‘06/05/1の新聞記事から
いびつさ増す 日米関係
「史上最良」実態は従属化
京大大学院教授 佐伯啓思
アメリカの対イラク戦争から3年になる。
3月20日に攻撃が開始され、5月1日には戦闘終結宣言が出された。
3年前には、アメリカの有無を言わせぬ圧倒的な強さだけが目立っていた。
しかし、それ以降の動きはといえば、大量破壊兵器は発見されず、武装勢力による攻撃は収まる気配はなく、米軍の撤退のめども立たない。
アメリカは、イラク戦争の名目を、大量破壊兵器の発見から、イラク民主化へと変更したが、その民主化も期待通りに進行しているとはいえない。
民主的選挙の結果として、皮肉なことに、本来は反米的なイスラム主義の傾きを持つシーア派が権力を握るとともに、宗教的対立が顕在化することとなった。
これらのことは、決して予想を超えた変則的事態というわけではない。
当初から十分に予想されていたことだったのである。
さすがのブッシュ政権も、大量破壊兵器についての情報の誤りを認め、イラク攻撃の不適切さを事実上認めざるを得なくなってしまった。
3年前には70%あったブッシュ支持率は、4月上旬には30%台後半にまで落ち込んでいる。
3年間の間に状況は大きく変わってしまったのである。
「イラク」問わず
にもかかわらず、日本では、イラク戦争についての判断の是非はほとんど政治的問題にもならない。
ブッシュ政権のイラク攻撃をいち早く支持して以来、「歴史上最良の日米関係」が形成された、という論点へ収束してしまった感がある。
本来ならば、アメリカのイラク戦争の失敗は、たちまち小泉政権の判断に対する疑念をも呼び覚ますはずであろう。
日本は、イラク戦争をただ傍観していたわけではない。
「日米同盟」のもとで、アメリカを支援して、主体的にかかわったのであった。
日本では、イラク戦争を誰もが自らの問題だとは感じていない。
イラク戦争への支持も、戦争そのものの判断というより、「日米の史上最良の関係」を維持するためのものであったからだ。
関心の中心はあくまで「日米関係」なのである。
しかし、いうまでもなく、日米関係は、決して対等な「同盟関係」ではない。
戦後の占領政策の延長上に生み出された変則的な関係というべきもので、アメリカは日本の防衛を肩代わりし、極東の秩序維持を請け負うとともに、日本を「同盟国」という名目で、なかば「従属国」として扱う、というものであった。
そして、対テロ戦争以降、この変則的な「日米の史上最良の関係」は、いっそう露骨に変則的な姿をとろうとしている。
世界観もって
現在、日米間で合意に向けた最終調整が進められている在日米軍再編計画においても、沖縄の基地移転や海兵隊削減と同時に、日米の防衛協力をいっそう緊密化するために、自衛隊を米軍のなかに統合して機動的に一体化することが目指されている。
アメリカの意図は明らかだ。
長期にわたる、しかも世界的規模の対テロ戦争、大量破壊兵器の拡散に対して、できるだけアメリカの負担を減らしつつ、日本の協力を要請しようというのである。
北朝鮮や、中国という「脅威」があることは事実である。
日米安保体制を解消することができないことも間違いない。
しかし、この変則的事態を「最良の日米同盟」などと胸をはって言うわけにはいかない。
「同盟」においては、両国が共通の価値観を持つことこそが大事だと小泉政権は言う。
ブッシュ大統領は、3月に発表された新たな安全保障戦略において、あらためて世界の民主化を唱え、そのためには、脅威に対して先制攻撃も辞さないとする「ブッシュ・ドクトリン」を確認した。
その上で、イラン、北朝鮮、ミャンマー、キューバなど七カ国を脅威の対象として指名した。
だが、日本は、本当に、この点でアメリカと共通の認識にたっているのだろうか。
そうではあるまい。
日本は、まずは、日本の立場にもとづく世界観と、それに依拠した安全保障体制の見取り図を描くことが先決である。
日米関係が最初にあって、それにあわせて世界観が形成されるわけではないのである。
