この方はオヤジと同じ年。
直接存じ上げているわけではないが、ここをちょくちょく覗いては勉強させていただいています。
15日の不規則発言は、不良クリスチャンのオヤジとしてもまさに同感。
解りやすく、一部だけ無断ではありますが引用させていただきますと・・・
○靖国問題の構図は、きわめて簡単なのである。2つの少数派がある。右の少数派は、「首相は参拝すべきである」と思っている。そして左の少数派は、「首相が参拝してはいけない」と思っている。そして真ん中の多数派は、「そんなもん、どっちでも構わんじゃないか」と思っている。
○ところが、この多数派には、「他人の信仰について、とやかく言わない」という美風がある。これは日本人全体に共通することだと思うのだが、宗教に対してきわめて寛容なのである。たとえ熱心なクリスチャンであったとしても、他人が異教徒であることを問題にしないし、無理やり自分の宗派に帰依させようとはしない。極端な話、日本人はクリスチャンになってもどこか多神教的なのである。
とても敬虔でなく単なる不良クリスチャンなので説得力はいたく乏しいですが、オヤジも幼いころに教えをいただいた牧師が神社仏閣では信心としてではなく尊敬として手を合わせればよいと教えてくれたことを鮮明に覚えています。
そもそも神社仏閣とひとくくりにできてしまうのも、日本人の良い意味での適当さでしょう。
ただこの方もおっしゃっていますが、国際的に難しいのはこういった寛容な国民性というのが極めて日本独特だということを日本人が自覚していないことなんだと思います。
宗教が絡むと理屈としての「理解」を得ることが実はとても難しい、そこに気付けば行動の選択肢は変わってくるんじゃないでしょうか。
直接存じ上げているわけではないが、ここをちょくちょく覗いては勉強させていただいています。
15日の不規則発言は、不良クリスチャンのオヤジとしてもまさに同感。
解りやすく、一部だけ無断ではありますが引用させていただきますと・・・
○靖国問題の構図は、きわめて簡単なのである。2つの少数派がある。右の少数派は、「首相は参拝すべきである」と思っている。そして左の少数派は、「首相が参拝してはいけない」と思っている。そして真ん中の多数派は、「そんなもん、どっちでも構わんじゃないか」と思っている。
○ところが、この多数派には、「他人の信仰について、とやかく言わない」という美風がある。これは日本人全体に共通することだと思うのだが、宗教に対してきわめて寛容なのである。たとえ熱心なクリスチャンであったとしても、他人が異教徒であることを問題にしないし、無理やり自分の宗派に帰依させようとはしない。極端な話、日本人はクリスチャンになってもどこか多神教的なのである。
とても敬虔でなく単なる不良クリスチャンなので説得力はいたく乏しいですが、オヤジも幼いころに教えをいただいた牧師が神社仏閣では信心としてではなく尊敬として手を合わせればよいと教えてくれたことを鮮明に覚えています。
そもそも神社仏閣とひとくくりにできてしまうのも、日本人の良い意味での適当さでしょう。
ただこの方もおっしゃっていますが、国際的に難しいのはこういった寛容な国民性というのが極めて日本独特だということを日本人が自覚していないことなんだと思います。
宗教が絡むと理屈としての「理解」を得ることが実はとても難しい、そこに気付けば行動の選択肢は変わってくるんじゃないでしょうか。