ダンダン ドゥ~ビドゥ~ビ ドゥバダ!ってのは「頑張れ!宮城県」でしたか。昨日は実家の石川県から現住所の埼玉まで車で帰ってきました。何がどうだといいまして、新潟県は大きすぎます。高速道路を走ってると「お、○○県に入った」とか「○○峠を越えた」とかいうのが気分転換になるのですが、何しろ新潟県を通過するのが長くてメリハリがなさ過ぎ。
石川県から出発すると元気なうちに富山県に入り、その後あっというまに新潟に入り、その後「あ、いま新潟。…まだ新潟。長岡JCT過ぎたけどそれでも新潟…。」という感じで。その後群馬をちょこっと走って埼玉に入ったと思ったらもう自宅に着くという感じ。ちなみに、昨日は約500Kmをドアツードアで5時間弱。なかなかいい仕事してました。というか、いかにお盆であれ夜中の北陸道に渋滞と言う文字はありません。
で、最初は「新潟県を分割せよ!」と思ってたのですが、それはあまり現実的でないのでここはいっその事富山県に頑張ってもらって新潟県西部を合併してもらいたいと。なにしろ、高速を走ってると富山県内を走り抜けるのがあっという間ですから、富山は今の倍くらいの面積になってもいいです。今の富山県知事はなんという人でしたっけ。「ファイト!」と言っておきましょう。
それにしても、私の生まれ故郷である石川県加賀市片山津温泉は帰るたびに廃れてしまって寂しい限り。思えば、源泉が柴山潟の中にある事がわかったこともあって治水と温泉振興のため明治時代から昭和20年頃にかけて埋め立て事業が実施され、昭和40年頃からは湖畔の大型ホテル建設ラッシュがあって、バブル期に向けては成長していったものの、90年代に入って不景気の煽りを食って一気に衰退して行きました。
どれくらいしぼんでしまったかというと、なくなったホテルだけで「矢田屋」「佳水郷」「みたにや」「竹泉」「北陸グランドホテル」「レイクホテル」「ロイヤルホテル」「水月」などなど。(もっとあったと思いますが)
特に「北陸グランドホテル」なんてのは「遊びきれない24時間」とかいって派手に宣伝やってた1000人収容のホテルで、これが出来たおかげでうちのテレビがまともにうつらなくなったくらいの建物でした。あれがなくなってしまうとは。
それに上記のホテルのいくつかは、経営者が地元では有志と言うかお金持ちの代表のような人たちだったわけで、市長まで勤めた人もいるし小学校のエレクトーンとかそういうのに「寄贈 ○○氏」とかで名前を見てたこともあって、「あの人たちはどこへ行ってしまったんでしょう?」と思うと不思議な感覚もあります。
考えてみれば、北陸有数の温泉街がギラギラと輝き始めてからたった三十数年で壊滅的な打撃を受けてしまったわけで、このあたりの流れを一冊の本にでもまとめてもらえば、少なくとも私は買います。一部の人たちのやり方が悪かったのか、街全体のあり方がこういう運命だったのか、それとも時代の流れで仕方がなかったのか、そういう検証も加えて。面白いと思うけどなぁ、結構。(←いまや他人事)
ということで結論は「頑張れ石川県」でした。ま、県全体は今でも悪いイメージはないんですけどね。風光明媚な場所が多いですし。