オヤジも10数年前に営業でこのあたりをよく通っていた頃、通る度に何だろうと思っていたんです。
思いがけずここで吹っ切れました。
ちなみに「幻の貨物新幹線」の遺構は東海道でココだけなんでしょうかね。
計画されていれば、後から継ぎ足しで作るよりも最初に踏まえて作っておいた方がいいとは思いますが、計画の実現までに時間がかかり過ぎたり、今回のように結局頓挫して放置となると、これとて費用がかかることですからちょっと考えものではあります。
そういえば、高速道路でも時々不思議な分岐の切れ端みたいな場所があります。
あれも同じというワケですな。
継ぎ足しの無駄を省くのか、計画を頓挫させないための実績作りなのか、いずれにしても結局取り壊すということは無駄に作ったということ。
無駄の遺構として残しても安全面の点検維持を考えると、それこそ無駄ですな。
取り壊しに納得です。
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<消える幻の貨物新幹線残骸 摂津の高架橋、「謎」のまま撤去へ>
YAHOOニュース 産経新聞配信 http://headlines.yahoo.co.jp/ 2014年1月20日
大阪府摂津市の東海道新幹線をまたぐ“謎の高架橋”をご存じだろうか。巨大なコンクリート製の構造物は、半世紀前に建設された「幻の貨物新幹線」の残骸だ。かつて東海道新幹線に高速貨物列車を走らせる計画があったことを示す貴重な「遺構」だが、JR東海は高架橋をすべて撤去する方針を固めた。実現していれば、物流の歴史が変わっていたかもしれない壮大な計画。その名残をとどめる遺構は、列車が通ることのないままひっそりと姿を消す。(大竹直樹)
◆半世紀「気づかず」
「言われるまで気づかなかった。建設途中にも見えるが、長年あのまま放置されているよ。無駄だね」
新幹線の鳥飼車両基地(摂津市)に近い住宅街。近所の久保強志さん(74)が遺構を見上げた。貨物新幹線の遺構であることを示す記念碑などはなく、地元住民は誰も気にも留めてこなかったという。
JR東海によると、遺構は高さ約15メートルに位置するコンクリート製の高架橋。東海道新幹線の線路をまたぐ形で、もともと長さ約90メートルあったが、既に撤去工事が進み、今では長さ約40メートルに。近い将来、すべて撤去する方針だ。
◆計画破綻も日々点検
昭和34年の国鉄資料によると、貨物新幹線は東京-大阪間を5時間半で結ぶ計画だった。夜間に最新鋭の高速コンテナ列車が走行。38年の国鉄パンフレットには、コンテナ車のイメージ模型も紹介されている。
しかし、39年10月の新幹線開業時に高速コンテナ列車が華々しくデビューすることはなく計画は幻に終わった。
一説には、貨物新幹線は、新幹線建設のため世界銀行から融資を受ける目的で立案されたもので、もとより実現の見込みはなかったともいわれる。
だが、摂津市に残る遺構の存在がそうした見方に異を唱える。貨物新幹線の高架橋は、東海道新幹線から分岐し、付近に計画されていた新幹線貨物駅に向かう計画だったとみられる。新幹線貨物駅の建設用地は現在、JR貨物の大阪貨物ターミナル駅となっている。
遺構は「無用の長物」と化していたが、JR東海は62年の国鉄民営化以降、耐震補強工事を施し、日々の点検も欠かさず行ってきた。ただ、同社の担当者は「これまで残してきたのは、『遺構』だからというわけではない」という。
遺構の真下には、最短3分間隔で1日に336本の新幹線が通過。高架橋の撤去工事のために新幹線を止めることができなかったのが主な理由だ。
JR東海は「安全に撤去できる工法が確立できたため、撤去することにした」としている。
◆「どうでも」「感慨」
部活帰りの女子中学生の集団が近くを自転車で通りかかった。
「トンネルか駅かなんかだと思った」「取り壊されてもどうでもいい」と反応はさまざまだが、半世紀前の貴重な遺構と知ると「せっかくの記念だから、残しておいてもいいのでは」と惜しむ声も。
昭和の鉄道史に詳しい作家の小牟田哲彦さんは「新幹線の建設当初は貨物輸送の可能性を構想していたことが分かる遺構。半世紀を経て撤去されるのは感慨深い」と話している
