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昭和の女性アイドルのモチベーションを考える>三人娘編

2020年11月03日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 今はいわゆる「アイドル」になろうとすれば、かなり敷居の低い時代になってます。規模に拘らなければ自分で動画発信できるわけですし。また、一方トップアイドルになりたいという人もその目標が山口百恵、松田聖子、中森明菜、小泉今日子など、具体例が思い描けます。歌にドラマに映画に活躍、歌でヒット飛ばしてママになってもアイドル、とにかく歌の世界でセルフプロデュース力も発揮する、歌でもCMでも国民的な人気者になる、などなど。

 一般に昭和の女性アイドルの始まりは、南沙織さんとか麻丘めぐみさんだとか言われます。まだ「アイドル」という言葉が一般的ではなかったのでしょうが、その当時の人はとにかく将来像が描けなかったのではないかと。

 ここ何年かで読んだ本で、その辺のことを考えさせられる部分をいくつも見ました。まずは朝日新書の「南沙織がいたころ」(永井良和著)ですが、南沙織さんがデビューした当時(1971年)の芸能プロダクション事情が垣間見られます。

 当時は今のようにメディア戦略をじっくり練って、本人の成長過程も含めてスターを作り出すようなことはなく、芸能人はプロダクションの「所有物」と考えらえていたのだとか。それを撮影やステージなどの現場に送り込み、興行主と組んで公演の売り上げから取り分を得るような商売をしていたそうです。

 それで、彼女の場合は沖縄から連れてこられ、「住まいを用意する」「学校にもちゃんと行かせる」という約束だったのが、実際はホテル住まいや社長宅の居候、忙しくなると仕事を詰め込み学校にはほとんど行けず試験も受けられず、体調が悪くてドクターストップがかかっても仕事を強行させ、結果入院する事態になってようやく休業、そのあげくに「引退したい」という発言が出たと。

 まだ返還前だった沖縄からパスポートを持って「来日」した少女が、プライバシーもなく、学校での友達もできず、話し相手にも信用できる大人にも恵まれず、という状況におかれよく精神を病まなかったものだと思いますが、そこは相当芯が強かったのでしょう。

 その南さんの「芯が強い」ということについては、酒井政利さんの「プロデューサー」という本にも書かれています。彼女の場合は、最初の所属事務所がよくなかったものの、幸いなことにレコード会社(CBSソニー)では名プロデューサーとして知られる酒井さんや、作曲家の筒美京平先生、「南沙織」の名付け親になった作詞家の有馬三恵子先生らのスタッフに恵まれたことが良かったのでしょう。

 南さんは忙しい合間をぬって上智大学に通い卒業していますが、その酒井さんの著書によると「スターであるために、もし自分の何かを捨てなくてはならないのなら、私はスターであることを捨てます。」と常々語っていたと。それくらいの人だからこそ、いわれのないスキャンダルに巻き込まれても続けていけたのだろうと。とにかく歌は好きだったのでしょうね。引退の際のコンサートのライブCD持ってますが、「こんなに上手かったんだ」とほれぼれします。

 同じく酒井さんが手がけたアイドルが、「ソニーの白雪姫」天地真理さん。国立音楽大学の付属中学・高校でピアノと声楽を学んだ人です。子供の頃に少年ジャンプで見た「天地真理物語」では、「手が小さくてピアニストに向かない」と言われて声楽に転向したという話があって、てっきりそれは盛ったかと思ってたらレコード大賞のステージで本格的なピアノを弾いてた映像があって「ホントだったんだぁ」と思った記憶があります。音大には行ってないですが、ちゃんとした音楽教育は受けてたと。

 私は特にファンではなかったのですが、それでも彼女が当時出したシングルはほとんど知ってるくらい相当ヒットしました。が、デビューの翌年から次々とスキャンダルに巻き込まれ、心身ともに大きなダメージを受け、世間のイメージが崩壊する前に彼女自身が精神的に崩壊してしまったそうです。酒井さんによると「あのときの数々のスキャンダル報道はスーパーアイドル白雪姫を追い落とすために、誰かが書いたシナリオではなかったのか?と思える」とあります。他の事務所の画策か、同じ事務所内での足の引っ張り合いかはわかりません。

 天地真理さんは「芸能界の風潮にはなじめないが、スターであり続けたい」と揺れ動いてたそうで、優しすぎたというか、南沙織さんみたいに「面倒な事あるなら辞めてやるよ!」というくらいの強さがあれば、またその後の活動も違ったのかもしれません。

 当時SNSがあれば、いくらスキャンダルがあっても信じて応援してくれるファンの声を直接聞けて頑張れたのかもと思う反面、もっときつい批判を直接浴びたかもとか思ったりしますが、それはわかりません。

 それで、酒井さんによると「当時の三人娘であった南沙織、天地真理、小柳ルミ子の中では、芸能界にもっともなじみ、プロ根性を持っていたのが小柳ルミ子であった」と。彼女のその後を見ると、とにかく芸能界でスターになるためになんでもやるというのは、たしかにプロ根性以外のなにものでもないですね。そもそもが、宝塚音楽学校には歌手になるために入った人ですし。まぁ彼女を当時アイドルと言ったかどうかはまた別の話。

 アイドルのモチベーションとしては、人気者になりたい、とにかく大勢の人の前で歌いたいという理由もあるでしょうが、その後に出てきた人では「お金を儲けて親に家を建ててあげたい」「有名人と結婚したい」などということもあるかもしれません。

 この週末にBSPで放送される「わが愛しのキャンディーズ」では、都倉俊一先生のインタビューがあって、アイドルが大人になる過程での心境の変化のような話をされています。さすが、いろんな若手歌手を見てきているだけあって、説得力のある話でした。

 今も昔も女性アイドルは、せっかく人気があるのに早々に引退してしまったり、身体や心を病んで辞めてしまったり、応援している側としては残念な場面を色々見ますが、「アイドル続けるのも大変だ」というのは私も大人になってからなんとなくわかるようになりました。

 ということで、紹介した2冊の本は凄く面白いので関心のある方はお買い求め下さい。どっちも凄く面白くて、私は何回も読んでますが毎回新しい気づきがあります。私の場合は「南沙織がいたころ」が、沖縄問題を考えるきっかけにもなったりしました。


引用書籍

南沙織がいたころ/永井良和(朝日新書)
プロデューサー 音楽シーンを駆け抜けて/酒井政利(時事通信社)