成人の日は今年は9日(月)ですが、8日(日)に成人式をやってしまう自治体も多いようです。
まだ正月気分が抜けない中、すぐに3連休は一昨日も書きましたがどちらかといえば有難迷惑。
オヤジにしてみれば第3週に3連休がくるのが丁度良いのですけど。
毎度、毎年の如く酒に飲まれる連中が成人式を騒がします。
20年前は可愛い赤ちゃんだったはずなのに、画面に映るのは顔は幼い割に雰囲気が妙に擦れた連中ばかり。
20年の時をどう過ごしてきたのでしょう。
記事を読みながら振り返ると10年一昔なら二昔前の話しです。
読んでいると「言われてみれば、そんなことがありましたね。」ということばかり。
記事の末尾にもありますが、この頃はまだ主流はパソコン通信でモデムに繋いで電話料金を気にしながらやっていました。
インターネット社会が一般的になり始めるちょっと前ぐらいだったと思います。
オヤジも個人的なHPを遊びでシコシコ作っていた時期。
まだネット上に放置状態で残っているのでそろそろ整理しなければいけませんが、面倒臭くて後回し状態です。。
当時は個人的HPはハシリでしたが、今や最後発組に回っています。(笑)

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<【新成人】猿岩石、たまごっち…生まれた年を振り返る>
ヤフーニュース 毎日新聞配信 http://headlines.yahoo.co.jp/ 2017年1月8日
9日は「成人の日」。同日までの3連休中は、全国各地で成人式が予定されている。総務省推計の1996年1~12月生まれの人数は123万人。新成人は年度で区切ることが多いため、96年4月~97年3月生まれが新成人に当たる。「つい最近のこと」と思っていた当時の出来事を振り返ると、新成人に限らず懐かしい気持ちになってくる。【大村健一/デジタル報道センター】
◇96年の「今年の漢字」は「食」 揺らいだ安全
例年、日本漢字能力検定協会がその年の世相を表す漢字1文字を公募する「今年の漢字」。96年にもっとも多くの票を集めたのは「食」だった。食の安全がクローズアップされる事件が相次いだことが最大の理由だった。
「病原性大腸菌O157」による集団食中毒は、5月に岡山県邑久(おく)町(現・瀬戸内市)の小学校で、給食を食べた児童に下痢や発熱が広がって1年生の女児2人が死亡し、その後、全国に感染が拡大した。7月には大阪府堺市でも学校給食を食べた児童が発症し、9000人以上が感染する事態となった。児童3人が死亡し、一昨年も後遺症が原因で女性が死亡した。
また、96年は牛海綿状脳症(BSE)という牛の奇病に国内外で注目が集まった。牛の脳がスポンジ状になり、奇声を発したり、立てなくなったりする病気で、当時「狂牛病」と呼ばれていた。BSEに似た人間の病気、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が、BSEに感染した牛から人間に感染する可能性が否定できず、英国を中心に対策が始まった。日本では2001年9月に初めてBSEが確認され、翌10月から全頭検査が始まったが、09年1月以降BSEは確認されていない。厚生労働省は今年4月に全頭検査を廃止し、神経障害のある牛だけに切り替える。
大きな事故もあった。97年1月2日の未明、島根県隠岐島沖でロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」が遭難し、大量の重油が流出して日本海沿岸の広範囲に広がった。油まみれの鳥や、各地から駆けつけた重油を取り除くボランティアの様子は連日、報道された。漁業関係者の被害に加えて、自然環境にも影響が出た。踏むと音がする「鳴き砂」の砂浜として知られる丹後半島の琴引浜にも重油が漂着し、除去作業が続いた。観光業者などがキャンペーンを実施して、風評被害の対策に取り組んだ。
