昨日の続きです。
いよいよ、“食い物”の話しになります。新潟と聞いて思い浮かぶ食べ物と云ったら、何故か、すぐに・・・思い浮かぶものが無かったのです。
海に面しているので、それなりに海の幸は豊富なのでしょうが・・・・・・。ハタハタ、しょっつる、きりたんぽ、いぶりがっこ、は隣の秋田県だし、日本海のカニは越前だし・・・・・・。
新潟と云えば、やっぱり“お米”で、魚沼産コシヒカリで、旨い米で旨い酒で、越乃寒梅・八海山で、柿の種で、農産物関係になってしまうのでしょうか。
そんなことで、新潟を調べていたら、“タレカツ丼”に“イタリアン”に出会ったのです。県民、市民に相当愛されている事を、今回はじめて知ったのです。
タレカツ丼は数年前にテレビ紹介されたのをボンヤリ覚えていました。しかし、それが、何処の町で食べられているのかは、今回初めて知ったのです。イタリアンの方は、これまで、見たことも聞いたこともありませんでした。
これが“タレカツ丼” 新潟では“タレカツ”が当たり前で、“カツ丼”と云えば、普通にタレカツ丼の事を指すそうなのです。
※Wikipediaより
普通に眺めると、いわゆる“カツ丼”と比較して、何か寂しい景色に見えるのです。やっぱり、タマネギがあって卵でとじてあって、時には、グリンピースだとか、紅ショウガだとか、三つ葉だとかのトッピングがあったりして、それなりに華やかな方が・・・何て、思ったりするのです。
カツだけでの、一本勝負の“タレカツ丼”は、一体どんな味わいなのでしょうか。タレカツですから“タレ”が味の決め手になるわけです。一般的なタレかつ丼の、タレの材料構成は、鰹と昆布の合わせ出汁に、醤油に、味醂に、砂糖がベースなようです。
材料構成は「卵とじカツ丼」のタレとは変わらないようです。揚げたカツをタレに潜らせご飯にのせるだけですから、タレは、卵とじ方式よりも、それなりに“濃い目”の味付けなのでしょう。
“タレ潜らせ方式”は、天丼方式や、鰻丼方式に近い濃さでは?、と推測します。どちらも、継ぎ足し方式で、天種の旨味、油の旨味、ウナギの旨味等が、醤油ベースのタレと渾然一体となり、長い年月をかけて熟成され、それは、もう、何とも云えない、まねのできない、その店の味をつくるのです。
それで、このタレカツ丼は、いったい誰がいつ頃考えたのか? カツ丼と云えば、卵とじカツ丼です。
※Wikipediaより
そして、卵とじカツ丼より古いのが、ソースカツ丼です。
※Wikipediaより
私の大胆かつ緻密な推測としては、カツだけをご飯にのせる「ソースカツ丼」と、揚げてタレに潜らす「天丼」とを“両親”として誕生したのが、“タレカツ丼”ではないかと思うのです。たぶん、きっと、間違い無い。
それで、タレカツ丼発祥の秘密を探ってみたのです。
卵とじカツ丼や、ソースカツ丼は、いつ誰が考案?は諸説あるようですが、タレカツ丼については、1945年(昭和20年)に新潟市の「とんかつ太郎」初代店主が考案し広めたと、ハッキリしているのです。
それで、「とんかつ太郎」のページを見たのです。
以下転載
薄めのパン粉に包まれ、サクッとした歯ごたえ。
伝統の味、一度食べたら病みつきになること間違いなし!
とんかつ太郎の歴史は、昭和初期に遡ります。
当時、新潟市の中心部には堀が巡らされ、堀の縁にはさまざまな屋台店が
軒を連ねていました。私たちとんかつ太郎も、そんな屋台発祥店のひとつです。
初代の小松道太郎は、当時モダンな料理だったかつレツを大胆にも醤油ダレに
くぐらせてご飯の上にのせて提供しました。
このオリジナル料理が新潟の人に大いにウケて、いまや「新潟のかつ丼スタイル」
として定着したのです。
と書かれてあり、年代は昭和初期とだけ書かれていて、昭和20年と明確には記されていません。そんな重大事件でも、大発見でもないですから、タレカツ丼の完成を記録には残っていないのです。
たぶん、いろいろと試行錯誤の末、いつの頃か現在の形態が完成したのであり、何年何月何日、タレカツ丼完成!なんて記録は誰も付けていないのです。ですから昭和初期が、正しく、正直なのでしょう。
それで、こんな感じで、こんな価格です。
かつ丼 970円
かつカレー 970円
とんかつ定食 1470円
どれも旨そうです!リーズナブルな価格設定です。絶対に食べたい! 誰が、何と云おうと、新潟に行ったら絶対に喰うぞォ! かつカレーも食べたい!
