被災した方々を様々な形で応援することも大事ですが、思いやることも大事です。
思いやるとは何かをするということではなく、何かと気にかける、気を付けるということでしょうか。
言葉は思いやりにもなりますが、傷つけるものにもなります。
こういう記事が出ると残念に思う一方、その言葉が出た背景や話しの流れが一切報じられず、その言葉だけがクローズアップされることに危うさも感じます。
どういった背景、話しの流れかでその言葉を使った考え方、感情が見えてきます。実はそこが一番押さえるべきことだと思います。
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<「セシウム牛はいらない」大分県議、イベントで絶叫>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2011年10月11日
大分県由布市湯布院町で10日開かれた「第37回牛喰い絶叫大会」で、近藤和義県議=同市選出=が、地元産牛肉が安全であるとアピールした後、「セシウム牛はいりません」と絶叫していたことが11日、分かった。
大会は参加者が地元産の牛肉を食べ、日ごろの思いを叫ぶイベント。地元関係者として本番前にステージに立った近藤氏は「汚染された稲わらを食べた牛肉が出回ることがあったが、今日食べる牛肉は汚染の心配はありません」と前置きして「セシウム牛はいりません」と叫んだという。
近藤氏は「国はセシウム汚染牛の対応を県や生産者側に任せっぱなし。国を批判する意味合いを込めたが、言葉足らずだったかもしれない」と釈明している。
思いやるとは何かをするということではなく、何かと気にかける、気を付けるということでしょうか。
言葉は思いやりにもなりますが、傷つけるものにもなります。
こういう記事が出ると残念に思う一方、その言葉が出た背景や話しの流れが一切報じられず、その言葉だけがクローズアップされることに危うさも感じます。
どういった背景、話しの流れかでその言葉を使った考え方、感情が見えてきます。実はそこが一番押さえるべきことだと思います。
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<「セシウム牛はいらない」大分県議、イベントで絶叫>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2011年10月11日
大分県由布市湯布院町で10日開かれた「第37回牛喰い絶叫大会」で、近藤和義県議=同市選出=が、地元産牛肉が安全であるとアピールした後、「セシウム牛はいりません」と絶叫していたことが11日、分かった。
大会は参加者が地元産の牛肉を食べ、日ごろの思いを叫ぶイベント。地元関係者として本番前にステージに立った近藤氏は「汚染された稲わらを食べた牛肉が出回ることがあったが、今日食べる牛肉は汚染の心配はありません」と前置きして「セシウム牛はいりません」と叫んだという。
近藤氏は「国はセシウム汚染牛の対応を県や生産者側に任せっぱなし。国を批判する意味合いを込めたが、言葉足らずだったかもしれない」と釈明している。