◇「食」に隠されたもう一つの意味 政・官の腐敗相次ぐ
毎日新聞は96年12月13日の朝刊で、今年を表現する漢字に「食」を推した人の理由を紹介している。まず「病原性大腸菌O157がショックだった」との意見が紹介されているが、「官僚が税金をつまみ『食』い」「福祉が『食』い物に」などの声も寄せられたという。2位は「菌」だったものの、3位以下は「汚」「怒」「官」と続く。官僚など公務員の汚職に対する国民の怒りが向けられた。
市民団体などの情報公開請求により、全国各地の自治体で「カラ出張」「カラ接待」で裏金を作っていたことが明らかになった。当時の毎日新聞によると、裏金は内々の飲み会や慶弔費などに浪費されていたケースがほとんどだったといい、当時の秋田県知事はこの問題をきっかけに96年11月、辞意を表明した。旧大蔵省、旧厚生省、旧通産省では、便宜を期待する企業などから幹部への多額の接待などの実態が明るみに出た。公務員同士の官官接待の問題も続いた。
政治を振り返ると、自民党、社会党、新党さきがけの3党連立による村山富市内閣が退陣し、96年1月、橋本龍太郎内閣が誕生した。橋本首相のもと、10月20日に現在も続く「小選挙区比例代表並立制」で初めての衆院選が投開票され、自民党は239議席を獲得した。11月に発足した第2次橋本内閣は3党連立を解き、自民党単独政権となった。
経済は、多額の不良債権を抱えた「住専(住宅金融専門会社)」の損失に6850億円の公的資金が投入されることに対して批判が巻き起こり、国会が紛糾した。また、和歌山市が本店の阪和銀行が多額の不良債権を抱えて経営破綻し、旧大蔵省から銀行として戦後初めて業務停止命令を受けた。翌97年は「4大証券」(野村、大和、日興、山一)の一角だった山一証券が自主廃業し、北海道拓殖銀行が破綻に追い込まれた。ちなみに97年の「今年の漢字」は大企業の倒産が相次いだことなどから「倒」だった。
海外で長期に及ぶ大事件があった。96年12月17日にペルーの首都リマの日本大使公邸を左翼ゲリラが襲撃し、大使館員やペルー政府の要人らを含む600人以上を人質に占拠した。翌97年4月に軍特殊部隊が突入し、ようやく人質は救出された。公邸地下に穴を掘って進められた救出作戦に多くの人が目を見張った。
◇「猿岩石」 ユーラシア大陸横断ヒッチハイクで人気者に
例年、一躍、人気者になるお笑い芸人がいる。96年は、有吉弘行と森脇和成の2人組お笑いコンビ「猿岩石」(2004年に解散)が、香港からロンドンまでヒッチハイクで大陸を横断する壮大な旅で人気者になった。日本テレビ系のバラエティー番組「進め! 電波少年」内の企画で、当初の2人の知名度は低かったが、4月の放送開始から10月のゴールまで、たくましく旅を続ける様子が話題となった。旅の途中で発売した書籍「猿岩石日記」や、帰国後に元チェッカーズの藤井フミヤ・尚之兄弟が提供した曲「白い雲のように」はともに大ヒットした。
芸能界は、SMAP(当時)の木村拓哉さんの「キムタク」ブーム、安室奈美恵さんの「アムラー」ブームのまっただ中。木村さんは96年に出演したドラマ「ロングバケーション」(フジテレビ系)、「協奏曲」(TBS系)がいずれも高視聴率をマークした。安室さんは、茶髪のロングヘア、細い眉などのファッションをまねする女性「アムラー」が多く、97年2月に発売された「CAN YOU CELEBRATE?」は97年最大のヒット曲で、結婚式の定番曲になった。
映画「男はつらいよ」シリーズで「フーテンの寅さん」こと車寅次郎役を演じた俳優の渥美清さんが96年8月4日に68歳で亡くなり、のちに国民栄誉賞が贈られた。「ドラえもん」の作者である漫画家の藤子・F・不二雄さんも9月23日に62歳で亡くなるなど、幅広い世代に親しまれた才能が世を去った。
◇「自分で自分をほめたい」「メークドラマ」…スポーツが生んだ流行語 ポケモン、プリクラ、たまごっちも流行
