礼拝宣教 マルコ14章3-9節 受難節(レント)
未曾有の震災から今日で7年目を迎えます。報道を通して非日常的状況に投げ出された人たちの、未だ続く困難を知らされる者です。先日も、当時まだ小学5年生とか6年生の子どもたちが、自分たちの経験したことを自分の言葉で作文として残していて、そこにはほんとうに言葉にしがたいような情景や悲惨な状況が書きつづられていたわけですが。それから7年が経った子どもたちは、それぞれ大学生になっていたり、社会人になっていたりと様々ですが。あの時に自分たちが経験したことを自分の言葉でつづったことが、今の自分たちの生きているスタート、始まりになっている」と、彼らの多くが答えていました。あの想像を絶する状況の中で、多くの人たちがこのように何らかのかたちで「何か」を表現していたと思います。ある人はボランティアに行き、ある人は迎え入れ、ある人は物資を送ったり献金をしたり、祈ったりと様々な形で共感をもってつながっていた。そのときのことを思い起こされる方もおいられるのではないでしょうか。
今日は、ある一人の名もない女性が彼女なりの精いっぱいの思いを込めて主イエスの頭に大変高価なナルドの香油を注いだお話です。この女性は意識していたのかどうかわかりませんが、そのときが、まさに主イエスさまがすべての人びとのために救いの道を拓くために十字架におかかりになる、その備えとしての特別な機会となったというエピソードであります。
さて、聖書は「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」と伝えます。
ベタニアはエルサレムから東南3キロの地点にありますが、そのベタニアという名は「貧しい者の家」「病める者の家」という意味がありました。
主イエスは度々このベタニアを訪れました。そこには重い皮膚病の人シモンの家があり、主イエスはその家を訪れ、弟子たちと共に貧しい者や病める者たちと食事をされていたのであります。
しかし当時のユダヤ社会において、重い皮膚病は神から呪われた者、穢れた者がかかるとみなされ、又その者と接触する者も神に呪われて穢れる、まあそれが伝染する可能性があったからだと思うのですが、そのように考えられていました。
ですから、イエスさまがこの人の家で食事をなさったことは、人々からタブー視されるようなことであったのです。
日本においても、いわゆる「らい予防法」の下で永い間ずっと人権を奪われ、家族やふるさとから断ち切られて、隔離を余儀なくされてきた方々がおられますが。
主イエスはこの重い皮膚病の人シモンの家を訪ねて、シモンと一緒に食事をなさったのです。これは何もシモンだけでなく、同様に病や障がい、又社会的弱者とされてきた人にとっての、文字通り福音であったことでしょう。
まあ、そういう中このシモンの家にやってきた名もない一人の女性が、イエスさまの頭に注ぎかけたのは、純粋で非常に高価なナルドの香油でありました。
それはインドやネパールの山に植えられた植物の根から採取される貴重なもので、その価値は300デナリオン。当時の日雇い労働者の日当が1デナリオンほどであったそうですから、その1年分の年収に匹敵するほどのものであったのです。
この女性がその高価なナルドの香油を如何に手に入れたかは分かりませんが、それは自分の命に次ぐほど大切な宝物であったことに違いなかったでありましょう。
それをまたどうして彼女はこれほど価値あるものを一瞬にして使い切ってしまったのでしょうか?
ここを何度も読みながら思いますのは、彼女がその高価な香油より、なお価高いものを目の当たりにしたからではないか、ということです。
想像しますに。この彼女の魂の深淵にも、重い皮膚病のシモンにも似た、寂しく惨めな思いや、やり場のない辛さ苦しさがあり、自分なぞは神の祝福から遠く隔てられているかのような思いを持って、心閉ざし生きていたのかも知れません。
この人こそメシアではないか、と噂されるイエスさまが、このシモンの家を訪れ、一緒に食事をなさっている。それを見聞きして彼女は、純粋にうれしかったし、彼女自身の心の奥深い痛みや苦しみをこのイエスさまならば知ってくださる。そう信じた、信頼したのではないでしょうか。
「あなたは決して神に忘れられてはいない」ということを、具体的な行為で示されたイエスさまの深いいつくしみ、慈愛に、彼女はどんな宝にも勝る喜びを見出した。それがイエスさまに自分の宝物の香油をすべて注ぐという具体的な行動となってあらわれたと思うんですね。
ところで、イエスさまに高価な香油を注ぎかけたこの女性を見た人々の反応はどうでしたでしょうか。
彼らは「憤慨して互いに『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人に施すことができたのに』と言って、彼女を厳しく咎めた」とあります。
私がもしそこに居合わせていたとしたなら、やはり「あ~もったいない」と、その意見に同調していたかも知れません。彼らも又、その女性と同じようにイエスさまの教えや行動に感動し、喜びや共感を覚えた人たちであったのです。
まあ、だからこそ「この香油を売って貧しい人々に施すことができたのに」と憤慨したのでありましょう。そのように見ればこの人々の考えは、正しく理にかなっているようにも思われます。
道理として考えるなら、その方が世の中の役に立ち、実際何人もの人が助かるでしょう。イエスさまもそのこと自体、否定はされていません。イエスさまが地上において辿られたあゆみを見ましても、そういった働きや隣人愛を大事になさったことは明らかであります。だから、そこにいた人たちは「当然、イエスさまもそうお考えになるだろう」と思ったんじゃないでしょうか。
ところが、イエスさまは彼女を厳しく咎めた人々に対して、「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」とおっしゃるんですね。
「なぜ、この人を困らせるのか」。
彼らにとってそのイエスさまのお言葉は意外なものだったでしょう。
ここで一つ考えさせられるのは、私たちは正しいこと、理にかなっていると思えることを、どこか振りかざして、人を裁いたり、見下したり、というようなことを意識、無意識に拘わらずなすようなことをしてはいないかということであります。
