鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

天長節・一般参賀

2015-04-07 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 4 年 1 2 月 2 3 日 ( 天 皇 誕 生 日 )

午 前 1 0 時 5 6 分

J R 東 京 駅 丸 の 内 北 口



この日は天長節(天皇誕生日)。
天皇陛下のお誕生日を祝して、皇居内の宮殿前広場にて一般参賀が行われます。


この日は、鬼ヅモ同好会副会長・たか先生と一緒。
私は前日に大宮の先生宅に宿泊。
そして翌朝、なんとなくダラダラして出発時刻が遅れ、東京駅に着いたのは午前11時前になっていました。


一般参賀は、皇居の中で行われます。
普段は予約しないと入れない二重橋の向こう側に、天長節の一般参賀と、新年1月2日の一般参賀のときだけは予約なしで入ることができます。

ただし天長節の一般参賀では、皇居正門の閉門時刻が午前11時20分となっています。
この時刻を過ぎると、天皇陛下に謁見することができません。
当然、天皇陛下のお言葉もいただくことはできません。
祝賀の記帳をすることはできるのですが、その場所は坂下門付近となり、皇居内の移動範囲が狭まってしまうことにもなります。


皇居正門の閉門時刻まで20分ほどということで、さすがに私も、たか先生も口々に、
「もっと早く出ればよかった」
と言いつつ、速足で歩きます。


日比谷通りから行幸通りへと入ると、



反社会的人物に備え、護送車がスタンバイしています。


人の列は皇居外苑付近から始まる長蛇の列。
ああ、これは閉門時刻に間に合うのか??

人待ち列の脇では、ボランティアの小学生が日章旗を配っていました。
「意識高い系」の学生ずれがやっているものよりもずっと殊勝な高尚なボランティアです。
私とたか先生は丁寧に「ありがとうございます」とお礼を申し上げたのでした。

皇居へ向かう人の群れは、ゆっくりながらも着実に進みます。
警視庁からの交通整理員によって人列は制御され、立ち止まることが許されない状況。



こんな状況下でも、晴天に映える桜田櫓【復元】をスルーすることはできません。
なんとかデジカメさんにその姿を収めます。



桜田櫓から水濠を隔てた上方にそびえるのは富士見櫓【現存】。
普段はチラ見程度しか見られないのですが、皇居に入れるこの日だけはたっぷりとお姿を拝むことができるのです。


そうこうしているうちに、皇居前広場に到着。
ここで警視庁による荷物チェック&ボディチェックが行われます。
そういえば桜田門は警視庁のおひざ元でしたね。



こんな日に限ってカバンを2つも持ってきてしまった!
ああっ、カバンの中にカッターナイフが入ってる・・・。


職場で使ったカッターナイフをそのままカバンに入れてきてしまったようです。
そしてそのままたか先生宅に宿泊してしまったのでした。

皇居に入る人の列は、荷物を持つ人とそうでない人とに振り分けられます。
荷物持ちの人のほうが当然時間がかかります。
荷物はコインロッカーにでも預けたほうが無難でしょう。


―――荷物チェック―――ボディチェック―――


心配していた荷物チェックは問題なく通過。
ボディチェックは意外にも女性の警官が行いました。もっとさわっていいんだよ~?

なんて思っていたら、小柄な女性警官が野太い声で人列整理をしていました。
こういう職業の人って、剣道の先生みたいなしゃべり方になってしまうのでしょうか。

まえぇ~ あとぉ~ 右斜めまえぇ~




午 前 1 1 時 3 6 分

皇 居 正 門 前


ボディチェックが終わって皇居正門前に到達。
その時刻はなんと閉門の4分前

なんというギリギリの時刻でしょうか。
思えば東京駅丸の内北口前の信号を強行突破気味に通過したことが功を奏したようです。

・・・だったらもっと早く大宮を出ろよと。

それはともかく、



いつもは固く閉じられ、皇宮警察職員によって守られている皇居正門が開いています。



皇居正門前にかかる正門石橋を渡っています。普段は渡ることができません。
正門石橋から見えるのは正門鉄橋と伏見櫓です。

ちなみに二重橋とはこの正門鉄橋のことを言います。
江戸時代、皇居がまだ江戸城であったころは、ここには木製の橋がかかっていました。
橋からお濠までがあまりにも深かったため、低い橋をかけ、その上にもう一本橋をかけて通行できるようにした二重の橋だったのです。




午 前 1 1 時 4 0 分

つ い に 皇 居 の 中 へ


日本人として生を受けて35年、ついに皇居に入りました!

