳥取県)池田家江戸上屋敷表門<重要文化財>がある。明治になり、東宮御所の正門としてうつされたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)にトーハクに移築されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/43/a182e7dd79734a098726fbc90d3583c1.jpg)
本来ならば土・日曜・祝日の10時−16時に開門されるハズ。あれ〜??しまってるゾ??天候不良だからかしら?チッ!いっつも外から見物して、門をくぐってみたいな〜とか思ってたのに。残念です。では、法隆寺宝物殿へ。時刻は既に12時半。日本の宝を見物しながら考え事しすぎで早くもヘロヘロな私。
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