CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

西岡正興Webスケッチマガジン「日本の町並み遺産」 第6回原画展 IN 名谷

2019年03月26日 05時05分22秒 | 神戸情報
昨日(2019-3-25)、北須磨文化センターで則長満先生の時事講話「最近の世界・日本は?」
の講演を受講するために北須磨文化センターに行っていました。

その時に西岡正興氏が創作している画の展示会のリーフレットを入手しましたので
写真紹介します。是非、観覧したいと思っています。

まず、イベントの内容を記しておきます。

1.イベント名:
  西岡正興Webスケッチマガジン「日本の町並み遺産」 第6回原画展 IN 名谷

2.開催日時:
  2019年4月19日(金)~30日(火)
  9:00~17:00
  初日は14:00から 最終日は15:00まで

3.会場:
  北須磨文化センター 1階ギャラリー
   (神戸市須磨区中落合3丁目1-12)

4.問い合わせ:
  北須磨文化センター 078-791-0840

5.案内リーフレット:
  下に添付しておきます。




西岡正興Webスケッチマガジン「日本の町並み遺産」の公式サイト
  http://www.eonet.ne.jp/~machinamiisan/

神戸市の風景では垂水区の舞子(移情閣と明石海峡大橋、舞子ホテル、旧木下邸、
武藤山治邸と舞子ビラ)、中央区の北野、旧居留地、相楽園、北区の淡河宿、
有馬温泉(親水公園、湯本坂、金の湯、太閤の湯殿)の画を描かれています。





 

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尼崎城跡の訪問記 on 2019-3-3

2019年03月26日 04時12分16秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年3月3日(日)、尼崎市総合文化センターで開催の平成30年度尼崎市立文化財収蔵庫
出張企画展「尼崎史を彩る人びと」の展示を観るために阪神・尼崎に来ていました。

その折に、3月29日にグランドオープン予定の尼崎城の模擬天守を中心とした尼崎城跡の
周辺を散策してきましたので写真紹介します。




上の2枚の写真は3月29日にグランドオープン予定の尼崎城のPR看板
(阪神電鉄株式会社の神戸三宮駅に設置)

尼崎城のオープニングイベントの詳細については下記サイトを参照して下さい。
 http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/shiro/1015591.html

  神戸の清盛隊も参加するようです。

 http://kisspress.jp/articles/21577/

模擬天守



上の2枚の写真は尼崎城跡の模擬天守の遠景(阪神電車 尼崎駅より撮影)






上の3枚の写真は角度を変えて撮った模擬天守


上の写真は尼崎城天守(南面)
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット


上の写真は荻原一青画「旧尼崎城」 「図説 尼崎の歴史」下巻より

「明治初期に取り壊された尼崎城について、尼崎市は2015年11月25日、ミドリ電化
(現エディオン)創業者の安保(あぼ)詮(あきら)さん(82)と城の復元に
関する協定を結んだ。」

昨日(2015-11-26)、上記のニュースが各報道機関で報じられました。
安保氏が私財の10億円(最大15億円)を投じて尼崎城の天守閣を再建しよう
とするものです。安保氏は尼崎市への恩返しと言われています。

ここで模擬天守についてWikipediaより引用紹介します。
2016年に、旧ミドリ電化の創業者の安保詮が「創業の地に恩返ししたい」と約10億円の
私財を出して、天守を再建し尼崎市に寄贈するため市有地の利用などについて市と協定
を結んだ。大きさや外観は当時の建物を再現するが、再建場所は本来の場所ではなく
北西約300メートルの公園内となる鉄筋コンクリート造で地上5階、床面積は1409㎡に
なる予定。 尼崎市は、「一口城主」や記名される「一枚瓦」による寄付とサポーターの
募集、イベントなど行っている。
2016年(平成28年)12月20日:工事着工。
2018年(平成30年)10月:完成。
2018年(平成30年)11月30日:市に寄贈。
2019年(平成31年)3月29日に内部の一般公開の予定。


尼崎城の縄張り

上の写真は松平氏時代の尼崎城縄張り
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット


上の写真は萩原一青画「尼崎城(琴浦城)復元鳥瞰図」
北が上になるように原画を180度回転させています。
出典:図説 尼崎の歴史 下巻

尼崎へ入封した戸田氏鉄が元和3年(1617)に築城したのが尼崎城である。
本丸の位置は、中世の絵図を参考にすれば、本興寺の故地に当たる。

3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と
3棟の三重櫓が上げられた。全体では17棟の櫓が設置されていました。
西の外堀は庄下川を利用

明治6年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊された。


上の写真は廃城直前の尼崎城(撮影:明治初年)
手前が武具櫓、右手奥が天守。

明治6年(1873)の廃城令により建物撤去に続き明治半ばまでに二の丸西側と松の丸
の東側の一部が埋め立てられ、続いて明治後半には北側外濠が六島新田として宅地開発
されます。さらに大正7年(1918)から15年かけて、尼崎市が国から内濠の払い下げを
受けて埋め立て、市庁舎、学校用地などに利用していきます。
本丸部分には明治26年(1893)小学校が設置され、のちに南半分が城内小学校(現明城小)
となったほか、大正2年(1913)には高等女学校が北側部分に開設され、その後市立尼崎高校
さらには城内中学校となりました。

現存する水路を確認するため尼崎市立中央図書館(尼崎市北城内27)を中心としたGoo地図
を添付しておきます。


本丸模型

上の写真は本丸模型
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット

本丸御殿の棟瓦



上の2枚の写真は桜井神社境内に展示の本丸御殿の棟瓦と説明板

尼崎城外堀の石杭句碑



上の2枚の写真は桜井神社境内の尼崎城外堀の石杭句碑と説明板

歴代藩主
Wikipediaより歴代藩主を添付しておきます。

戸田家

譜代 5万石 (1617年 - 1635年)
1.氏鉄


青山家

譜代 5万石→5万4千石→4万8千石 (1635年 - 1711年)
1.幸成
2.幸利
3.幸督
4.幸秀


松平〔桜井〕家

譜代 4万8千石→4万石→4万5千石 (1711年 - 1871年)
1.忠喬
2.忠名
3.忠告
4.忠宝
5.忠誨
6.忠栄
7.忠興


尼崎城跡石碑






上の3枚の写真は尼崎城跡石碑と現地説明板
四角堀、伏見門のあった位置に石碑が設置されています。
(明城小学校の敷地の西南の道路に面して設置)

尼崎城関係年表

上の写真は尼崎城関係年表
出典:尼崎市教育委員会編 尼崎城の歴史リーフレット

尼崎城下町

出典:尼崎城ミニ事典 尼崎市立地域研究史料館作成

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