1996年夏に米国・アトランタで開催された五輪は、日本のメダル数は金3個、銀6個、銅5個とやや寂しい結果。しかし、女子マラソンで、前回のバルセロナ五輪でも銀メダルを獲得していた有森裕子さんが力走して銅メダルを獲得。「自分で自分をほめたい」は新語・流行語大賞に決まった。サッカー(当時は男子のみ開催)は予選のグループリーグで敗退したものの、初戦で強豪・ブラジルを1-0で破る「マイアミの奇跡」を起こした。02年のサッカー・ワールドカップ日韓共催が決まったのは96年5月31日のことだった。
野球は、前年に近鉄(04年にオリックスと球団合併)から米大リーグ・ドジャースに移籍した野茂英雄投手が、96年9月17日のロッキーズ戦で無安打無得点試合(ノーヒット・ノーラン)を達成。16勝をマークし、秋に日米野球で日本に「凱旋(がいせん)」している。野茂投手はレッドソックス時代の01年にも2度目のノーヒット・ノーランを達成した。
プロ野球は巨人が、首位を走っていた広島との最大11.5ゲーム差をはね返して優勝。長嶋茂雄監督(現・終身名誉監督)が逆転に向けて選手を鼓舞するために盛んに口にした「メークドラマ」も新語・流行語大賞に選ばれた。
IT・ゲーム関連は、96年2月に発売された任天堂のゲームソフト「ポケットモンスター赤・緑」は、漫画雑誌と連動する「メディアミックス戦略」も奏功し、小学生を中心に大ヒット。バンダイが96年11月に発売した携帯型の育成ゲーム「たまごっち」は翌97年にかけて女子高生の口コミをきっかけに一大ブームとなり、品切れが相次いだ。女子高生の間では、95年に発売された顔や姿を撮影してシールに印刷する「プリント倶楽部(プリクラ)」ブームも本格化した。
日本初の商用検索サイトとして「ヤフージャパン」がサービスを開始したのは96年4月1日。前年に発売されたマイクロソフト社の「ウィンドウズ95」の普及を背景に、インターネット時代の本格的な到来が間近に迫っていた。
まだ正月気分が抜けない中、すぐに3連休は一昨日も書きましたがどちらかといえば有難迷惑。
オヤジにしてみれば第3週に3連休がくるのが丁度良いのですけど。
毎度、毎年の如く酒に飲まれる連中が成人式を騒がします。
20年前は可愛い赤ちゃんだったはずなのに、画面に映るのは顔は幼い割に雰囲気が妙に擦れた連中ばかり。
20年の時をどう過ごしてきたのでしょう。
記事を読みながら振り返ると10年一昔なら二昔前の話しです。
読んでいると「言われてみれば、そんなことがありましたね。」ということばかり。
記事の末尾にもありますが、この頃はまだ主流はパソコン通信でモデムに繋いで電話料金を気にしながらやっていました。
インターネット社会が一般的になり始めるちょっと前ぐらいだったと思います。
オヤジも個人的なHPを遊びでシコシコ作っていた時期。
まだネット上に放置状態で残っているのでそろそろ整理しなければいけませんが、面倒臭くて後回し状態です。。
当時は個人的HPはハシリでしたが、今や最後発組に回っています。(笑)

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<【新成人】猿岩石、たまごっち…生まれた年を振り返る>
ヤフーニュース 毎日新聞配信 http://headlines.yahoo.co.jp/ 2017年1月8日
9日は「成人の日」。同日までの3連休中は、全国各地で成人式が予定されている。総務省推計の1996年1~12月生まれの人数は123万人。新成人は年度で区切ることが多いため、96年4月~97年3月生まれが新成人に当たる。「つい最近のこと」と思っていた当時の出来事を振り返ると、新成人に限らず懐かしい気持ちになってくる。【大村健一/デジタル報道センター】
◇96年の「今年の漢字」は「食」 揺らいだ安全
