「学問は権力の下僕ではない」という主旨には大いに共感です。
大勢がそうだと言っていることについて、「本当にそうか?」を問いかけ、追求するところに学問の本質があると思います。
だから、「戦争反対」と「憲法違反」だけが前面に立ち、いかにもこのままでは日本は自ら進んで戦争の道を歩むに違いないと決めつける反対意見の多くに「本当にそうか?」とオヤジは感じています。
どうすれば今の情勢の中で日本の平和と日本人の安全を守れるのか?
脅威が増している時期だからこそ、ここの議論をするのが安保体制についての議論のはずです。
オヤジは「特殊な国」よりも「普通の国」でありたいと思います。
勿論、「血を流すことを貢献と考える」ことではありません。
世界の中で日本が「普通」と受け止められる国であるということです。
学者の方の声明ですから致し方ないのでしょうが、「知を生み出すことを誇る特殊な国」には共感できません。
それは自己満足でしかなく、今の世界の人から見た「特殊な国」と「特殊」のどこか違うのか?
大勢が共感すると某新聞が報じるからこそ、「本当にそうか?」と問いかけたいと考えます。
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<学問は権力の下僕ではない…京大有志の声明、共感広がる>
朝日新聞 http://www.asahi.com/ 2015年7月18日
衆院を通過し、審議が参院に移ることになった安全保障関連法案。憲法学者らから「法案は違憲」との指摘を受けながら成立へ突き進む安倍政権に対し、一風変わったメッセージで待ったをかけようとする動きがある。インターネットや口コミを通じ、賛同者がじわり広がっている。
〈戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。〉
安保法案の採決が衆院特別委員会で強行された15日の前夜、京都大吉田キャンパス(京都市)の教室で、詩のような声明書が読み上げられた。
〈戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。〉
京都大人文科学研究所で准教授を務める藤原辰史(たつし)さん(38)が、ゆっくりと読んでいく。学者、研究者、市民合わせて賛同者が3万人を超えた「安全保障関連法案に反対する学者の会」と学生たちによる緊急シンポジウムの場。約600人の参加者でぎゅうぎゅう詰めになり、熱気が漂う教室が静寂に包まれる。
〈精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。〉
太平洋戦争が終わってから70年。沖縄の人たちは今も米軍基地と向き合う。集団的自衛権を使い、自衛隊が海外で武力を行使することを認める安保法案は様々な危険性をはらむ。
〈血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。〉
戦後70年間、憲法9条のもとで戦争を放棄してきた日本。声明書は、こうした姿勢を変えて米国との関係を強化したうえでの「積極的平和主義」を推し進めようとする安倍政権に疑問を投げかける。そして、太平洋戦争で大学が戦争に協力したことへの反省も込め、決意を示す。
〈学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。〉
藤原さんが1分半ほどかけて読み終えると、教室内に拍手が10秒ほど続いた。
■ □ ■
声明書を作ったのは、今月2日に立ち上がった「自由と平和のための京大有志の会」。ふだんは戦時中の食べ物の歴史を研究する傍ら、安保法案などについて同僚や学生と議論している藤原さんが草稿を書いた。
ホームページ(http://www.kyotounivfreedom.com/別ウインドウで開きます)に声明書を載せると、ツイッターなどを通じネット空間に拡散。「歴史をふまえた名文」「ハートを撃ち抜かれました」といった書き込みとともに賛同する人も増え、フェイスブックで賛意を示す「いいね!」は1万9千件に達した。北海道や静岡などの集会で声明書を読んだという連絡も寄せられ、藤原さんは「勇気づけられます」と話す。
教員や留学生には翻訳を買って出る人も。英語、中国語、韓国語、ポーランド語、イタリア語、アラビア語などの声明書ができ、ホームページに載っている。藤原さんは「学者、学生、市民が自由に発想し、議論ができる勉強会を企画していく。市民の目線で戦争の愚かさ、平和や自由の大切さについて考え、その成果を発信していきたい」と話している。(増谷文生)
大勢がそうだと言っていることについて、「本当にそうか?」を問いかけ、追求するところに学問の本質があると思います。
だから、「戦争反対」と「憲法違反」だけが前面に立ち、いかにもこのままでは日本は自ら進んで戦争の道を歩むに違いないと決めつける反対意見の多くに「本当にそうか?」とオヤジは感じています。
どうすれば今の情勢の中で日本の平和と日本人の安全を守れるのか?
