歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“原節子を何となく” その⑦ 監督が大根?

2011年06月15日 | 原節子
昨日の続きです。

昨日は“大根”と“ハム”の話しでした。すこしだけ、その続きです。

それで、“原節子 あるがままに生きて”の138ページで、小津監督が原節子の演技について、

『僕は過去二十何年か映画を撮ってきたが、原さんのように理解が深くてうまい演技をする女優はめずらしい、芸の巾ということからすれば狭い、しかし、原さんは原さんの役柄があってそこで深い演技を示すといった人なのだ、例えばがなりたてたり、子守っ子やおかみさんのような役にあの人の顔立ちや人柄が出来上がっていないという、それを「原節子は大根だ」と評するに至っては、むしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだと思う』(週刊アサヒ芸能新聞1951年9月9日)

この記事は1951年の9月ですから、小津監督による原節子初作品『晩春』(1949年9月)を撮った後で、『麦秋』(1951年10月)の撮影中の記事だと思います。『晩春』の評判が良かったので、かなり強気な発言になったようです。



“大根役者”とは、解釈によって180度変わると思います。役者の顔立ちや人柄にあった役しか出来ない、役柄の巾が狭い、と、云う事は、大根だとも云えるのです。

また、脚本の役柄に合わせて俳優を選ぶのは、監督として当たり前ですし、役柄に合わない俳優を使ったら、監督が大根と云われてもしかたがないとも云えます。

何でも、かんでも、こなせる器用な俳優は主役には向かないのです。強い個性があるから主役になれるし、スターになれるのだと思います。

顔立ちとか、体つきで、それなりに役柄は限定されるのです。高倉健にリストラされた“しょぼいサラリーマン役”は無理なのです。そんなキャスティグをする監督はいません。

そういえば、高倉健と云えば、“ぽっぽ屋”で定年間近の鉄道員を演じていましたが、あまりにも、あまりにも、いくら映画のお約束とは云え、カッコ良すぎて嘘っぽかったのです。

“嘘っぽかった”云えば、ついでに、海外へ飛んで、あのイタリア映画の名作“ひまわり”です。ストーリーは悲しい、悲しい、戦争悲劇なのです。

がぁ、しかし、、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが演じたことで、悲劇性が、かなり、かなり、薄らいでいるのです。二人の個性が役柄に合っていないのです。ミスキャストです。

話しが、幾分、海外に逸れてしまいました。

まぁ、兎に角、大根もハムも、監督のキャスティングと演技指導でどうにでもなるのです。後は、監督と俳優の相性が合えばイイのです。



小津監督と原節子は、とても相性がよかったと思います。小津監督の代表作と原節子の代表作が共通するのは、そんな事からだと思うのです。イイ俳優に出会った監督、イイ監督に出会った俳優なのです。

冒頭で、昨日の“すこしつづき”と書きましたが、全部がつづきになってしまいました。まぁ、いつも、書いているうちに、最初に書こうとしたことが、途中で、だんだん逸れていくのは、いつものことで・・・・・・。

ホントは、『東京物語』について、ちょっと云いたかったのです。まぁ、それは、次回に回すことにします。

本日は朝早く出掛け、昼に戻って来たので更新が遅れました。午前中に更新しないと、何か書きにくいのです。午前中に書いて、午後は外を走り回るのが、いつものスタイルになっているのです。

以前は暗い夜に書いていたのですが、今は明るい午前中が更新タイムに変わってしまいました。年齢がそうさせているような、ちょっと寂しいような、そんな気が・・・・・・です。

まだ、そんな事で“何となく原節子”はつづきそうです。

それでは、また明日。



コメント
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