正論や正義感、又合理性だけで判断したり、それで人を裁いたりするようなことをしていないか。
世間では「モラルハラスメント」「モラハラ」という言葉をよく聞くようになりましたが。道徳的、倫理的な正しさや正論で人を咎め、それを強要して相手を追い詰めていくようなことがあるわけです。「こうするのがあたりまえでしょう」とか「かくあるべじ」という押し付けが、人にプレッシャーや重圧を与えたり、その人の自発性を奪ったり、そういった状態が長引くと遂には自らの自由な選択ができなくなってしまうところまで追いつめられてしまう。
話を戻しますが。
確かに、この女性が突然入って来たかと思うと、相当高価な香油を皆の前でその壺をかち割ってイエスさまに注ぎきったという行動は、突拍子もなく非常識に映ります。そういった行動を目の当りにした人たちの間に驚きと衝撃が走ったのも無理はないことでしょう。
ただ、彼女がイエスさまにそれをささげたものは、彼女が思いついた最高のことだったのです。最高の喜びや感謝の表現だったのです。けれど彼女を厳しく咎めた人たちは、それがわからなかった。思い至らなかった。それは彼らが自分たちの物差しで彼女の行動を測ったからです。それが彼女の純粋な思いと表現を蔑ろにすることになったのです。
ちなみに、ルカ福音書(7章)にも一人の女性が香油の入った石膏の壺を持って来て泣きながらイエスさまに香油を塗ったという記事があります。
そこは重い皮膚病のシモンの家でなく、ファリサイ派のシモンの家と記してあります。そのシモンはこの女性がイエスさまになした事を見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思ったとあります。
それに対してイエスさまは、女の方を振り向いて、シモンに言われました。
「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたは接吻のあいさつもしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。
マルコ福音書のシモンとルカのシモンが同一人物かどうかわかりませんが。自分の痛みはわかっても、人の痛みがわかるかといえば、そうとは限りません。そこが人の弱さ至らなさでありますから、まあ同じシモンであったかも知れません。シモンは病の人の痛みは共感できても、罪にさいなまれる人の気持ちは律法の専門家だけにわからなかったのかもしれません。
この主イエスのおっしゃった「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」とのみ言葉は、私たちに信仰の生活の何たるかを教えてくれます。救いに与っているという実感。主への献身をはじめ、あらゆる捧げものの根幹となるものであります。日々主によって赦され、神の前に受け入れられている恵みを感謝し、喜ぶ。
その表れとしてのささげものや、それぞれのかたちでの応答。それは事の大小や形式の問題ではありません。ましてや人に強いられたり、測られるものではありません。本人の喜び、祈り、感謝から、今年のテーマでもありますが、そこから溢れ出るものこそが本物です。これこそが主の前に尊く価値あることとされるのです。マザーテレサは「大切なのは、多くのことなしたかではなく、どれだけ愛を込めたてなしたか」と言われました。ガラテヤ書には「愛によって働く信仰だけが尊いのです」とあるとおりです。
話を戻しますが、イエスさまはさらに言われます。
「わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」。
ここで驚くべきことに、イエスさまは彼女のなした行為をご自分の「埋葬の備えをなしてくれた」と、受けとめておられます。
当時は死者の埋葬に際して香油を塗る習慣があったのですが、イエスさまはご自分がいよいよ十字架への受難の道を歩むその時を自覚されていたのでしょう。ご自分が受けられる苦難と死の意味をそこに汲み取られたのであります。
マルコ10章45節でイエスさまはこのようにおっしゃっていました。
「人の子は仕えられるためでなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。
それは「すべての人びとの罪を贖うための受難の死」であります。この一人の女性は、その救いの恵みを先取りするように、すでにこの時を受け取って、その感謝をこういう形で表して、まさに十字架の受難に向かおうとされているイエスさまを勇気づけた。ご自分はこのような救いを完成されるために十字架に向かうのだと、そのような思いをこの人からお受けになったのではないでしょうか。
この一人の名も無い女性は、自分のなしたことの意味などおそらく考えもしなかったでしょう。
ただ彼女は、イエスさまのもたらされた神の慈愛とその救い平安と解放を、その溢れる感謝と献身の思いをそのような形で表現したに過ぎません。
イエスさまは、そのような純粋な思いをもってささげた彼女に対して、「この人はできる限りのことをした」とおっしいます。
このイエスさまのお言葉を宣教の準備をするなかで改めて聞いた時、私はこれまでこの個所から、主にすべてをささげ切りなさい、すべてを捧げ切って主に従っていきなさいという、どこかそうでなければならない、それが神の前に何か美徳であるように自分は思っていたかもしれないな、と改めて思いました。自分にできる以上のことが要求されているんじゃない。今、与えられている喜びと祈りと感謝の中から、私の身の丈にあった最高のことを心込めてささげられたら、それを主は喜んでいてくださるんだ、ということをうれしい気持ちで新たに受け取ることができました。自分がもっていないようなものを、主は私たちに求めておられるのではなく、救いの喜び、感謝からあふれ出る自由なささげもの、それこそが主の前に尊く価値あることとされる。私たちの主はこのようなお方であることは、ほんとうにうれしいことです。
この女性はイエスさまが十字架に向かわれる時、それは同時に救いが成し遂げられる時を何らか感じ取って、その時に向けての備えとなる自分の最善をささげました。
私たちもいずれ主の時、主の到来の時に臨むでしょう。その日に向け、私の最善を主の前にささるべく、今日もここから遣わされてまいりましょう。
祈ります。