京都の道 その2 東大路ー12
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道々陶器の店がいくつかあります。そういえばこのあたりに陶工の窯があった記憶があります。いずれのお店も日曜でお休みでした。なにか女性好みの焼き物が多い地区という印象を受けます。焼き物に興味をもつのは若い女性が数的には多いので、柔らかい作品が受けます。着物の柄と同じです。とすると女性の陶芸家の作品が多くお店を飾るようになるのでしょう。将来当方が自然から模様を起こす時があったら、ユーザーの好みを意識するのか、あくまで自分の感覚に従うのか、難しい問題です。買っていただかないと商売にならないわけで。
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当方は新しいデザインを否定するわけではないし、芸術は常に新しいものを求めてゆかねば芸術ではないと思っているのですが、なかなか、心を動かす新しい作品にはお目にかかりません。
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東大路にでると、このあたり、七条通りより南の地区は、とってもレトロです。今熊野商店街と書いてあります。中心街からはずれて、変化が止まっているような。お腹がへったので、昼はおばんざいめし屋、夜は居酒屋という、当方のもっとも好みなところでお昼をたべました。好きなおばんざいを3点とって700円というお昼メニューです。サンマの焼いたの、竹の子の煮物、だし巻き卵をとりました。満足です。
われわれはこのあと京都駅を経由して三千院の万灯会に向かったのです。
東大路の最後のおまけに、五条、茶碗坂にある陶器の近藤悠三(ゆうぞう)記念館をご紹介して、東大路を終ります。近藤悠三記念館よりむしろ炎の陶工、河合寛次郎記念館の方が東大路に近いところにあるので、こちらの方がご紹介には適切とおもいますが、すでに京都の道シリーズ-1-花見小路で河合寛次郎記念館をたっぷり御紹介していますので、今回は近藤悠三記念館にしておきます。この記念館は訪れる人も多くない静かな記念館です。近藤悠三は人間国宝に選ばれています。清水の陶芸からいったら、当然記念館を作らねばならない人です。清水焼で評価された近代の最高峰の一人です。内部は勿論撮影禁止、たまたま売っていた三代展という本を買って、そこからコピーした写真をのせます。近藤悠三には全く基礎知識がなかったのですが、この本のおかげでいろいろなことがわかりました。まずびっくりしたのは、三代展とは親子三代にわたる陶芸家の作品を一堂に会した展覧会の本ということです。近藤悠三の息子の近藤濶(ひろし)、さらにその息子の近藤高弘(たかひろ)の三代の作品で、見て頂ければわかりますが、それぞれすぐれた陶芸家であることがわかります。技法はいずれも染付、すなわち原則、白地に青を筆で絵を描き、うわぐすりをかけて焼くという手法です。近藤悠三は途中から金や赤を多く使作品を手掛けるようになりました。もう一つ知ったことは、近藤悠三が濱田庄司、河合寛次郎を出発点として、富本憲吉に多くを学んだということです。自身いっているように自然から模様を起こすことを生涯追及した人でした。富本憲吉自体、ウイリアム・モリスの影響を受けて自然から模様を起こすことで、人間国宝となった方です。さて、前置きはこれくらいにして、作品を見ましょう。
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
晩年、富士山にいどんで、金色、赤を多く使うようになりました。金をつかうとなにか隠れていた富本憲吉の流れが解り易く露出してきたように思えてしまいます。
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
本来染付はこういう白青の世界です。筆のタッチを重要視していることは共感が持てます。
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
さて、その息子さんの濶(ひろし)は全く率直な自然からの模様起しで、当方には大変共感するものがあります。陶器の商売を行いながらの創作活動というハンデを乗り越えて、現在大変評価されているそうです。
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
当方にとっては、近藤修三が底辺で富本憲吉の影響を受けていたのに、濶になって、その影響が消えて、自然からの贈り物を純粋に表現しているように思えます。本には悠三の凝縮した模様から、濶は広がりをもった世界にはいっていったという表現がされています。
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
とても、共感してしまいます。濶の作品がでていたので、高いのにこの本を買いました。おかげて、近藤三代の意味を理解することができました。
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<近藤高弘:三代展よりコピー>
三代目になると、原点であった自然からの模様起こしを忘れてしまったようです。祖父のいった<模様から模様は作らない>という考えから、模様から模様を作る世界に入ってしまったようです。若い方は高弘に共感するかもしれませんが。若い方の多くは自然を見つめることが少なくなって、作られた人間社会そのものが彼らにとっての自然となっているのでしょう。
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<近藤高弘:三代展よりコピー>
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<近藤高弘:三代展よりコピー>
人間国宝とは最高の芸術品を作る人という意味なのでしょうか、後世に残すべき高度な技を持った人という意味なのでしょうか。
最高の芸術品とは、作家が自我を超えた解脱の瞬間を持っていなければならないと思っています。当方は京文化に<生臭さ>というのをよく感じます。<生臭さ>即ち、<作品を見る観客の目の意識>、それをすっかり通り越して、何か作家が自身の持つ、純粋な世界、宇宙、自然、と融合する瞬間の作品に到達しなければならないと思うのです。違う言い方をすると、明日は死のうと思っているヒトに、いや、生きていることはいいことなのだと思わせる何者ものかを持っているかということです。お金持ちの道楽で、これは素晴らしいと言わしめる作品がいいか、明日は命を断とうとしているヒトに生きる勇気を与える作品がいいか。当方もぎりぎりのところで毎日をすごしております。この状態で見ると芸術品、民芸品の持つ真の姿が見えてきます。これはぎりぎりの中でこそ得られる贈り物でしょう。
