取手駅前の写真展を早めに見終わり、時間もあり寄り道をしたのです。
“取手一高”の脇を通りかかったところ、
見上げるポールの先に、“本多作左右衛門重次墳墓”とあるのです。茨城県指定史跡です。町の指定よりも、市の指定よりも、その上の“県指定で”すか。
きっと、それなりのお方の、それなりのお墓です。これは、もう、覗いてこなければと、思ったのです。それにしても、“本多作左右衛門重次”と云う方は、いったいどんな方なのでしょうか?
それにしても、この案内板は、何で?こんな高いところにあるの? 高すぎて、遠くからでないと視界に入いらん! 視界に入っても字が読めん! 近くだと字は読めるが、視界に入いらん!
でも、しかし、“暇と好奇心”がある、少数の限られた方だけが気が付くのでした。住宅街の奥の方にあるようですから、住民のからの、無闇に人が入り込まないようにとの要望が、この高さとなったのでしょうか?
まぁ、そんなことより、兎に角、墳墓目指して路地に入ります。あと400㍍
あの名門、取手一高野球部の練習グラウンドの脇を通過します。
なかなかケッコウな町工場です。もしかして、もう現役引退?そんな雰囲気が漂っています。
工場の前には祠が二つ並んでいました。工場に祠、とても似合います。
グラウンドは続きます。
住宅街を進みます、この先で右に折れます。
右に折れたら、真っ直ぐに進みます。
あと100メートルの標識で左に曲がります。
突き当たりに、それらしいものが見えて来ました。
ココです、コレです。
まぁ、それなりの佇まい。
いゃ~、知りませんでした。「シゲツグさん」は、あの“お仙泣かすな馬肥やせ”の方だったのです。わたし“お仙”は娘だと思っていました。
ふつう“お仙ちゃん”と云えば女の子と考えますよ。息子“仙千代”の名前まで“お仙”と縮めていたのです。“お仙ちゃん”は後に、4万3千石のお殿様になっていたのでしす。知りませんでした。
いろいろと立ってます。
これがお墓です。
“必要にして充分”な手紙、“一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”が、「本多作左右衛門重次」の作で、“お仙”が息子で後に殿様になったとか、その作者の墓が、取手の、こんな処にあったり、もう、ホントに知りませんでした。
世の中、いろいろなモノが、いろいろなトコロに、アッタリするのでした。
それでは、また明日。
“取手一高”の脇を通りかかったところ、
見上げるポールの先に、“本多作左右衛門重次墳墓”とあるのです。茨城県指定史跡です。町の指定よりも、市の指定よりも、その上の“県指定で”すか。
きっと、それなりのお方の、それなりのお墓です。これは、もう、覗いてこなければと、思ったのです。それにしても、“本多作左右衛門重次”と云う方は、いったいどんな方なのでしょうか?
それにしても、この案内板は、何で?こんな高いところにあるの? 高すぎて、遠くからでないと視界に入いらん! 視界に入っても字が読めん! 近くだと字は読めるが、視界に入いらん!
でも、しかし、“暇と好奇心”がある、少数の限られた方だけが気が付くのでした。住宅街の奥の方にあるようですから、住民のからの、無闇に人が入り込まないようにとの要望が、この高さとなったのでしょうか?
まぁ、そんなことより、兎に角、墳墓目指して路地に入ります。あと400㍍
あの名門、取手一高野球部の練習グラウンドの脇を通過します。
なかなかケッコウな町工場です。もしかして、もう現役引退?そんな雰囲気が漂っています。
工場の前には祠が二つ並んでいました。工場に祠、とても似合います。
グラウンドは続きます。
住宅街を進みます、この先で右に折れます。
右に折れたら、真っ直ぐに進みます。
あと100メートルの標識で左に曲がります。
突き当たりに、それらしいものが見えて来ました。
ココです、コレです。
まぁ、それなりの佇まい。
いゃ~、知りませんでした。「シゲツグさん」は、あの“お仙泣かすな馬肥やせ”の方だったのです。わたし“お仙”は娘だと思っていました。
ふつう“お仙ちゃん”と云えば女の子と考えますよ。息子“仙千代”の名前まで“お仙”と縮めていたのです。“お仙ちゃん”は後に、4万3千石のお殿様になっていたのでしす。知りませんでした。
いろいろと立ってます。
これがお墓です。
“必要にして充分”な手紙、“一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”が、「本多作左右衛門重次」の作で、“お仙”が息子で後に殿様になったとか、その作者の墓が、取手の、こんな処にあったり、もう、ホントに知りませんでした。
世の中、いろいろなモノが、いろいろなトコロに、アッタリするのでした。
それでは、また明日。