皇居正門からは、いささか急な坂道とともに180度曲がる急カーブを経て、本当の二重橋に差しかかります。



皇居前広場の正門石橋からはチラ見程度しか見えない伏見櫓【現存】をじっくりと拝むことができます。

ほかにも、正門鉄橋から正門石橋を眺めるなど、普段ではできない貴重な体験が続きます。



正門鉄橋の先にある宮殿東庭門をくぐると、いよいよ天皇陛下がお出ましになる宮殿前広場です。


先に進んでいた参加者たちが、天皇陛下のお出ましを待っています。
手には、おそらく小学生のボランティアが配っていた紙製の日章旗。
自前の大きな日章旗を持ってきた人もいました。




午 前 1 1 時 4 5 分

天 皇 陛 下 お 出 ま し


皇居長和殿のテラスに、天皇・皇后両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、眞子内親王がお出ましになりました。



歓声とともに乱舞するかのごとき日章旗。

静粛の後に天皇陛下がお言葉を述べられました。

お言葉が終わるとふたたび日章旗は乱舞。
そして「天皇陛下、万歳!」の歓声が・・・みんな言っているわけではないようです。
たぶん半々ぐらいだった印象です。



皇族の皆様方が立っておられたテラス。



天皇陛下がお言葉を述べられた際のマイク。



長和殿の脇に立っているこのオブジェは、「松の塔」というものらしいです。



しばらく宮殿前広場にたたずんだあとで、皇居からの退出口へ。



皇居二の丸方面へ下る坂道から、とてもよく見える富士見櫓【現存】。
江戸城で唯一現存する三階櫓で、江戸城の天守が再建されなくなってからは、この富士見櫓が事実上の天守となっていました。

江戸城の天守が再建されなくなったことにより、将軍の臣下である大名が居城を修復、改築した際には、
「将軍家のお膝元である江戸城に天守閣がないのに、ウチの城に天守があっちゃあ気まずいよね・・・そうだ! 見てくれは天守閣だけど『三階櫓』って名前にしちゃおう!」
という城がかなり存在します。
有名なところでは、松平定信の居城であった白河小峰城です。

・・・と、こんな話をたか先生に延々とまくし立てていました。





皇居からの退出門である坂下門です。
この門も普段は固く閉じられています。
ここから出ると皇居前広場の北側に出られます。

しかし坂下門からは退出せず、普段は入れない皇居をもう少し歩きます。



坂下門の近くにあるモダンな建築物は、宮内庁庁舎です。
天皇陛下への祝賀の記帳は、ここに設けられたテントで行います。



坂下門からさらに北のほうへと歩き、富士見櫓に近づいてきました。



櫓の足下に積まれている石垣は、自然石をそのまま積んだ野面積みで、角は見事な「扇の勾配」。
江戸城の普請には各地の大名が動員されていますが(いわゆる「天下普請」)、ここを担当したのは普請の名手・加藤清正だそうです。



進行方向の右手側にある富士見櫓に対して、その反対側にあって人々に見向きもされないのは富士見多聞(たもん)【現存】。
こちらをじっくり見る人はかなりの城好きだと思います。

多聞櫓とは、防衛の役割を果たした長屋のような建物の武器庫です。
「多聞」は大和国にあった多聞山城のことで、城主であった戦国一の梟雄・松永久秀がはじめて建造したことから「多聞櫓」と呼ばれています。

多聞櫓の下側にそびえる石垣がなんとも見事。
(くるわ)を取り巻く石垣は入り組んでいて、石垣を上ってくる敵兵を横から矢で狙撃できる横矢掛かりという仕掛けが組まれています。




皇居二の丸・百人番屋【現存】の前に出ました。
これにて、普段は入れない皇居の散策はおしまいです。




午 後 1 2 時 3 2 分

皇 居 を 出 る


皇居二の丸と本丸を散策し、皇居を出たのは正午過ぎ。
この後は、北の丸を歩いて、靖国神社へ。

靖国神社の参道に立っている銅像が誰だか思い出せなくて・・・
旧名の「村田蔵六」はパッと出てきたのですが・・・
頭の中で悶々と、知識の引出しをかき回して思い出そうとするも、ダメ。

ついに立て看板を見て、大村益次郎だったことを確認しました。
(思い出せなかったのが悔しいので、フォントを大きくしました)

英霊の前で、鬼ヅモ大会の勝利を祈願。



その後は、千鳥ヶ淵の中華料理屋に入って昼食。
歌舞伎町以来の私の引きはこの日も健在でした(T_T)

清澄庭園で散策。
さまざまな巨石が配され「岩の庭園」ともいわれているそうですがたか先生は、
「おんなじ岩ばっかりじゃねぇか」
と暴言。すぐそばに清澄庭園のガイドのじいさんがいました(・.・;)

東京スカイツリー・・・には上らず、とうきょうスカイツリータウンの中にある「うどん本陣山田家」のざるぶっかけうどんを食べてお開きとなりました。



第64回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記へ。



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