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道々陶器の店がいくつかあります。そういえばこのあたりに陶工の窯があった記憶があります。いずれのお店も日曜でお休みでした。なにか女性好みの焼き物が多い地区という印象を受けます。焼き物に興味をもつのは若い女性が数的には多いので、柔らかい作品が受けます。着物の柄と同じです。とすると女性の陶芸家の作品が多くお店を飾るようになるのでしょう。将来当方が自然から模様を起こす時があったら、ユーザーの好みを意識するのか、あくまで自分の感覚に従うのか、難しい問題です。買っていただかないと商売にならないわけで。
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当方は新しいデザインを否定するわけではないし、芸術は常に新しいものを求めてゆかねば芸術ではないと思っているのですが、なかなか、心を動かす新しい作品にはお目にかかりません。
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東大路にでると、このあたり、七条通りより南の地区は、とってもレトロです。今熊野商店街と書いてあります。中心街からはずれて、変化が止まっているような。お腹がへったので、昼はおばんざいめし屋、夜は居酒屋という、当方のもっとも好みなところでお昼をたべました。好きなおばんざいを3点とって700円というお昼メニューです。サンマの焼いたの、竹の子の煮物、だし巻き卵をとりました。満足です。
われわれはこのあと京都駅を経由して三千院の万灯会に向かったのです。
東大路の最後のおまけに、五条、茶碗坂にある陶器の近藤悠三(ゆうぞう)記念館をご紹介して、東大路を終ります。近藤悠三記念館よりむしろ炎の陶工、河合寛次郎記念館の方が東大路に近いところにあるので、こちらの方がご紹介には適切とおもいますが、すでに京都の道シリーズ-1-花見小路で河合寛次郎記念館をたっぷり御紹介していますので、今回は近藤悠三記念館にしておきます。この記念館は訪れる人も多くない静かな記念館です。近藤悠三は人間国宝に選ばれています。清水の陶芸からいったら、当然記念館を作らねばならない人です。清水焼で評価された近代の最高峰の一人です。内部は勿論撮影禁止、たまたま売っていた三代展という本を買って、そこからコピーした写真をのせます。近藤悠三には全く基礎知識がなかったのですが、この本のおかげでいろいろなことがわかりました。まずびっくりしたのは、三代展とは親子三代にわたる陶芸家の作品を一堂に会した展覧会の本ということです。近藤悠三の息子の近藤濶(ひろし)、さらにその息子の近藤高弘(たかひろ)の三代の作品で、見て頂ければわかりますが、それぞれすぐれた陶芸家であることがわかります。技法はいずれも染付、すなわち原則、白地に青を筆で絵を描き、うわぐすりをかけて焼くという手法です。近藤悠三は途中から金や赤を多く使作品を手掛けるようになりました。もう一つ知ったことは、近藤悠三が濱田庄司、河合寛次郎を出発点として、富本憲吉に多くを学んだということです。自身いっているように自然から模様を起こすことを生涯追及した人でした。富本憲吉自体、ウイリアム・モリスの影響を受けて自然から模様を起こすことで、人間国宝となった方です。さて、前置きはこれくらいにして、作品を見ましょう。
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
晩年、富士山にいどんで、金色、赤を多く使うようになりました。金をつかうとなにか隠れていた富本憲吉の流れが解り易く露出してきたように思えてしまいます。
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本来染付はこういう白青の世界です。筆のタッチを重要視していることは共感が持てます。
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<近藤悠三:三代展よりコピー>
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
さて、その息子さんの濶(ひろし)は全く率直な自然からの模様起しで、当方には大変共感するものがあります。陶器の商売を行いながらの創作活動というハンデを乗り越えて、現在大変評価されているそうです。
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
当方にとっては、近藤修三が底辺で富本憲吉の影響を受けていたのに、濶になって、その影響が消えて、自然からの贈り物を純粋に表現しているように思えます。本には悠三の凝縮した模様から、濶は広がりをもった世界にはいっていったという表現がされています。
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<近藤 濶:三代展よりコピー>
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とても、共感してしまいます。濶の作品がでていたので、高いのにこの本を買いました。おかげて、近藤三代の意味を理解することができました。
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三代目になると、原点であった自然からの模様起こしを忘れてしまったようです。祖父のいった<模様から模様は作らない>という考えから、模様から模様を作る世界に入ってしまったようです。若い方は高弘に共感するかもしれませんが。若い方の多くは自然を見つめることが少なくなって、作られた人間社会そのものが彼らにとっての自然となっているのでしょう。
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人間国宝とは最高の芸術品を作る人という意味なのでしょうか、後世に残すべき高度な技を持った人という意味なのでしょうか。
最高の芸術品とは、作家が自我を超えた解脱の瞬間を持っていなければならないと思っています。当方は京文化に<生臭さ>というのをよく感じます。<生臭さ>即ち、<作品を見る観客の目の意識>、それをすっかり通り越して、何か作家が自身の持つ、純粋な世界、宇宙、自然、と融合する瞬間の作品に到達しなければならないと思うのです。違う言い方をすると、明日は死のうと思っているヒトに、いや、生きていることはいいことなのだと思わせる何者ものかを持っているかということです。お金持ちの道楽で、これは素晴らしいと言わしめる作品がいいか、明日は命を断とうとしているヒトに生きる勇気を与える作品がいいか。当方もぎりぎりのところで毎日をすごしております。この状態で見ると芸術品、民芸品の持つ真の姿が見えてきます。これはぎりぎりの中でこそ得られる贈り物でしょう。
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