例年、日本漢字能力検定協会がその年の世相を表す漢字1文字を公募する「今年の漢字」。96年にもっとも多くの票を集めたのは「食」だった。食の安全がクローズアップされる事件が相次いだことが最大の理由だった。
「病原性大腸菌O157」による集団食中毒は、5月に岡山県邑久(おく)町(現・瀬戸内市)の小学校で、給食を食べた児童に下痢や発熱が広がって1年生の女児2人が死亡し、その後、全国に感染が拡大した。7月には大阪府堺市でも学校給食を食べた児童が発症し、9000人以上が感染する事態となった。児童3人が死亡し、一昨年も後遺症が原因で女性が死亡した。
また、96年は牛海綿状脳症(BSE)という牛の奇病に国内外で注目が集まった。牛の脳がスポンジ状になり、奇声を発したり、立てなくなったりする病気で、当時「狂牛病」と呼ばれていた。BSEに似た人間の病気、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が、BSEに感染した牛から人間に感染する可能性が否定できず、英国を中心に対策が始まった。日本では2001年9月に初めてBSEが確認され、翌10月から全頭検査が始まったが、09年1月以降BSEは確認されていない。厚生労働省は今年4月に全頭検査を廃止し、神経障害のある牛だけに切り替える。
大きな事故もあった。97年1月2日の未明、島根県隠岐島沖でロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」が遭難し、大量の重油が流出して日本海沿岸の広範囲に広がった。油まみれの鳥や、各地から駆けつけた重油を取り除くボランティアの様子は連日、報道された。漁業関係者の被害に加えて、自然環境にも影響が出た。踏むと音がする「鳴き砂」の砂浜として知られる丹後半島の琴引浜にも重油が漂着し、除去作業が続いた。観光業者などがキャンペーンを実施して、風評被害の対策に取り組んだ。
◇「食」に隠されたもう一つの意味 政・官の腐敗相次ぐ
毎日新聞は96年12月13日の朝刊で、今年を表現する漢字に「食」を推した人の理由を紹介している。まず「病原性大腸菌O157がショックだった」との意見が紹介されているが、「官僚が税金をつまみ『食』い」「福祉が『食』い物に」などの声も寄せられたという。2位は「菌」だったものの、3位以下は「汚」「怒」「官」と続く。官僚など公務員の汚職に対する国民の怒りが向けられた。
市民団体などの情報公開請求により、全国各地の自治体で「カラ出張」「カラ接待」で裏金を作っていたことが明らかになった。当時の毎日新聞によると、裏金は内々の飲み会や慶弔費などに浪費されていたケースがほとんどだったといい、当時の秋田県知事はこの問題をきっかけに96年11月、辞意を表明した。旧大蔵省、旧厚生省、旧通産省では、便宜を期待する企業などから幹部への多額の接待などの実態が明るみに出た。公務員同士の官官接待の問題も続いた。
政治を振り返ると、自民党、社会党、新党さきがけの3党連立による村山富市内閣が退陣し、96年1月、橋本龍太郎内閣が誕生した。橋本首相のもと、10月20日に現在も続く「小選挙区比例代表並立制」で初めての衆院選が投開票され、自民党は239議席を獲得した。11月に発足した第2次橋本内閣は3党連立を解き、自民党単独政権となった。
経済は、多額の不良債権を抱えた「住専(住宅金融専門会社)」の損失に6850億円の公的資金が投入されることに対して批判が巻き起こり、国会が紛糾した。また、和歌山市が本店の阪和銀行が多額の不良債権を抱えて経営破綻し、旧大蔵省から銀行として戦後初めて業務停止命令を受けた。翌97年は「4大証券」(野村、大和、日興、山一)の一角だった山一証券が自主廃業し、北海道拓殖銀行が破綻に追い込まれた。ちなみに97年の「今年の漢字」は大企業の倒産が相次いだことなどから「倒」だった。
