あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

エマニュエル・スチュワードも逝去していた・・・

2012年12月12日 | ボクシング
Emanuel Steward氏
1944年7月7日生、ウェストバージニア州出身のボクシングトレーナー。
アマチュアでボクシングを始め、やがてトレーナーに転身。
米ミシガン州デトロイトの「クロンク・ボクシングジム」を設立。
多くの世界チャンピオンを育て上げた。

最初の王者はヒルマー・ケンティ。
そして誰もが知ってるトーマス・ハーンズ=デトロイト・スタイルの体現者。

左手ダラリから矢のようなフリッカージャブ、狙い済ました右ストレート、ワンツー、左右の高速連打。

ハンーズの横には常にスチュワート氏が居た。
スチュワート氏の代表作だった。

クロンクゴールドのトランクスを履いた選手といえば、他にもミルトン・マクローリー、マイケル・モーラー、カーミット・シントロンの名が浮かぶ。

最後はウラジミール・クリチコに付いていましたね。
ロシアン・スタイルは微妙にクロンク・ボクシングとは違う気もしたが、左を付いて右を狙い打つスタイルは「スチュワートの教え子」らしい優等生でした。

スチュワート氏が亡くなった直後の試合では、珍しくクリチコが序盤から飛ばし、亡き師匠のためにより良い勝ち方を狙ってましたね。
結果は判定になったが、よい姿勢だったと思います。

スチュワート氏も喜んだ事でしょう。
最後は癌との壮絶な戦いの末、2012年10月25日にシカゴで没したスチュワート氏。

安らかに眠ってください。
クリチコはこれからも貴方の教えを守って勝ち続ける事でしょう。