歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“お仙泣かすな馬肥やせ”は取手にあります

2010年05月19日 | 街の風景
取手駅前の写真展を早めに見終わり、時間もあり寄り道をしたのです。

“取手一高”の脇を通りかかったところ、


見上げるポールの先に、“本多作左右衛門重次墳墓”とあるのです。茨城県指定史跡です。町の指定よりも、市の指定よりも、その上の“県指定で”すか。

きっと、それなりのお方の、それなりのお墓です。これは、もう、覗いてこなければと、思ったのです。それにしても、“本多作左右衛門重次”と云う方は、いったいどんな方なのでしょうか?

それにしても、この案内板は、何で?こんな高いところにあるの? 高すぎて、遠くからでないと視界に入いらん! 視界に入っても字が読めん! 近くだと字は読めるが、視界に入いらん! 

でも、しかし、“暇と好奇心”がある、少数の限られた方だけが気が付くのでした。住宅街の奥の方にあるようですから、住民のからの、無闇に人が入り込まないようにとの要望が、この高さとなったのでしょうか?


まぁ、そんなことより、兎に角、墳墓目指して路地に入ります。あと400㍍


あの名門、取手一高野球部の練習グラウンドの脇を通過します。


なかなかケッコウな町工場です。もしかして、もう現役引退?そんな雰囲気が漂っています。


工場の前には祠が二つ並んでいました。工場に祠、とても似合います。


グラウンドは続きます。


住宅街を進みます、この先で右に折れます。


右に折れたら、真っ直ぐに進みます。


あと100メートルの標識で左に曲がります。


突き当たりに、それらしいものが見えて来ました。


ココです、コレです。


まぁ、それなりの佇まい。


いゃ~、知りませんでした。「シゲツグさん」は、あの“お仙泣かすな馬肥やせ”の方だったのです。わたし“お仙”は娘だと思っていました。

ふつう“お仙ちゃん”と云えば女の子と考えますよ。息子“仙千代”の名前まで“お仙”と縮めていたのです。“お仙ちゃん”は後に、4万3千石のお殿様になっていたのでしす。知りませんでした。


いろいろと立ってます。


これがお墓です。


“必要にして充分”な手紙、“一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”が、「本多作左右衛門重次」の作で、“お仙”が息子で後に殿様になったとか、その作者の墓が、取手の、こんな処にあったり、もう、ホントに知りませんでした。

世の中、いろいろなモノが、いろいろなトコロに、アッタリするのでした。

それでは、また明日。


コメント
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