歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

美空ひばりは“菩薩”でした!

2011年06月27日 | テレビの話し
昨日は、「美空ひばり」を観てしまいました。

「美空ひばり」がテレビに登場する季節なのです。平成元年(1989年)6月24日、52歳でこの世を去ったので、今年は23回忌になるのです。

そんなことで、NHKも4時からと6時半からの二部構成で大変な力を入れたように見えます。でも、しかし、時間的にはゴールデンでもなく、BSでしたから、微妙な感じもするのです。再放送は地上波で平日の夕方あたりに放送するのでしょうか。

それで、やっぱり、美空ひばりは凄かったです。

初期の、東京キッド、リンゴ追分、ひばりの佐渡情話、間がなくて、晩年の、川の流れのように、愛燦々、みだれ髪、この辺りが好きです。

ひばり最大のレコード販売枚数を記録したのは“柔”だそうですが、この手の曲は、とても、どうも、ねェ~・・・・・・・です。

それで、観ていて、聞いていて、もしかして、これは、きっと“美空ひばり”は・・・・・・。

観衆を見回し、手を広げ、頷き、ほほえむ、あの表情は・・・・・・、そして、その特異な衣装、そうだぁ! これは、“菩薩”だぁ!と、思ったのです。

そうです。観世音菩薩です。観音様です。観衆は、ひばりの歌を観て聴いて、そして、悩み、嘆き、悲しみ、苦しみから、解き放たれ、一瞬の極楽浄土を観ているのです。

彼女の歌声は人間技ではありません。そういう、ことだったのです。そう云えば、むかし、むかし、あの“竹中労”が、そんな菩薩説を言っていたような気がしてきました。

戦後の混乱期、大衆のこころを、ぎゅっと、鷲づかみにしたのは“美空ひばり”でした。

社会党も、共産党も、総評も、新興宗教も、大衆のこころを掴めませんでした。美空ひばりには勝てませんでした。それは、美空ひばりが“観音さま”だったからです。

昭和も終わり、美空ひばりも終わり、すべてが、終わったままで、いまは、なにも、始まっていない? それとも、おわりの始まりですか・・・・・・。

21世紀に入って10余年、そして、福島で原発が爆発し、放射能汚染が日本全国を、世界を、覆うことになりました。

窓の外が暗いと、こころも暗くなります。


コメント (3)
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