100名城登城の旅も、今回で第23弾を迎えました。
これまでに30都道府県を旅し、
江戸城を皮切りに、訪れた100名城は55城。
19都道府県をコンプリートしています。
しかし・・・
続100名城までコンプリートできているのは、
・宮城県(仙台城・多賀城と、白石城)
・茨城県(水戸城と、土浦城・笠間城)
・栃木県(足利氏館と唐沢山城)
たったの3県にとどまるのです。
そこで今回も、続100名城を中心としたアラカルトの城攻め旅・・・GO TO 続100名城キャンペーンなのです!
やってきたのは、八王子駅。
東京都内の続100名城・滝山城【国指定史跡】の最寄駅です。
滝山城へは、北口から出ているバスで向かうことになりますが・・・
バスを待つ人々の長蛇の列・・・。
「密」の空間を避けるため、混雑する時間帯の乗車を見送り、すなばじゃない方の珈琲店で休憩。
午前9時、人通りが落ち着いてきた頃合いを見て、出発。
八王子駅北口バスプール・12番のりばへ。
朝9時で、気温はすでに30度。
城攻め旅には堪えそうだなぁ。
9時05分発 西東京バス 戸吹行きに乗車。
9時22分、滝山城址下バス停で下車しました。
遅れなしの定時運行、素晴らしいです。
【今回の乗車記録】
八王子駅北口バスプール 12番のりば 9時05分発
(N)西東京バス ひよどり山トンネル経由 戸吹行き
滝山城址下バス停 9時22分着
*所要時間 17分
*移動距離 5.5km
*運賃 IC運賃 315円
最寄りのバス停からまっすぐ城へは向かわず、1ヶ所だけ寄り道をしていきます。
バス停の先に見える信号交差点を右に入ると、
八王子市 加住市民センターがあります。
ここで、滝山城のパンフレットを入手しておきます。さらに・・・
続日本100名城・123番、滝山城!
スタンプの絵柄は、大堀切にかかる引橋です。
今回の画角探しは簡単そうですね。
加住市民センターの更衣室にあるコインロッカーに荷物を預け、これより出陣!
バス停のある国道411号に戻り、
民家の脇道から、滝山城への進入を図ります。
現在は、滝山公園という都立公園になっている滝山城。
滝山城の築城時期は、2つの説があります。
大永元年(1521年)武蔵守護代の大石定重が、敵対する北条氏康の勢力拡大に備えて築城したとされています。
定重の子・定久は河越夜戦をきっかけに北条氏に降伏し、氏康の二男・氏照を養子に迎えます。
そして氏照が城主になり、滝山城が改修、拡張されたと考えられてきました。
しかし近年の研究では、氏照が永禄10年(1567年)ごろに滝山城を築城したと考えられています。
永禄12年(1569年)甲斐の武田信玄が、北条氏との同盟を破棄して攻め込んできました。
北条氏照はこれを迎え撃ちますが苦戦し、滝山城の二の丸まで攻め込まれたとされています。
このときに氏照と武田勝頼がともに槍を交えたといわれていますが、この滝山合戦をきっかけに甲斐寄りの八王子城【国指定史跡】の築城に取り掛かったといいます。
天正15年(1587年)ごろに氏照は居城を八王子に移し、これと同時に滝山城は廃城となったと考えられています。
民家の並ぶ小道を進み、滝山公園の入口へ。
滝山城にとっては正規ルートの大手道にあたります。
なかなかの傾斜をほこる大手道。
最初の坂は、天野坂というそうです。
両側に土塁が並ぶのではなく、地盤を掘って造られた堀底道なので、両サイドからの攻撃の脅威につねに晒されている格好です。
坂をのぼると、左脇に一段深い空堀。
しかしその先を見やると・・・
小宮曲輪という家臣の小宮氏の居住した郭がそびえています。
その高低差は10メートルほどでしょうか。
大手道の右側にも三の丸がそびえ立ち、攻め手は高所からの側面射撃を受け続けることになります。
両サイドの側面攻撃ができるこの場に、さらに枡形虎口があったそうです。
現在は消失していますが、ここを突破したという武田軍の兵力は2万、対して北条軍は2千。
数の力がなければ、到底突破はできなかったでしょうね。
現代になって公園となった滝山城には、私の登城を遮る城兵はいませんが・・・なんだかいや~な音がします。
城の中枢からの分かれ道ですが・・・・・・不快な羽音が耳から離れません。
大手道の左から側面射撃を仕掛けてきた小宮曲輪。
敵兵はもちろんいませんが・・・・・・現代によみがえった小さな北条軍が総攻撃を仕掛けてきました。
虫よけスプレー!
これで小さき北条軍からの攻撃を防ぐことができるでしょう。
それにしても滝山城・・・現代になってもなお難攻不落を誇るとは・・・。
気を引き締めて、城攻めをしなければなりませんな。
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