鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

唐沢山城・第2章~唐澤山神社

2019-09-05 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 9 時 1 8 分

栃 木 県 佐 野 市

唐 沢 山 城



現在は神社が鎮座する唐沢山城【国指定史跡】。



唐澤山神社の鳥居をくぐり、城の本丸へと向かいます。

 

私をまず出迎えるのは、大炊(おおい)の井
直径8メートル、深さ9メートルの大きな井戸です。
伝説によると、築城の際に厳島大明神に祈願したところ、大明神が夢に現れて水源を告げたそうです。
お告げの場所を掘ったところ、水がこんこんと湧きだしたそうで、今日に至るまで水涸れをしたことがないそうです。



石鳥居をくぐって、先へ。



石製の神橋
その下は四ツ目堀という空堀で、唐沢山の山頂部分を東西に分断しています。
当時は曳き橋が架けられていて、防戦時には橋を引き払って防衛したようです。

 

四ツ目堀ぞいを歩いてみました。
入口側の舗装道から見ると深さは2メートルほど、奥側からは深さが6メートルほどでしょうか。
この舗装道は、天狗岩とともに入口の虎口を取り囲む避来矢(ひらいし)へと続きます。



避来矢山に建つ霊廟。
唐澤山神社創建の功労者をお祀りしているそうです。
「避来矢」の名称は、城主の佐野氏の先祖で、平将門の乱の平定に大功のあった藤原秀郷の鎧から来ています。


神橋まで戻り、



唐沢山城内&唐澤山神社境内を進みます。
唐澤山神社の参道は、唐沢山城の本丸へと至る大手道でした。



大手道の途中にある桜の馬場跡
唐沢山城の兵士が馬を訓練した場所で、桜の木が多くあったことからこの名があるそうです・・・が、馬場というにはかなり手ぜまな感じがします。
ここの斜面は崖下まで続いており、三ツ目堀という竪堀を形成しています。



大手道神社の参道を引き続き歩いていきます。
大手道はこの手前で急旋回し、急斜面を駆け上がっていきます。
私はこの大手道を見逃してしまったわけですが・・・。



南城という郭に入りました。



唐澤山神社の社務所は、南城にあります。
外に据えられている机には、続100名城スタンプがありますね。



114番、唐沢山城!
絵柄は高石垣のようですね・・・あとでスタンプの画角を探すことにしましょうか。
続100名城のスタンプは朱肉のいらない「シヤチハタ式」なのですが、ここのスタンプはインクの出が悪いようです。
スタンプとともに据えてある緑色のスタンプ台を使わざるを得ず、印影の外にスタンプの淵がついてしまいました。
少し残念ですね。


唐沢山城【国指定史跡】は、伝説によると藤原秀郷によって築城されたとされています。
しかし史料にはその事実はなく、実際の築城時期は室町時代の後期、15世紀後半ごろという説が有力です。

戦国時代の佐野氏は、相模の北条氏康・氏政、越後の上杉謙信の2大勢力に挟まれていました。
城主の佐野昌綱は北条方、上杉方、再び北条方と立場を変え、そのたびに軍を差し向けられますが、唐沢山城の堅い守りをもって撃退していきました。
とくに上杉謙信は9度も唐沢山城を攻め、時には撃退し、時には降伏することもありましたが、謙信が越後に帰ると即座に北条方に寝返るなどして、佐野家の命脈を保ちました。
このことで、唐沢山城は「関東一の山城」とも謳われました。
昌綱の子・宗綱の代になると、北条と手切れして常陸の佐竹義重と同盟を組みます。
このときも北条氏照率いる大軍に攻められますが、佐竹の援軍とともに撃退しました。

しかし天正13年(1585年)宗綱が不慮の死を遂げると、佐野家にお家騒動が勃発します。
宗綱には嫡子がいなかったため、養嗣子を佐竹から迎えるか北条から迎えるかで家中が二分し、そこを北条に利用されてしまい、北条氏政の弟・氏忠を城主に据えられてしまいます。
反北条方の叔父・房綱らの有力家臣は唐沢山城を離れ、のちに豊臣秀吉小田原征伐に参加することとなります。

北条家の滅亡後は房綱が城主となって佐野家が再興。
房綱は秀吉の家臣・富田信高の弟・信種を養子としており、天正20年(1592年)に家督が譲られて信種改め佐野信吉が城主となりました。
信吉は関ヶ原の戦いで東軍に属して所領を守りましたが、慶長7年(1602年)ふもとに佐野城【佐野市指定史跡】が築城され、唐沢山城は廃城となりました。
慶長19年(1614年)兄の富田信高が改易されると、これに連座するかたちで信吉も改易にあってしまいます。





スタンプの設置場所は神社の社務所ということで、ここでは御朱印ももらうことができます。
100名城スタンプは無料でもらえますが、御朱印は1枚につき500円支払う必要があります。



唐澤山神社の御朱印はバリエーションが豊富にあり、月ごと、時節ごとに絵柄が変わるそうです。
2月は春の訪れにちなんだ絵柄で、私が選んだのは「勝利の揚羽~春を告げる鶯色~」という題がついていました。



社務所のある南城は、標高800尺だそうです。
1尺=30.3センチほどなので、800尺はだいたい242メートルほど。



雲が消え晴れ渡る唐沢山の空。
空気が澄んでいる日には、東京のビル群まで見渡すことができるそうですが、この日は少し霞かかっていました。
スカイツリーくらいは見えるかな~とも思ったのですが、見えそうで見えませんでした。

 



南城を取り囲む石垣です。
廃城から400年の風雨にも耐えてきた、素朴で荒々しい野面積みの石垣。




神社本殿への参道を上ります。
本殿は唐沢山城の本丸に鎮座しています。



引局(ひきつぼね)と呼ばれる、本丸と南城の間に位置する腰曲輪へ。
先に見える神門のあるところが本丸ですが・・・



本丸を取り囲む石垣を拝見。
こちら側の石は、比較的小さめでしょうか。


神門をくぐって、



唐沢山城の本丸へ。
唐澤山神社の拝殿本殿が鎮座します。
ここでいつもどおりの祈願をして、



別の石段から本丸を退出。
こちら側は唐沢山城の大手道にあたり、



その下は二の丸です。

 

こちらの石は大きいです。
城の主要道である大手道なので、城主の威勢をアピールするために大きな石が用いられているようですね。
それにしても、こんな山の上によくもこんな大きな石を運んできたものです。



二の丸から見上げてみると、なるほど高い石垣です。
土造りの城が主流の関東地方で、これだけの高石垣はなかなかお目にかかれません。



二の丸からの出口。
石垣による虎口が築かれています。



ここは大手道ではなく、本丸の東側に尾根伝いで連なる郭への道になります。
いわば裏道、搦め手といえるでしょうか。



唐沢山城は山ひとつをそのまま城にしてしまった広大な城なので、すべてを見回るのは困難です。
そこで二の丸から続く東の連郭を見つつ、スタンプの絵柄を探していくこととします。






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