京都の道 その2 東大路ー11
さて、次は泉涌寺に向かいます。東福寺から泉涌寺に続く道を東福寺の方に聞くと、丁寧に教えてくれました。しかし、歩いてゆくことをあまり勧めない様子でした。歩いてみて、なるほどと思う道でした。地図で見るとすぐのようですが、暑い日差しの中をなんの変哲もない車が通る坂道を20分ほどてくてく歩きます。さらに、問題なのは道案内がほとんどない。車道から突然、山道に向かって泉涌寺という立て札が立っていました。本当かいなと思っていると、上から下りてくる人達がいます。彼らは東福寺へ、我々は泉涌寺へ、互いに道がわかりました。この山道で泉涌寺の裏に出ました。
泉涌寺は由緒ある寺ですが、当方のこのむパターンが無いことは経験ずみで、申し訳ありませんが、いまのところそれほど興味ある寺ではありません。それならなんで苦労して訪ねたのかとお思いでしょう。実はJRの広告で、東福寺の次に泉涌寺が登場したのですが、その写真をみて、当方が持っていた長い間の疑問が解けたのです。
今回撮った泉涌寺の入口からの風景です。このアングルから仏殿を撮った写真がJRの広告に載っていたのです。広告の写真はもう少し前から撮影して、空には満月が出ています。中秋の名月と泉涌寺ということですか。プロの写真家は一枚の写真の為に、多くの時間とエネルギーをかけているに違いありません。そうやすやすと満月がいい位置に、雲もなく撮影できるとは思えません。
この写真は、だいぶ以前に撮った、気に入っている写真で、当方は東福寺の本堂を撮ったとばかり信じていたのです。当方のブログの初期のころに書いた東福寺の紹介にこの写真を使っています。ところがその後、東福寺を訪れた時に、この写真のアングルで本堂をとれる場所がどうやっても見つからないのです。おかしい、おかしいとおもっていたら、JRの広告の写真を見て、やっとなぞがとけたのです。なんだ、東福寺と泉涌寺を間違えていたのだ。その確認のためだけに泉涌寺を訪れたのです。入場料をケチって、入口から写真をとって、中には入りませんでした。でもせっかく来たのだから、どこか見ようと、ふと見ると泉涌寺の別院、雲龍院という立て札が立っています。京都のお菓子の雲龍は父がすきで、よくお土産に買っていったものです。別にこのお寺とは関係ないと思いますが、見てみようとおもった理由にはなります。
このお寺は、気に入りました。苦労して歩いた山の中の、小さな、静かなお寺です。大きな、緊張感のある東福寺と対象的な、癒しのお寺です。
優しさが感じられる入口です。
こまやかなセンスが感じられる脇道です。
静かなホッとするお庭です。抹茶をいただきながら、いつまでもボーっとしていられる場所です。
素朴な草花が、控え目に咲いています。
桔梗も控えめに咲いています。
モミジはポツポツと赤い葉を見せ始めています。
ただ静かな空間は心地よく。なぜこうまでも心地さを与えることができるのでしょうか。
こんな山の中で、こんな静かな空間で若い女性が何人も一心に写経をしている風景は、予想もしなかったのですが、何の違和感もなく納得してしまいます。
悟りの窓と迷いの窓が並んで存在しています。こちらは悟りの窓。
こちらは迷いの窓。
偶然おとずれた雲龍院ですが、何かよい見つけ物をしたような満足した気分でこのお寺を後にしました。きれいに整えられた、泉涌寺の参道を東大路まで戻ります。最初からこの参道を通って泉涌寺に行くべきでした。
さて、次は泉涌寺に向かいます。東福寺から泉涌寺に続く道を東福寺の方に聞くと、丁寧に教えてくれました。しかし、歩いてゆくことをあまり勧めない様子でした。歩いてみて、なるほどと思う道でした。地図で見るとすぐのようですが、暑い日差しの中をなんの変哲もない車が通る坂道を20分ほどてくてく歩きます。さらに、問題なのは道案内がほとんどない。車道から突然、山道に向かって泉涌寺という立て札が立っていました。本当かいなと思っていると、上から下りてくる人達がいます。彼らは東福寺へ、我々は泉涌寺へ、互いに道がわかりました。この山道で泉涌寺の裏に出ました。
泉涌寺は由緒ある寺ですが、当方のこのむパターンが無いことは経験ずみで、申し訳ありませんが、いまのところそれほど興味ある寺ではありません。それならなんで苦労して訪ねたのかとお思いでしょう。実はJRの広告で、東福寺の次に泉涌寺が登場したのですが、その写真をみて、当方が持っていた長い間の疑問が解けたのです。
今回撮った泉涌寺の入口からの風景です。このアングルから仏殿を撮った写真がJRの広告に載っていたのです。広告の写真はもう少し前から撮影して、空には満月が出ています。中秋の名月と泉涌寺ということですか。プロの写真家は一枚の写真の為に、多くの時間とエネルギーをかけているに違いありません。そうやすやすと満月がいい位置に、雲もなく撮影できるとは思えません。
この写真は、だいぶ以前に撮った、気に入っている写真で、当方は東福寺の本堂を撮ったとばかり信じていたのです。当方のブログの初期のころに書いた東福寺の紹介にこの写真を使っています。ところがその後、東福寺を訪れた時に、この写真のアングルで本堂をとれる場所がどうやっても見つからないのです。おかしい、おかしいとおもっていたら、JRの広告の写真を見て、やっとなぞがとけたのです。なんだ、東福寺と泉涌寺を間違えていたのだ。その確認のためだけに泉涌寺を訪れたのです。入場料をケチって、入口から写真をとって、中には入りませんでした。でもせっかく来たのだから、どこか見ようと、ふと見ると泉涌寺の別院、雲龍院という立て札が立っています。京都のお菓子の雲龍は父がすきで、よくお土産に買っていったものです。別にこのお寺とは関係ないと思いますが、見てみようとおもった理由にはなります。
このお寺は、気に入りました。苦労して歩いた山の中の、小さな、静かなお寺です。大きな、緊張感のある東福寺と対象的な、癒しのお寺です。
優しさが感じられる入口です。
こまやかなセンスが感じられる脇道です。
静かなホッとするお庭です。抹茶をいただきながら、いつまでもボーっとしていられる場所です。
素朴な草花が、控え目に咲いています。
桔梗も控えめに咲いています。
モミジはポツポツと赤い葉を見せ始めています。
ただ静かな空間は心地よく。なぜこうまでも心地さを与えることができるのでしょうか。
こんな山の中で、こんな静かな空間で若い女性が何人も一心に写経をしている風景は、予想もしなかったのですが、何の違和感もなく納得してしまいます。
悟りの窓と迷いの窓が並んで存在しています。こちらは悟りの窓。
こちらは迷いの窓。
偶然おとずれた雲龍院ですが、何かよい見つけ物をしたような満足した気分でこのお寺を後にしました。きれいに整えられた、泉涌寺の参道を東大路まで戻ります。最初からこの参道を通って泉涌寺に行くべきでした。