鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

白石城リベンジ・前編~天守の中へ

2019-06-16 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 0 年 ( 2 0 1 8 年 ) 9 月 1 日 ( 土 )

午 後 2 時 5 3 分

宮 城 県 白 石 市

J R 白 石 駅 前



 

白石うーめんを食べながら雨が止むのを待って、外に出ました。



JR白石駅うーめん処なかじま前のロータリーから伸びる道。
白石温麺のお店や、仙台銘菓のお店などが建ち並ぶ道をまっすぐ進んでいきます。



突当りにある白石市民バスターミナルの敷地に入ってしまいます。



バスターミナルの敷地からは、小石交じりのコンクリートの道が続いています。
これが白石の城来道(シロクロード)です。
敷地を出た突当りを、案内看板に従って左折します。



路傍を水路が走る城来道。
水の流れは豊かで、白石の街をおおいに潤しています。
この豊かな水を利用した名産品が「白石三白」
白石葛白石和紙白石うーめんの3つの白い製品です。



城来道を折り返して、白石城址である益岡公園に到着しました。




午 後 3 時 0 0 分

白 石 城 址 ・ 益 岡 公 園


益岡公園入口の坂はなかなかのもの。
レンタサイクルを手押しして上ります。

 

二ノ丸大手二ノ門跡地。
二ノ門は明治時代に移築され、現在は市内にある当信寺というお寺の三門となっているようです。
そして「二ノ門」ということは、「一ノ門」がどこかにあったわけであり、後で調べたらそれは城来道沿いにあったようです。
このあたりの門は完全にスルーしてしまいました・・・さらなるリベンジが必要ですな。



進路左手側が本丸であり、それを取り囲むように石垣が造成されています。
現在は下部のみ石垣が残っていますが、これは明治政府による石垣の破却があったためであり、往時は上まで石垣が造成されていました。



入口側の石垣は、自然石をそのまま用いた野面積み
造成された年代は文禄年間(1592年~95年)と推定されています。
中に入っていくと、成型された石で隙間なく積まれている切込接ぎ
最初はブロック塀じゃないのかと勘違いしたほどの成型ぶりですが、江戸時代に地震で崩落した石垣を改修して造成されたものだそうです。



本丸大手二ノ門【再建・白石市指定文化財】が見えてきました。



土塀付近で石垣の色が変わっていますね。
上部の石垣は建物の再建時に造成されたものですが、下部は江戸時代から存続しているものです。
公園入口から続く石垣も、白石市により文化財指定されています。


大手門がチラッと見える石垣の向かいに、白石城歴史探訪ミュージアムがあるので、ここの前にレンタサイクルを駐車させていただきました。
ミュージアムでは白石城にまつわるドラマが上映されているほか、お土産物も販売されています。
100名城スタンプはこちらではありません。


そして・・・



白石城御三階櫓【再建・白石市指定文化財】に8年ぶりのお目見えです。
白石城の建造物は、文政6年(1823年)ごろの姿を忠実に、当時の工法で木造で再建されました。
学術的にも評価が高く、再建建物でありながら市の文化財に指定されています。



三階櫓の足元には、二ノ丸井戸屋形【再建】が建っています。



井戸の向かいに立っている、「白石城の歴史」。
歴代城主の内容は、かなりマニアックに記載されています。


藤原清衡の弟にあたる刈田(かった)経元が白石の地に居館を築いたことが、白石城のはじまりとされています。
刈田経元は後三年の役での功績を鎮守府将軍・源義家に認められ、白石の地の支配を与えられたといいます。
のちに刈田氏は姓を白石氏と改め、戦国時代には伊達稙宗の支配下に入っていきます。

天正19年(1591年)の奥州仕置により伊達政宗は白石の地を蒲生氏郷に譲り渡すことになります。
氏郷の家臣・蒲生郷成が白石に入り、現在にも続く白石城と城下町が築かれました。
慶長3年(1598年)氏郷が死んで蒲生氏が減転封されると、会津若松に上杉景勝が入り、甘糟(あまかす)景継(清長)が白石城主となり、白石城の修築をすすめました。

慶長5年(1600年)徳川家康によって上杉征伐が起こると甘糟景継らの部将は会津に寄せ集められ、徳川方の伊達政宗は城主不在の白石城を攻め取りました。
政宗は白石城に叔父の石川昭光、次いで腹心の片倉景綱を配しました。
江戸幕府による武家諸法度・一国一城令の発布後も、白石城はその例外として公認され、片倉氏が代々城主を務めました。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、白石城で白石列藩会議が開かれ、奥羽越列藩同盟の結成へとつながっていきました。
列藩同盟軍が推戴した輪王寺宮(北白川宮能久親王)も、白石城に滞城されていました。

戊辰戦争後は明治政府の管理下に置かれ、明治7年(1875年)に民間に払い下げられ解体されました。
そのときの売却代金は、主に片倉家中の北海道移住にあてられました。
片倉家中が北海道で開拓した地が、現在の札幌市白石区となっています。





井戸から振り返ると、本丸への順路が見えてきます。
手前側の本丸大手一ノ門【再建・白石市指定文化財】、その奥に本丸大手二ノ門【再建・白石市指定文化財】。
このように門扉は開け放たれ、本丸へと立ち入ることができます!



櫓門となっている二ノ門。
双方の門が並列しているように見える珍しい枡形構造ですが、一二の門の門扉を結ぶ線はしっかり曲線となり、侵入軍の勢いを減殺できるようになっています。
一二の門で囲まれる枡形が細長く、私が歩いたときはなかなか窮屈な空間という印象を受けました。


二ノ門をくぐって、本丸に入ったところで・・・強めの雨。
本丸の検分は後回しにして、急いで三階櫓に駆け込みました。

三階櫓の入場料は、大人400円。
三階櫓+武家屋敷+ミュージアムの上映 の3点共通券は大人800円で、200円お得となっていますが、私はミュージアムでドラマを見るつもりはなかったため、黙って400円を支払いました。


靴を脱いで、中へ。



やはり木のお城はイイですねぇ。



石落としや、



鉄砲狭間もしっかり備わっていますね。
そして続100名城スタンプも、三階櫓の1階に置いてあります。



105番、白石城!
絵柄はもちろん三階櫓ですね。どのアングルなのかは後編で。
それにしても・・・



・・・・・・奥の方から、何者かの視線を感じる・・・・・・。






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