いびつさ増す 日米関係
「史上最良」実態は従属化
京大大学院教授 佐伯啓思
アメリカの対イラク戦争から3年になる。
3月20日に攻撃が開始され、5月1日には戦闘終結宣言が出された。
3年前には、アメリカの有無を言わせぬ圧倒的な強さだけが目立っていた。
しかし、それ以降の動きはといえば、大量破壊兵器は発見されず、武装勢力による攻撃は収まる気配はなく、米軍の撤退のめども立たない。
アメリカは、イラク戦争の名目を、大量破壊兵器の発見から、イラク民主化へと変更したが、その民主化も期待通りに進行しているとはいえない。
民主的選挙の結果として、皮肉なことに、本来は反米的なイスラム主義の傾きを持つシーア派が権力を握るとともに、宗教的対立が顕在化することとなった。
これらのことは、決して予想を超えた変則的事態というわけではない。
当初から十分に予想されていたことだったのである。
さすがのブッシュ政権も、大量破壊兵器についての情報の誤りを認め、イラク攻撃の不適切さを事実上認めざるを得なくなってしまった。
3年前には70%あったブッシュ支持率は、4月上旬には30%台後半にまで落ち込んでいる。
3年間の間に状況は大きく変わってしまったのである。
「イラク」問わず
にもかかわらず、日本では、イラク戦争についての判断の是非はほとんど政治的問題にもならない。
ブッシュ政権のイラク攻撃をいち早く支持して以来、「歴史上最良の日米関係」が形成された、という論点へ収束してしまった感がある。
本来ならば、アメリカのイラク戦争の失敗は、たちまち小泉政権の判断に対する疑念をも呼び覚ますはずであろう。
日本は、イラク戦争をただ傍観していたわけではない。
「日米同盟」のもとで、アメリカを支援して、主体的にかかわったのであった。
日本では、イラク戦争を誰もが自らの問題だとは感じていない。
イラク戦争への支持も、戦争そのものの判断というより、「日米の史上最良の関係」を維持するためのものであったからだ。
関心の中心はあくまで「日米関係」なのである。
しかし、いうまでもなく、日米関係は、決して対等な「同盟関係」ではない。
戦後の占領政策の延長上に生み出された変則的な関係というべきもので、アメリカは日本の防衛を肩代わりし、極東の秩序維持を請け負うとともに、日本を「同盟国」という名目で、なかば「従属国」として扱う、というものであった。
そして、対テロ戦争以降、この変則的な「日米の史上最良の関係」は、いっそう露骨に変則的な姿をとろうとしている。
世界観もって
現在、日米間で合意に向けた最終調整が進められている在日米軍再編計画においても、沖縄の基地移転や海兵隊削減と同時に、日米の防衛協力をいっそう緊密化するために、自衛隊を米軍のなかに統合して機動的に一体化することが目指されている。
アメリカの意図は明らかだ。
長期にわたる、しかも世界的規模の対テロ戦争、大量破壊兵器の拡散に対して、できるだけアメリカの負担を減らしつつ、日本の協力を要請しようというのである。
北朝鮮や、中国という「脅威」があることは事実である。
日米安保体制を解消することができないことも間違いない。
しかし、この変則的事態を「最良の日米同盟」などと胸をはって言うわけにはいかない。
「同盟」においては、両国が共通の価値観を持つことこそが大事だと小泉政権は言う。
ブッシュ大統領は、3月に発表された新たな安全保障戦略において、あらためて世界の民主化を唱え、そのためには、脅威に対して先制攻撃も辞さないとする「ブッシュ・ドクトリン」を確認した。
その上で、イラン、北朝鮮、ミャンマー、キューバなど七カ国を脅威の対象として指名した。
だが、日本は、本当に、この点でアメリカと共通の認識にたっているのだろうか。
そうではあるまい。
日本は、まずは、日本の立場にもとづく世界観と、それに依拠した安全保障体制の見取り図を描くことが先決である。
日米関係が最初にあって、それにあわせて世界観が形成されるわけではないのである。