あるBOX(改)

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ヘクター・カマチョ逝去

2012年12月11日 | ライヴ
銃撃されて、脳死状態になって
母親が希望なき延命の打ち切りを懇願し、11/24に亡くなったとの事。

プロボクシングで1980年代に3階級を制覇した元世界王者のヘクター・カマチョ(プエルトリコ)。

ニューヨークをホームタウンに台頭した彼は、持ち前のスピードで「あっという間に」スターになった。

初王座を奪取したバズーカ・リモン戦なんて、本当に速かったもんな。
リモンが晩年だったとは言え、見事な奪冠劇だった。
正直、フロイド・メイウェザーjrにもヒケを取らない速さだったと思う。

ただ、リモン戦なみのインパクトあるKOを連発すべきところを、防衛戦もそこそこに早々とアウトボックスの逃げ切り試合を選択。

真のスーパースターにはなれなかった印象もある。
J・L・ラミレスからダウンを奪ったパンチも速かったよなぁ・・・。あの試合も後半は判定狙いに徹してたけど。

エドウィン・ロサリオとの試合では、序盤にロサリオの強打を受けて、極端なマラソン・ボクシングに終始。

負けたかと思ったが、手が上がったのはカマチョで、ぶっちゃけ負けを覚悟してた消沈顔が一気に「やったぜぇぇぇぇぇ!」「オレが勝ってたんだ!」と手の平を返して喜んだ時には呆れるより先に感心した程。
※あの時、リングサイドに居て心配そうな顔してたのがカマチョ・ママ。
  若いお母さんだなぁ・・・と思いましたよ。

まぁ、役者でした。ある意味で一流の。

晩年もレナードとオールドタイマー同士で戦ったりと話題を振りまいたが
息子のカマチョJr台頭とともに活動も減っていった。

そんなカマチョも50歳。
11月20日にプエルトリコで車の中にいた時に何者かに銃撃され、脳死状態となっていた。
怨恨があったか、行きずりの犯罪かは分かっていない。

そして、故郷とも言えるサンフアンの病院で死亡したカマチョ氏。

また80年代のスターが1つ消えてしまった。
寂しいねぇ。

ヘクター・カマチョよ、安らかに・・・。