脅威が増している時期だからこそ、ここの議論をするのが安保体制についての議論のはずです。
オヤジは「特殊な国」よりも「普通の国」でありたいと思います。
勿論、「血を流すことを貢献と考える」ことではありません。
世界の中で日本が「普通」と受け止められる国であるということです。
学者の方の声明ですから致し方ないのでしょうが、「知を生み出すことを誇る特殊な国」には共感できません。
それは自己満足でしかなく、今の世界の人から見た「特殊な国」と「特殊」のどこか違うのか?
大勢が共感すると某新聞が報じるからこそ、「本当にそうか?」と問いかけたいと考えます。
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<学問は権力の下僕ではない…京大有志の声明、共感広がる>
朝日新聞 http://www.asahi.com/ 2015年7月18日
衆院を通過し、審議が参院に移ることになった安全保障関連法案。憲法学者らから「法案は違憲」との指摘を受けながら成立へ突き進む安倍政権に対し、一風変わったメッセージで待ったをかけようとする動きがある。インターネットや口コミを通じ、賛同者がじわり広がっている。
〈戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。〉
安保法案の採決が衆院特別委員会で強行された15日の前夜、京都大吉田キャンパス(京都市)の教室で、詩のような声明書が読み上げられた。
〈戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。〉
京都大人文科学研究所で准教授を務める藤原辰史(たつし)さん(38)が、ゆっくりと読んでいく。学者、研究者、市民合わせて賛同者が3万人を超えた「安全保障関連法案に反対する学者の会」と学生たちによる緊急シンポジウムの場。約600人の参加者でぎゅうぎゅう詰めになり、熱気が漂う教室が静寂に包まれる。
〈精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。〉
太平洋戦争が終わってから70年。沖縄の人たちは今も米軍基地と向き合う。集団的自衛権を使い、自衛隊が海外で武力を行使することを認める安保法案は様々な危険性をはらむ。
〈血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。〉
戦後70年間、憲法9条のもとで戦争を放棄してきた日本。声明書は、こうした姿勢を変えて米国との関係を強化したうえでの「積極的平和主義」を推し進めようとする安倍政権に疑問を投げかける。そして、太平洋戦争で大学が戦争に協力したことへの反省も込め、決意を示す。
〈学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。〉
藤原さんが1分半ほどかけて読み終えると、教室内に拍手が10秒ほど続いた。
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声明書を作ったのは、今月2日に立ち上がった「自由と平和のための京大有志の会」。ふだんは戦時中の食べ物の歴史を研究する傍ら、安保法案などについて同僚や学生と議論している藤原さんが草稿を書いた。
ホームページ(http://www.kyotounivfreedom.com/別ウインドウで開きます)に声明書を載せると、ツイッターなどを通じネット空間に拡散。「歴史をふまえた名文」「ハートを撃ち抜かれました」といった書き込みとともに賛同する人も増え、フェイスブックで賛意を示す「いいね!」は1万9千件に達した。北海道や静岡などの集会で声明書を読んだという連絡も寄せられ、藤原さんは「勇気づけられます」と話す。
教員や留学生には翻訳を買って出る人も。英語、中国語、韓国語、ポーランド語、イタリア語、アラビア語などの声明書ができ、ホームページに載っている。藤原さんは「学者、学生、市民が自由に発想し、議論ができる勉強会を企画していく。市民の目線で戦争の愚かさ、平和や自由の大切さについて考え、その成果を発信していきたい」と話している。(増谷文生)