おはようございます。四万十は、雨。
霧のような細かい雨が、音もなく降っています。
「閑さや 青葉しみ入る 鳥の声」。ケキョ。
湿った空気のベランダで、ぼおっと雨にけぶる新緑の庭をながめていると、
目の前の枝にコゲラ(小型のキツツキ)が、飛んできました。なんかラッキー!ドラミング聞けるかな?
今日の最低気温は、17、8度。
庭のピラカンサの花が咲きはじめました。初夏ですなぁ。
最高気温22、8度。午後も雨。
降ったり止んだりの小糠雨のなか、聞こえてくるのは、小さな雨音、鳥と蛙の歌。げこげこ。
さて、4月17日の夜の地震で、大きな揺れ(震度4~5程度)に見舞われた四万十ですが、
その後は、たまに小さな揺れ(震度1程度)が起こるくらいですんでます。
(大きく揺れた我がボロ家は、この雨で雨洩りしないか?と心配でしたが、大丈夫なもよう。とりあえず、ほっ)。
それにしても、近年は、日本各地で中規模~大規模の地震の発生が多いような気がします。
先日の大きな揺れに、思いのほかびびった僕は、
大きな地震の多い火山国日本から、
(かつて1年ほど滞在した)大きな地震は稀な豪州に逃げだそうかしらん、と思ったのでした。
でも、あのどでかい熱風大陸には、日本のような繊細で美しい自然環境は、少ないのだよなぁ。
そして、水害(ここに暮らしていると身近だ)や地震などの災害にあった時に、
僕がよく思い出すのは、夜と霧という本のなかにでてくる「テヘランの死神」という寓話です。
「裕福で力のあるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。
すると、ふいに召使いが泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅されたと言うのだ。
召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、
いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、
テヘランまで逃げていこうと思います、今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます。
主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に駆けていった。
館に入ろうとすると、今度は主人が死神に会った。主人は死神に言った。
「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ」すると、死神は言った。
「驚かしてなどいない。恐がらせたなどとんでもない。
驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」
『夜と霧』V・E・フランクル/池田香代子訳
(寓話なので、いろんな解釈ができると思いますが)人は、運命からは逃れられない。
ならば、運命というものは、挑んでいくコトではじめて意味を持つのかもしれませんね。