中央区古町6番町973番地に「かつ太郎」はあります。ストリートビューで見ると、間口は一間半程度の小さな庶民的なお店です。
お腹が減ってきたので、今日は、ここでお終い。
それでは、また明日。
いよいよ、“食い物”の話しになります。新潟と聞いて思い浮かぶ食べ物と云ったら、何故か、すぐに・・・思い浮かぶものが無かったのです。
海に面しているので、それなりに海の幸は豊富なのでしょうが・・・・・・。ハタハタ、しょっつる、きりたんぽ、いぶりがっこ、は隣の秋田県だし、日本海のカニは越前だし・・・・・・。
新潟と云えば、やっぱり“お米”で、魚沼産コシヒカリで、旨い米で旨い酒で、越乃寒梅・八海山で、柿の種で、農産物関係になってしまうのでしょうか。
そんなことで、新潟を調べていたら、“タレカツ丼”に“イタリアン”に出会ったのです。県民、市民に相当愛されている事を、今回はじめて知ったのです。
タレカツ丼は数年前にテレビ紹介されたのをボンヤリ覚えていました。しかし、それが、何処の町で食べられているのかは、今回初めて知ったのです。イタリアンの方は、これまで、見たことも聞いたこともありませんでした。
これが“タレカツ丼” 新潟では“タレカツ”が当たり前で、“カツ丼”と云えば、普通にタレカツ丼の事を指すそうなのです。
※Wikipediaより
普通に眺めると、いわゆる“カツ丼”と比較して、何か寂しい景色に見えるのです。やっぱり、タマネギがあって卵でとじてあって、時には、グリンピースだとか、紅ショウガだとか、三つ葉だとかのトッピングがあったりして、それなりに華やかな方が・・・何て、思ったりするのです。
カツだけでの、一本勝負の“タレカツ丼”は、一体どんな味わいなのでしょうか。タレカツですから“タレ”が味の決め手になるわけです。一般的なタレかつ丼の、タレの材料構成は、鰹と昆布の合わせ出汁に、醤油に、味醂に、砂糖がベースなようです。
材料構成は「卵とじカツ丼」のタレとは変わらないようです。揚げたカツをタレに潜らせご飯にのせるだけですから、タレは、卵とじ方式よりも、それなりに“濃い目”の味付けなのでしょう。
“タレ潜らせ方式”は、天丼方式や、鰻丼方式に近い濃さでは?、と推測します。どちらも、継ぎ足し方式で、天種の旨味、油の旨味、ウナギの旨味等が、醤油ベースのタレと渾然一体となり、長い年月をかけて熟成され、それは、もう、何とも云えない、まねのできない、その店の味をつくるのです。
それで、このタレカツ丼は、いったい誰がいつ頃考えたのか? カツ丼と云えば、卵とじカツ丼です。
※Wikipediaより
そして、卵とじカツ丼より古いのが、ソースカツ丼です。
※Wikipediaより
私の大胆かつ緻密な推測としては、カツだけをご飯にのせる「ソースカツ丼」と、揚げてタレに潜らす「天丼」とを“両親”として誕生したのが、“タレカツ丼”ではないかと思うのです。たぶん、きっと、間違い無い。
それで、タレカツ丼発祥の秘密を探ってみたのです。
卵とじカツ丼や、ソースカツ丼は、いつ誰が考案?は諸説あるようですが、タレカツ丼については、1945年(昭和20年)に新潟市の「とんかつ太郎」初代店主が考案し広めたと、ハッキリしているのです。
それで、「とんかつ太郎」のページを見たのです。
以下転載
薄めのパン粉に包まれ、サクッとした歯ごたえ。
伝統の味、一度食べたら病みつきになること間違いなし!
とんかつ太郎の歴史は、昭和初期に遡ります。
当時、新潟市の中心部には堀が巡らされ、堀の縁にはさまざまな屋台店が
軒を連ねていました。私たちとんかつ太郎も、そんな屋台発祥店のひとつです。
初代の小松道太郎は、当時モダンな料理だったかつレツを大胆にも醤油ダレに
くぐらせてご飯の上にのせて提供しました。
このオリジナル料理が新潟の人に大いにウケて、いまや「新潟のかつ丼スタイル」
として定着したのです。
と書かれてあり、年代は昭和初期とだけ書かれていて、昭和20年と明確には記されていません。そんな重大事件でも、大発見でもないですから、タレカツ丼の完成を記録には残っていないのです。
たぶん、いろいろと試行錯誤の末、いつの頃か現在の形態が完成したのであり、何年何月何日、タレカツ丼完成!なんて記録は誰も付けていないのです。ですから昭和初期が、正しく、正直なのでしょう。
それで、こんな感じで、こんな価格です。
かつ丼 970円
かつカレー 970円
とんかつ定食 1470円
どれも旨そうです!リーズナブルな価格設定です。絶対に食べたい! 誰が、何と云おうと、新潟に行ったら絶対に喰うぞォ! かつカレーも食べたい!
中央区古町6番町973番地に「かつ太郎」はあります。ストリートビューで見ると、間口は一間半程度の小さな庶民的なお店です。
お腹が減ってきたので、今日は、ここでお終い。
それでは、また明日。