歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“原節子を何となく” その⑥ 大根女優?

2011年06月14日 | 原節子
先週からの続きです。

まだ、「原節子 あるがままに生きて」を読みつつ、綴ります。

それで、第22章は“大根女優”です。大根です。大根役者です。大根は絶対に“あたらない”のです。西洋では“ハム役者”と云うそうです。ハムは食あたりしそうな気がしますが・・・・・・それで、原節子ですが本人も相当気にしていたようで、戦後、こんな事を語っています。

『・・・さて、それから私が、「大根女優、大根女優」と批評などで叩かれた時代となります。そう云われて癪にさわってもしようがないし、自分でも決してうまいとは思っていないのでなんともありませんが、「ひと一倍そんなに云われるほど、ほかのひとに比べて私は下手なのかしら・・・・・・。でも、ほかのひとにはない私は私なりのいいところだってあるのじゃアないか」と、ときには反発する気持になりました』

これは、『映画ファン』1952年11月号から53年の2月号に載った「私の歴史・1~4」記事ですから、大根女優と云う評価は戦前のものです。

大根時代には、いくら何でも、大根の話しはできないのです。戦後、“大根女優”を、それなりに脱して、改めて過去の大根時代を振り返っているのす。


それにしても、世間は相当に大根と叩たいたよううで“ひと一倍そんなに云われるほど・・・・・・”の処に、相当頭にきた気持ちが現れています。温和しくて、控え目で、冷静で、賢明な彼女がこう云うのですから、かなり癪にさわっていたのです。

女優は何と云っても美貌です。巧い役者と云われるのは美貌とは遠い役者なのです。巧い役者と呼ばれるには、コムズカシイテーマを、コムズカシクしく演じると、それなりに巧く見えてくるものです。

反社会的で、反体制で、犯罪者で、屈折していて、躓いて、暗くて、影があって、絶望して・・・・・・、何て役柄を、それなりに演じれば、そこそこの役者に見えるのです。大根と巧い役者と、それほど差はないと思います。監督の腕次第です。

それで、原節子も戦前に、アンドレ・ジット原作の『田園交響楽』を山本薩夫監督で、そして、昨日の“レ・ミゼラブル”を原作として、伊丹万作監督が撮った「巨人伝」など、いろいろと、コムズカシイ文芸作品に出演したのです。

でも、しかし、大根女優の称号はなかな消えなかったようです。やはり、美貌が邪魔をしていたのです。あまりに美しいと、どうしても美しさ強調した演出になるのです。巧さにには、それなりの“醜さ”が必要です。

原節子も、戦後になってから、それなりに、美しさに陰りが見えはじめてから、大根の評価にも陰りが見え始めたのでは?と、思うのです。


美しいからと云って“色気”があると云う訳ではありません。戦前の原節子には色気がありません。戦後になって、やっとすこし色気が出てきたのです。

美しさに陰りが見え始めて、女の色気が見え始め、大根から抜け出して、“イイ女”、“イイ役者”になりつつあったのに、スクリーンから消えてしまいました。

とても、とても残念です。


それでは、また明日。

コメント (2)
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