今、2月のファミリーコンサートで演奏したチャイコフスキーの弦楽セレナードの1楽章の録音が部屋に流れています。
これはなかなか聴いててもシンドイ・・・(笑)
元々、プレイヤー一人ひとりがそれなりのレベルの弾き手でも難しい曲ですから、聴いていて見事な演奏になるにはとてもハードルが高いのです。
それでも弦楽器奏者にとっては一度は弾いてみたい名曲でありまして、聴く人そっちのけでも、また弾き手自身も弾いているその時は余裕など無く必死で凄まじい形相であっても、この曲を演奏したという達成感と満足感はかけがえのないものだと思います。
ちなみに単なる記念としてだけでなく、自らの演奏の録音を聴くことは大変勉強になります。マイクに拾われた客観的な音、お客様にはどう聴こえているのかが明確に解ります。
今は練習の都度に録音し、それを練習後に確認して次の練習に活かされている方も大勢おられますが、オヤジは基本的に物臭なのと、屁理屈こねれば結果的に確認できるのは常に事後でしかありませんから、そこまではやっておりません。
それでも聴きに来ていただく人のシンドさを少しでも心地良さに近づけるために、またまた練習に励まなくてはと思っております。
これはなかなか聴いててもシンドイ・・・(笑)
元々、プレイヤー一人ひとりがそれなりのレベルの弾き手でも難しい曲ですから、聴いていて見事な演奏になるにはとてもハードルが高いのです。
それでも弦楽器奏者にとっては一度は弾いてみたい名曲でありまして、聴く人そっちのけでも、また弾き手自身も弾いているその時は余裕など無く必死で凄まじい形相であっても、この曲を演奏したという達成感と満足感はかけがえのないものだと思います。
ちなみに単なる記念としてだけでなく、自らの演奏の録音を聴くことは大変勉強になります。マイクに拾われた客観的な音、お客様にはどう聴こえているのかが明確に解ります。
今は練習の都度に録音し、それを練習後に確認して次の練習に活かされている方も大勢おられますが、オヤジは基本的に物臭なのと、屁理屈こねれば結果的に確認できるのは常に事後でしかありませんから、そこまではやっておりません。
それでも聴きに来ていただく人のシンドさを少しでも心地良さに近づけるために、またまた練習に励まなくてはと思っております。