歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

つくば郊外秋景色 “なりも”は伝聞でした。

2008年10月10日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

水も無く、地下でも無い“函渠”を潜り抜けた先には、大根畑が広がり墓地も見えます。

まさに農村地帯の風景です。つくば市の中心街はもうすぐなのですが、そんな事など感じさせない長閑な風景です。


大きな樹の下には、曼珠沙華がまっ赤に咲いています。そして、傍らに佇む町内会の掲示板。


赤錆びたトタン屋根にコンクリート製の支柱。何故か“若葉マーク”が1枚だけポツントと貼られています。


現役を引退してしまった様に見えます。それにしても、引き戸のように、2枚に分かれ、左右に動く様な構造に見えますが、板は固定されているのです。

一見引き戸風で実は固定式の妖しい掲示板でした。この地方に於いて、一時代を記した“スタンダード型町内掲示板”なのでしょうか。

畑の中に、こぢんまりとした神社が現れました。石と木の2本の鳥居、石畳に、灯籠に、狛犬に、本殿に、2本だけの鎮守の杜。


入り口に石碑があり、“碑文”が刻まれています。


碑文は“本屋敷は・・・”ではじまるのですが、何処に有るのでしょうか? 付近に屋敷は見当たりません。

つぎに“西に大きな沼・・・”とあり、西の方角を望んだのですが、大きな沼は見当たりません。

“清水流れ外敵の守りに適し地形なりも・・・”と続き、徳川時代にいろいろとあってこの地に移り住んだようです。

“本屋敷”との表現は、建物を意味するのではなく、家屋を構えた一区域の地や田畑と解釈するようです。

“・・・なりも・・・”との表現は、そうだったと聞いていると解釈し、“なりも”の前に書かれた地形説明は、過去に暮らしていた場所の地形説明のようです。

過去はそのような地で暮らしていたが、江戸時代にこの地に移り住んだと“聞いている”と、解釈するようです。

聞き伝えでしかなく、以前の居住地が何処であったかは不明で、地形だけが言い伝えられているようです。

ですから、本屋敷も、沼も、いくら見渡しても見つからないのでした。

いろいろな時代に、いろいろな事情で、いろいろな人々が、いろいろな地で、いろいろな暮ら方をしていたのです。

こんな長閑な農村にも、いろいろな歴史があったのです。生きて行くことはいろいろと大変なのです。

大変勉強になりました。いろいろな想いを抱きながら、神社にお詣りをしました。


神社を過ぎ農村風景のから、新興住宅地に入ります。ここにもありました一見引き戸風で実は固定式掲示板。


派手な色使いの洋風住宅をバックに、朽ちかけた掲示板が場違いな雰囲気を察して、恥ずかしそうにしています。

もうすぐ中心街です。畑の先に建ち並ぶマンションが見えてきました。


これから先、中心街を目指します。


それでは、また来週。



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