思い出したのは亡くなった両親の事だ。
昭和一ケタ世代の両親は終戦時は未成年。
~というか、まだ子供。
母親は長崎に落とされた原爆のキノコ雲を有明海越しに
目撃している。
※福岡と熊本の県境、荒尾での事だ。
何も知らない少女はキノコ雲から漏れる光を「奇麗」と
思ったそうだ。
その頃、父は尋常小学校を出た後に航空養成学校に入所、
飛行訓練に明け暮れていたという。
動力付きの練習機すらなく、グライダーで訓練していた。
養成期間を終えた先輩たちは飛行兵として知覧に移り、
多くの人がそのまま特攻へ飛び立った。
「お前たちが乗る飛行機は、もうなかぞ」
そう言い残して行ったそうだ。
父が言うには、終戦があと半年遅かったら自分も飛ぶ事に
なっただろうとの事。
まだ子供の面影を残した父が、特攻機に乗せられたかも
知れないと思うと、もはや怒りすら覚える。
※非撃墜の記録が終戦間際に増加する原因のひとつとして
「乗員および訓練期間の不足による稚拙な飛行技術」なんて
記述があったが。当たり前だ。訓練もそこそこで、やっと
飛べるようになった程度の少年兵が乗っていたのだから。
終戦が伸びてたら、オマエもこの世にいないなぁ…なんて、
子供だった私の頭を撫でながら親父は酒を飲んだモノです。
そこからも地続きの今がある。
資料を燃やした円太郎さんのような技術者が日本に沢山いたのは
間違いありません。
しかし、彼らのような男たちが「今度は平和のために」と
技術を高めていったのも事実です。
それが新幹線になり、ペンシルロケットになり…。
私は男たちの逞しさにも注目したい。
円太郎さんも、あのままでは終わってはいない…と。
昭和一ケタ世代の両親は終戦時は未成年。
~というか、まだ子供。
母親は長崎に落とされた原爆のキノコ雲を有明海越しに
目撃している。
※福岡と熊本の県境、荒尾での事だ。
何も知らない少女はキノコ雲から漏れる光を「奇麗」と
思ったそうだ。
その頃、父は尋常小学校を出た後に航空養成学校に入所、
飛行訓練に明け暮れていたという。
動力付きの練習機すらなく、グライダーで訓練していた。
養成期間を終えた先輩たちは飛行兵として知覧に移り、
多くの人がそのまま特攻へ飛び立った。
「お前たちが乗る飛行機は、もうなかぞ」
そう言い残して行ったそうだ。
父が言うには、終戦があと半年遅かったら自分も飛ぶ事に
なっただろうとの事。
まだ子供の面影を残した父が、特攻機に乗せられたかも
知れないと思うと、もはや怒りすら覚える。
※非撃墜の記録が終戦間際に増加する原因のひとつとして
「乗員および訓練期間の不足による稚拙な飛行技術」なんて
記述があったが。当たり前だ。訓練もそこそこで、やっと
飛べるようになった程度の少年兵が乗っていたのだから。
終戦が伸びてたら、オマエもこの世にいないなぁ…なんて、
子供だった私の頭を撫でながら親父は酒を飲んだモノです。
そこからも地続きの今がある。
資料を燃やした円太郎さんのような技術者が日本に沢山いたのは
間違いありません。
しかし、彼らのような男たちが「今度は平和のために」と
技術を高めていったのも事実です。
それが新幹線になり、ペンシルロケットになり…。
私は男たちの逞しさにも注目したい。
円太郎さんも、あのままでは終わってはいない…と。