鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

米子城登城・後編~山も海も

2020-07-26 | 城郭【続日本100名城】


令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )

午 後 四 時 五 十 分

鳥 取 県 米 子 市

米 子 城 本 丸





「続日本100名城 公式ガイドブック」の表紙を飾る、米子城本丸の石垣群。



天守台と、2段の控え積み郭の石垣は、石の表面を平らにして石同士の接合面の隙間を減らして積みあげた打込接ぎです。
なお控え積み郭の石垣は、下段が昭和、上段が平成になって積み直したものだそうです。



左に目を移すと、ひときわ端整ななりをしている四重櫓台の石垣。
こちらは、石を加工して隙間を徹底的になくして積み上げる切込接ぎです。



続100名城スタンプの絵柄に出てくる石垣も、切込接ぎのように見えます。
スタンプの画は、四重櫓台を題材にしているのでしょうか。


天守台へと足を運ぶべく、四重櫓台の下へ。



天守郭の入口とあって、石垣で厳重に構えられています。



積み方も端整で、石の色も際立っている四重櫓台
幕末に補修されたので、当時としては最新鋭の切込接ぎが用いられました。
右上にちょこんと載っている石は忘れ石といい、明治時代以降いつの頃からか、いつの間にか置かれてそのままになっているのだそうです。

 

ここがスタンプの画角かな~と思ったのですが、どうも違うような・・・。
四重櫓台の石垣は、角の長方体の石が長短交互に積み重なる算木積みですが、スタンプの石垣はそうでもなさそうです。
また左後方の石垣の遠近が異なっている――スタンプの画では、左後方の石垣はかなり後ろにありそうです。
植栽の有無も異なっていますね。




スタンプの画角を探しつつ、先へ。

 

(くろがね)御門跡
天守郭を守っていた城門には、鉄板が施されていたそうです。



鉄御門跡から振り返ると、こんな感じ。
このあたりには、石垣の材料として加工されたのに結局用いられなかった残念石が転がっているのですが・・・スルーしてしまいました。



天守郭に入りました。



さっそく天守台に立ちます。





まずは西、本邦5番目の広さを誇る中海が広がっています。
中海は、日本海に開いた湾の入口が砂州によって塞がれてできた潟湖(ラグーン)です。
時は夕刻、中海を照らす夕日を拝みたかったのですが、残念ながらこの日は曇り。
それでも、城郭から望む景色としては全国でも指折りのものだと断言できますね。



北には米子の城下町が広がっています。
その向こうには日本海島根半島
中海の出口である境水道は・・・見えないかな。

一方、足元には内膳丸が存在感を出しています。
現在は市街地になっている内膳丸付近は、かつては中海の一部でした。
内膳丸は中海からやってくる敵兵に備える出丸だったんですね。



東には、中国地方の最高峰・大山(だいせん)が横たわっています。
米子城は山、海、湖、それぞれの景色を堪能できる名城ですね。

さて、城の本丸に到達したということで・・・「城攻め」



続日本100名城・第169番、米子城攻略!



もう1箇所、鳥取藩台場【国指定史跡】も攻略できました。
ちなみに鳥取藩台場は県内各地に8箇所あるのですが、「ニッポン城めぐり」では境港市にある境台場【国指定史跡】を採用しています。




こちらは天守台のお隣、四重櫓台です。
隅にある巨石は忘れ石ですが・・・思いのほか崖っぷちにあって、危険な感じがしますなぁ。



振り返って、先ほどまで立っていた天守台
ここからの眺望はとても素晴らしかったです。





本丸の天守郭を出て、



水手御門へ。
ここから下ると、中海に面した御船出郭に通じます。




天守郭の石垣に沿って、時計回りで進んでいきます。
続100名城スタンプの画角も探していきます。



本丸から張り出た方形の郭。
ここには遠見櫓と呼ばれる櫓が建っていました。



遠見櫓跡から望む内膳丸
この2箇所を登り石垣が結んでいて、中海からの外敵を遮断する役割を担っていました。



下を覗くと、内膳丸までつながっている斜面が見えます。
登り石垣はこの斜面に造成されていたと考えられています。



遠見櫓からの天守郭。
なかなかの迫力ですが、スタンプの絵柄の石垣はなさそうです。






石垣を探し回りながら進み、本丸のスタート地点・番所跡に戻ってしまいました。



絵柄に見合った画角がどうも見つからない・・・。

 

画角を探した挙句、旅行当時に「ここだろう・・・」と定めた場所が、天守台脇からの四重櫓台。
しかしながら後で検討してみると、忘れ石も写っているし背後の石垣もないので、ここからではなさそうですね。


このときの時刻は午後5時18分。
雲もかかったままで夕日も見られないだろうと考え、登城路が暗くなってしまう前に米子城を後にしました。




午 後 五 時 三 十 六 分

米 子 市 内 移 動 中


米子城があった湊山を下り、米子の市街地を歩いていると・・・



夕空が赤く染まっています。



・・・・・・私は、米子城を早々に立ち去ったことをいたく後悔したのでした。






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