海外で長期に及ぶ大事件があった。96年12月17日にペルーの首都リマの日本大使公邸を左翼ゲリラが襲撃し、大使館員やペルー政府の要人らを含む600人以上を人質に占拠した。翌97年4月に軍特殊部隊が突入し、ようやく人質は救出された。公邸地下に穴を掘って進められた救出作戦に多くの人が目を見張った。
◇「猿岩石」 ユーラシア大陸横断ヒッチハイクで人気者に
例年、一躍、人気者になるお笑い芸人がいる。96年は、有吉弘行と森脇和成の2人組お笑いコンビ「猿岩石」(2004年に解散)が、香港からロンドンまでヒッチハイクで大陸を横断する壮大な旅で人気者になった。日本テレビ系のバラエティー番組「進め! 電波少年」内の企画で、当初の2人の知名度は低かったが、4月の放送開始から10月のゴールまで、たくましく旅を続ける様子が話題となった。旅の途中で発売した書籍「猿岩石日記」や、帰国後に元チェッカーズの藤井フミヤ・尚之兄弟が提供した曲「白い雲のように」はともに大ヒットした。
芸能界は、SMAP(当時)の木村拓哉さんの「キムタク」ブーム、安室奈美恵さんの「アムラー」ブームのまっただ中。木村さんは96年に出演したドラマ「ロングバケーション」(フジテレビ系)、「協奏曲」(TBS系)がいずれも高視聴率をマークした。安室さんは、茶髪のロングヘア、細い眉などのファッションをまねする女性「アムラー」が多く、97年2月に発売された「CAN YOU CELEBRATE?」は97年最大のヒット曲で、結婚式の定番曲になった。
映画「男はつらいよ」シリーズで「フーテンの寅さん」こと車寅次郎役を演じた俳優の渥美清さんが96年8月4日に68歳で亡くなり、のちに国民栄誉賞が贈られた。「ドラえもん」の作者である漫画家の藤子・F・不二雄さんも9月23日に62歳で亡くなるなど、幅広い世代に親しまれた才能が世を去った。
◇「自分で自分をほめたい」「メークドラマ」…スポーツが生んだ流行語 ポケモン、プリクラ、たまごっちも流行
1996年夏に米国・アトランタで開催された五輪は、日本のメダル数は金3個、銀6個、銅5個とやや寂しい結果。しかし、女子マラソンで、前回のバルセロナ五輪でも銀メダルを獲得していた有森裕子さんが力走して銅メダルを獲得。「自分で自分をほめたい」は新語・流行語大賞に決まった。サッカー(当時は男子のみ開催)は予選のグループリーグで敗退したものの、初戦で強豪・ブラジルを1-0で破る「マイアミの奇跡」を起こした。02年のサッカー・ワールドカップ日韓共催が決まったのは96年5月31日のことだった。
野球は、前年に近鉄(04年にオリックスと球団合併)から米大リーグ・ドジャースに移籍した野茂英雄投手が、96年9月17日のロッキーズ戦で無安打無得点試合(ノーヒット・ノーラン)を達成。16勝をマークし、秋に日米野球で日本に「凱旋(がいせん)」している。野茂投手はレッドソックス時代の01年にも2度目のノーヒット・ノーランを達成した。
プロ野球は巨人が、首位を走っていた広島との最大11.5ゲーム差をはね返して優勝。長嶋茂雄監督(現・終身名誉監督)が逆転に向けて選手を鼓舞するために盛んに口にした「メークドラマ」も新語・流行語大賞に選ばれた。
IT・ゲーム関連は、96年2月に発売された任天堂のゲームソフト「ポケットモンスター赤・緑」は、漫画雑誌と連動する「メディアミックス戦略」も奏功し、小学生を中心に大ヒット。バンダイが96年11月に発売した携帯型の育成ゲーム「たまごっち」は翌97年にかけて女子高生の口コミをきっかけに一大ブームとなり、品切れが相次いだ。女子高生の間では、95年に発売された顔や姿を撮影してシールに印刷する「プリント倶楽部(プリクラ)」ブームも本格化した。
日本初の商用検索サイトとして「ヤフージャパン」がサービスを開始したのは96年4月1日。前年に発売されたマイクロソフト社の「ウィンドウズ95」の普及を背景に、インターネット時代の本格的な到来が間近に迫っていた。