CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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西宮散策記 on 2019-2-24 その2 西宮砲台

2019年03月16日 04時07分55秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年2月24日、徳若の万代大澤醸造で西宮蔵開2019年のイベントが開催されていたので
西宮に出かけていました。

その時に訪れた場所を写真紹介していきます。

今回はその第2回で西宮砲台を取り上げます。
阪神香櫨園駅で下車し南へ歩き御前浜(香櫨園浜)に西宮砲台跡があります。

西宮散策シリーズの過去記事

西宮散策記 on 2019-2-24 その1 夙川公園


上の写真は夙川の河口
左手(東側)の砂浜では御前浜公園の整備工事が進められていました
右手には芦屋浜の住宅群が見えています。
正面は西宮大橋で接続されている埋め立て地(西宮浜)


御前浜公園を西へ進んで行くと松並木の向こう側に西宮砲台が見えてきます。

西宮砲台の近景







上の4枚の写真は西宮砲台の近景
安全上の問題か周囲には金網があり内部を見ることはできません。

現地説明板





国指定史跡 西宮砲台
所在地:兵庫県西宮市西波止町字西波止5374の1番他
所有者:阪神電気鉄道株式会社
管理者:西宮市教育委員会
文化財指定:国の史跡(大正11年3月8日指定)

江戸時代末、国防不安を感じた江戸幕府は、大阪湾に砲台を築き本格的な大阪湾(摂海)
防衛に着手しました。砲台の位置は勝海舟が計画し、西宮ではこの「西宮砲台」のほか、
今津にも築かれました。西宮砲台の建設は文久3年(1863)に始まり慶応2年(1866)後半
になってようやく完成しました。
砂地に建てるため多数の松グイを打ち込んで地盤を固くし、その上に、瀬戸内海中部の
島々から運んだ花崗岩を積み上げています。通常の2倍の賃金を支払って熟練工を集め、
突貫工事で完成を急ぎましたが、あしかけ4年を要する難工事となりました。
砲台は石造三層の円堡で高さは約12m、直径17mで、外側には漆喰が塗られています。
2層目に見られる方形の12個の孔は、大砲で四方を狙うための11個の砲眼と窓で、内部
には井戸・弾薬庫が設けられました。
完成後試射をしましたが、煙が内部に充満し実際に使うことはありませんでした。
明治17年(1884)内部は火災で焼失。昭和49年(1974)に修復工事が始まり倒壊しない
ように鉄骨で補強されています。


説明書きに書かれていない事項を補充記載しておきます。
1)今津砲台は現存しませんが西宮市今津真砂町に今津堡塔の残石で出来た記念碑が
  建てられています。
2)大砲は2台装備
3)建設の係官として大坂町奉行 勘定方の矢口孝一郎、大坂西町奉行与力 嶋田栄太郎
  同じく与力の大須賀鎌次郎、勘定吟味方の林又七郎、普請役の郡司宰助、
  普請役代りの山内源太郎、小人目付 田中鎌作
4)西宮町総代の澤田源次郎が尽力 費用はすべて西宮町が負担した
5)和田岬砲台と同一の構造

上の写真は和田岬砲台の断面図
出典:明治期の和田岬砲台 神戸市教育委員会、神戸市兵庫区役所 (2011)
  http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/hyogo/shoukai/img/23.12wadamisakihoudaiPDF.pdf

6)昭和9年(1934年)、 室戸台風による被災後に屋根の復原工事を施工
7)同時期に同じ仕様砲台が和田岬・川崎(湊川)・西宮・今津に建設された。
8)別称 「臼砲台」「石堡塔」
9)江戸幕府は大阪湾(摂海)防備のため小笠原長行に台場築立御用掛を命じ、
  戦奉行勝海舟と共に砲台の築造場所の調査を行わせました。

西宮砲台のGoo地図を添付しておきます。


史跡 西宮砲台の石碑


上の写真は大正12年(1923年)3月、国の史跡指定に伴い設置された標柱石
「史蹟西宮砲台」と書かれています。

西宮砲台の内部については同型で平成21年より解体修理が行われた和田岬砲台の
内部が参考になると思います。
そこで内部を見学された方のブログサイトへリンクさせていただきました。
 https://s.webry.info/sp/hinokuni123.at.webry.info/201311/article_3.html

コメント
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