ちょいと登ってみると・・・
日陰がかかる西湖と、その向こうに見える小さなほら穴。
この穴は
代々の藩主が夏期に涼をとるため、この場所で碁を楽しんだところと伝えられている。
(園内の案内看板より)
だんだん定着しつつある園内看板を丸パクリするスタイル。
それにしても栗林公園の造形物の名称は難読な文字がよくでてきます。
この「爛柯石屋」もそう。
とくに2番目の「柯」の文字。沙摩柯くらいしか目にしたことがありませんね~。
※「
西湖のほとりを歩いていきます。
西湖と築山・会僊巌。
こんもり盛られた小さな丘といった趣ですね。
会僊巌からの対岸はほら穴が口開く鬱蒼とした林でしたが、しだいに崖の露頭があらわれてきます。
この石壁は赤壁ともよばれています。
う~ん、見事に三国志ネタが繋がりましたなぁ。
野趣に富んだ西湖の景を支えている石壁は、“赤壁”とも呼ばれ中国の揚子江左岸にある景勝地で、詩人蘇軾が「赤壁賦」を詠んだことで有名な赤壁に因んで名づけられたとも言われている。自然の岩盤を巧みに取り込んだスケールの大きい庭景を造り出している。
(園内の案内看板より)
こちらが景勝地の赤壁。
三国志のヤマ場・赤壁の戦い(208年)の戦場・・・ではないといわれており、通称「文赤壁」つまり詩文で詠われる赤壁なのです。
戦場であった「三国赤壁」は別の場所にあって、「赤壁賦」の作者である蘇軾自身もカン違いしています。
三国志と赤壁からは離れ、「松の庭園」にあっては異質にも見えるソテツの生えるところへ。
涵翠池という池に出ました。
たぶん読みは「カンスイチ」かと(?_?)
池のそばにある築山には背丈の立派なソテツが立っています。
ソテツの葉が開くさまを鳳凰の羽の広げるさまになぞらえて、
ここのソテツは琉球産で、琉球を支配していた島津家より贈られたものだそうです。
樹齢は300年を超えていて、香川県より天然記念物に指定されています。
ふたたび赤壁へ戻ります。
赤壁からチロチロ流れる滝。
またまた読みのわかりづらい桶樋滝。
何て読むんだ~? 「おけ」の音読みは何だ~? 「ようひだき」かな?
手持ちのパンフレットを見ると、「おけどいのたき」だというのです。
なんだ、訓読みじゃねぇか。
それにしても「ひぐち(樋口)」の「樋」の字は、訓読みでは「どい(とい)」と読むのか。
雨どいの「どい」は「樋」と書くのだろう。
梅の花からしたたる桶樋滝。
美しいだけでなく、漢字の勉強にもなる庭園、それが栗林公園です(*^_^*)
西湖を挟んで、桶樋滝とは向かいの此岸側にある茶室は旧日暮亭です。
旧日暮亭は
そもそも「旧」ってなんでしょう?
園内の案内看板によると・・・
松平二代藩主頼常の頃、南庭の東南隅に「考槃亭」という官休庵流の茶亭があったが、その後、会僊巌の東方に移築、「日暮亭」と改称され、さらには園外の私人に移るなど、この建物は、様々な変遷を経てきた。
昭和20(1945)年、関係者の尽力により、再び園内に「新日暮亭」として甦った由緒ある茶室であるが、歴史的経緯を踏まえ、現在は「旧日暮亭」と呼ばれている。
かみくだいて説明するならば・・・
(1)最初この甲地に茶室A「考槃亭」がありました。
(2)茶室Aは別の場所乙地に移り、「日暮亭」と改名しました。
(3)茶室Aはさらに民間に払い下げられ、移築されてしまいました。
(4)更地であった乙地に茶室Bが建ち、「日暮亭」の名が付きました。
(5)民間に払い下げられていた茶室Aが買い戻され、甲地に移築されました。この茶室は「新日暮亭」となりました。
(6)でもでも、もともとこの茶室が「日暮亭」だったのに、「新」がつくのはおかしくねぇ?
ということで、茶室Aは「旧日暮亭」となりました。
なかなかしちめんどくさい経緯をたどっている茶室です。
でも「日暮亭」の名にこだわらず、「考槃亭」に戻すこともできたような・・・まぁどうでもいいですが。
ここの松もなかなか。
ただ観光客がえらい多かったので、私はあまり深くは立ち入らずに進んでしまいました。
レッドクリフに別れを告げ、西湖の南端へ。
池の向こうにある
園内の石組みで最も古いものとされ、栗林公園の発祥地といわれています。
名もなき立派な石橋を渡り、
いよいよ栗林公園のクライマックス・南湖を歩きます。
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