思いがけずここで吹っ切れました。
ちなみに「幻の貨物新幹線」の遺構は東海道でココだけなんでしょうかね。
計画されていれば、後から継ぎ足しで作るよりも最初に踏まえて作っておいた方がいいとは思いますが、計画の実現までに時間がかかり過ぎたり、今回のように結局頓挫して放置となると、これとて費用がかかることですからちょっと考えものではあります。
そういえば、高速道路でも時々不思議な分岐の切れ端みたいな場所があります。
あれも同じというワケですな。
継ぎ足しの無駄を省くのか、計画を頓挫させないための実績作りなのか、いずれにしても結局取り壊すということは無駄に作ったということ。
無駄の遺構として残しても安全面の点検維持を考えると、それこそ無駄ですな。
取り壊しに納得です。
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<消える幻の貨物新幹線残骸 摂津の高架橋、「謎」のまま撤去へ>
YAHOOニュース 産経新聞配信 http://headlines.yahoo.co.jp/ 2014年1月20日
大阪府摂津市の東海道新幹線をまたぐ“謎の高架橋”をご存じだろうか。巨大なコンクリート製の構造物は、半世紀前に建設された「幻の貨物新幹線」の残骸だ。かつて東海道新幹線に高速貨物列車を走らせる計画があったことを示す貴重な「遺構」だが、JR東海は高架橋をすべて撤去する方針を固めた。実現していれば、物流の歴史が変わっていたかもしれない壮大な計画。その名残をとどめる遺構は、列車が通ることのないままひっそりと姿を消す。(大竹直樹)
◆半世紀「気づかず」
「言われるまで気づかなかった。建設途中にも見えるが、長年あのまま放置されているよ。無駄だね」
新幹線の鳥飼車両基地(摂津市)に近い住宅街。近所の久保強志さん(74)が遺構を見上げた。貨物新幹線の遺構であることを示す記念碑などはなく、地元住民は誰も気にも留めてこなかったという。
JR東海によると、遺構は高さ約15メートルに位置するコンクリート製の高架橋。東海道新幹線の線路をまたぐ形で、もともと長さ約90メートルあったが、既に撤去工事が進み、今では長さ約40メートルに。近い将来、すべて撤去する方針だ。
◆計画破綻も日々点検
昭和34年の国鉄資料によると、貨物新幹線は東京-大阪間を5時間半で結ぶ計画だった。夜間に最新鋭の高速コンテナ列車が走行。38年の国鉄パンフレットには、コンテナ車のイメージ模型も紹介されている。
しかし、39年10月の新幹線開業時に高速コンテナ列車が華々しくデビューすることはなく計画は幻に終わった。
一説には、貨物新幹線は、新幹線建設のため世界銀行から融資を受ける目的で立案されたもので、もとより実現の見込みはなかったともいわれる。
だが、摂津市に残る遺構の存在がそうした見方に異を唱える。貨物新幹線の高架橋は、東海道新幹線から分岐し、付近に計画されていた新幹線貨物駅に向かう計画だったとみられる。新幹線貨物駅の建設用地は現在、JR貨物の大阪貨物ターミナル駅となっている。
遺構は「無用の長物」と化していたが、JR東海は62年の国鉄民営化以降、耐震補強工事を施し、日々の点検も欠かさず行ってきた。ただ、同社の担当者は「これまで残してきたのは、『遺構』だからというわけではない」という。
遺構の真下には、最短3分間隔で1日に336本の新幹線が通過。高架橋の撤去工事のために新幹線を止めることができなかったのが主な理由だ。
JR東海は「安全に撤去できる工法が確立できたため、撤去することにした」としている。
◆「どうでも」「感慨」
部活帰りの女子中学生の集団が近くを自転車で通りかかった。
「トンネルか駅かなんかだと思った」「取り壊されてもどうでもいい」と反応はさまざまだが、半世紀前の貴重な遺構と知ると「せっかくの記念だから、残しておいてもいいのでは」と惜しむ声も。
昭和の鉄道史に詳しい作家の小牟田哲彦さんは「新幹線の建設当初は貨物輸送の可能性を構想していたことが分かる遺構。半世紀を経て撤去されるのは感慨深い」と話している