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天才もいれば努力の人もいるわけで

2020年04月21日 | 日記・雑記・ただの戯言
 尾崎亜美さんのことを「天才」というと、違和感を持つ人はどれくらいいるでしょうか。デビュー当時は19歳になったばかりでしたが、私は「元祖天才少女」だと思ってます。というのも、デビューアルバムから全作詞作曲を手掛けていたのですが、3rdアルバムからは編曲とプロデュースも行っていますので。

 この人がまず最初に編曲を手掛けたのは南沙織さんに提供した「春の予感 -I've been mellow-」という曲から。この曲は、リズムアレンジだけじゃなくストリングも入っています。他の歌手に曲を提供するのも初めてなら、レコードになる曲で編曲をするのも初めてだったそうですが、その時は本を買ってきて勉強したのだとか。

 ストリングスというと、通常のポップスのレコーディングではバイオリン、ビオラ、チェロと、あとはコントラバスがあったりなかったりでしょうが、ビオラの譜面はハ音記号で書くとかいうのを知ったのがその時だったとか。

 1stアルバムや2ndアルバムの編曲が松任谷正隆さんだったので、そのレコーディングを見てて学んだりしたのでしょうが、いきなりやってしまいヒットまでさせたというのは天才と言わずしてなんと呼びましょうか。

 弦楽器はそれぞれ音域があるので、譜面には書いてみたものの現場で「この音は出せない」と言われることもあるそうです。Princess Princessの岸谷香さんが昔チェロの音を入れたいと思って書いた譜面は、イントロ一杯「ない音」だったそうです。今では有名な編曲家である笹路正徳さんも、若い頃には同じような経験があるとか。もちろん、そうやってロックバンド出身でありながら生楽器の音も入れて編曲できるようになった岸谷さんや笹路さんも天才的でしょうけど。

 そして、努力の人というとなんと言っても井上尭之さん。自伝「スパイダース ありがとう!」によると、家が貧しくて友達から借りたギターで音楽をはじめ、最初は神戸で弾き語りしていたものの、ギターを背中に担ぎ頼るあてもなく出てきた東京でいきなり偶然とも言える出会いでGSのスパイダースのボーカルとして加入し、その後突然のメンバーの脱退でリードギターをやることになって、それこそ指先が擦り切れるほど練習して人気バンドの一員としての地位を確立たそうです。

 この人はそういう経歴ながら、GSの頃に音楽番組で共演した服部克久さんや三保敬太郎さんにオーケストラのアレンジを教えていただいたのだとか。初めてアレンジを任されたのは、同じくスパイダースのメンバーだった井上順さんのソロシングルで、徹夜しても書けなくて泣きながら仕上げたスコアを、スタジオでたまたますれ違った服部先生に見てもらい、「いいんじゃない、よくできてるよ。ただ、第一バイオリンだけ1オクターブ上げるといいかな?」と言われて凄く嬉しくていつまでも頭を下げてたそうです。

 この人はその後ジュリーのバックバンドとしてだけではなく、「太陽にほえろ」や「前略おふくろ様」「寺内貫太郎一家」のサントラでも有名になりますが、映画音楽でも「火宅の人」で日本アカデミー最優秀音楽賞を受賞したりして、輝かしい実績を残しました。音大出でもなんでもなくて、ギターしか弾けなかった人がオーケストラのアレンジもして映画音楽もやるというのは、並々ならぬ努力はあったろうと。前述の自伝を読んでも本当に求道者のような姿勢を感じます。

 で、なぜこのような話を書いたかというと、今日の朝ドラ「エール」を見てたので。ほとんどハーモニカしか吹いてなかった人が、いきなり交響曲の譜面を書いて国際コンクールで入賞できるかということには「ありえん」という声もあるでしょうが、まぁそれだけ天才的な人だったということにしましょうか。子供の頃からいろんな音楽を聴いてたということで。

 なお、「天才」というと「努力しなくても才能だけで上手くやれていると思われるのでそう言われるのは嫌だ」と言ってたのは、全女にいた頃の井上京子選手でした。とはいえ、あの人も天才だとは思いますが、その辺はまた別の話で…。