歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“女化道標”は道路工事で裏返しに!?

2009年09月18日 | 女化道標問題
一昨日の続きです。

それにしても、昨日は関越道の事故の余波に巻き込まれ、到着時間が予定より1時間半ほど遅れてしまいました。走っては止まり、走っては止まりの“尺取り虫走行”で、かなり疲れました。

お彼岸の道路混雑を避けた“早めの墓参り”だったのに・・・・・・・もう、何だか、まったく、意味の無い結果に終わり、疲労感が倍増したのであります。

本題に入ります。

それで、“川内康範先生”の発表は未だ続きます。他の委員はじっと押し黙り先生の話を聞いています。

副会長と懇談したのが、6月23日で、7月2日の審議会で問題提起され、一連の疑問・質問に答える役回りを“康範先生”が一手に受け持つことになったのでしょう。

それで、いよいよ“女化道標問題”の“核心”である石塔の“裏表”問題です。簡単に説明すると、こういう事になっています。


説明板には“表面に 宝暦十四年・・・南無阿弥陀仏・・・”と、“裏面に 西はたみや・・・すぐは水戸道”と“刻まれている”と書かれているのです。

一本道を辿ってここから2本の道に分かれる処に立つ、分岐の道標でもあるこの石塔、写真の方向から見た面が“表”と解釈する方が自然だと思うのです。

でも、しかし、こちら側の面には、“すぐハ水戸道”と刻まれているのです。

そして、裏側には“南無阿弥陀仏”と刻まれています。


この辺りから、私も発言をしたのであります。先ずは、一連の疑問・質問を述べ、いろいろな疑問が生じる「道標」である。

“女化”の地名の由来である、女狐の“女化”伝説との関わりから、いろいろな解釈、推測があっても、それなりにいいのでは? 

兎に角、とても面白い道標であり、その点を、それなりに、説明文に反映すれば、遺跡とか、史跡とか、歴史とか、関心の無い方にも、楽しめると思う。

・・・・・・何て、発言をしたのであります。

発言が終わったところで、右隣、一人隔てて座る“康範先生”が、“面白いとか、楽しいとか、そんな、小説みたいな話じゃない!”と、呟いたのです。

“面白くて、楽しくて、何故悪! オィ康範!”と、云いたかったのですが、そこは、大人ですから、聞こえない振りをしていました。

それからが、もう、討議は、かなりグチャグチャ状態になったのであります。私の記憶もかなりグチャグチャであります。

その後“康範先生”は、道標は裏返しであるとの見解を表明。これに“偉い先生”も同調。

私も、そう解釈もありと思いますが、でも、しかし、それでは、“面白く”無いので、


「表裏を逆にすると、右龍ヶ崎、左若柴の位置関係が実際の位置関係とぎゃくになりますよ」
すると、“康範先生”
「それはいいのだァ」
すると、偉い先生が
「文章は、右から左に書いて行くので、そうなったのかも」と、これは、何だか意味不明であります。

そして、“康範先生”は、ついに、
「わたしは、見たのです! あの石塔は現在とは裏表が逆に立っていた。道路の拡張工事の際に裏表が逆にされてしまったのです!間違い無い!」

これには、職員、委員、私もビックリ!目撃証言が出てきたのです。男性職員と副会長が“あの工事はいつ頃だった?”“え~と、それにしても、工事でそんな事は”とか・・・・・・。

他の委員も、え~、そんな? と、かなりざわついたのです。この“工事裏返し説”は、私も以前(1月19日)面白おかしく書いた説であります。事実だとすれば、面白過ぎます。

これから、まだ、検討会は続きます。

しかし、明日は孫がお泊まりに来るのです。掃除をしたり、車を洗ったり、買い物に行ったりと、忙しいのでこの辺で終わりとします。

続きは、シルバーウィークの終了後になりそうです。


それでは、また来週まで。




コメント
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