歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“石川さゆり”は巫女ですか?

2011年06月28日 | テレビの話し
昨日は菩薩で、今日は巫女です。

“美空ひばり”が菩薩と云ったのはわたくしですが、“石川さゆり”を巫女と云ったのは、あの“なかにし礼”です。

先日、NHKBSの“ショータイム”で石川さゆりを採り上げていたのです。その時、ゲストの“なかにし礼”が、石川さゆりを前にして発言したのです。

石川本人は、その発言に対して、どう反応すべきか迷ったようで、結局、感想も、表情の変化も無いままに、話題は他に移りました。あの世と、この世を繋ぐ、霊媒に例えられても、頭の中はかなり混乱したのだと思います。

昨日の“ひばり”が52歳で亡くなり、そして、“さゆり”は今年の1月で53歳になり、“ひばり”を越えました。「津軽海峡・冬景色」が1977年で、その時19歳でした。

50代の歌手は“むずかしい”のです。ひばりもいまにして思えば、あの歳で終わって良かったのかも知れません。

それで、“石川さゆり”なのですが、画面でアップの映像を見て、えッ!、と、驚き、そんなァ、と、小さく呟いてしまいました。

ステージでのアップよりも、スタジオでのアップは表情がより鮮明に映るのか、目尻の皺、口元の皺、とても、とても、なのです。53歳を“隠しきれない”のでした。

去年の10月15日に

“最近では、「石川さゆり」が女性演歌歌手では、ダントツでナンバーワンだと思います。“天城越え”には強烈なインパクとがあります。艶っぽいイイおんなになりました”

と書いたばかりなのですが・・・・・・。

この日の“さゆり”は、画像の鮮明度とか、照明とか、化粧とか、そんな違いだけではなく、いくらか痩せていました。以前よりも顔全体が細く、頬に疲れが見えました。ダイエットをしているのか、50代のダイエットは顔の張りを失い、老け顔になる危険性があります。

女性は、“ぽっちゃり”で、“ふくよか”がイイのです。まさか、歳の所為ではないと思うのですが、どちらにしても心配です。

50歳代は、とても“ムズカシイ”のです。演歌は、男と女、出会いと別れ、色と恋い、寂しさ、儚さ、恨みと空しさ、50歳の頃から、だんだんと、実年齢の生活実態が、色恋の世界と遠ざかって行くのです。60・70代では絶対無理になります。

30代後半が頂点で、しばらくして、すこしずつ、すこしずつ、下り坂に入るのです。後は、過去の歌を、当時のファンが支えて行くのです。新しいヒット曲は無くなって行くのです。“もう、ひと花”はなかなか咲かないのです。

あの“ひばり”が52歳で亡くなりました。最後のヒット曲は、亡くなった年に唄った「川の流れのように」でした。

“都はるみ”最後?のヒット曲「小樽運河」は90年の復帰第一作で、“36歳”のときでした。

“八代亜紀”最後?のヒット曲「雨の慕情」で1980年で、“30歳”のときでした。この年の紅白で2年連続の大トリを務めています。前年は「舟唄」がヒットしての大トリでした。

それで、“さゆり”の最後かも?知れないヒット曲「風の盆恋歌」は1989年で、31歳の時でした。この年の紅白で初の大トリを務めています。

それでも、高齢化社会ですし、“石川さゆり”ですから、これからも、色恋でヒット曲が生まれるかも知れません。

それでも、やっぱり、「風の盆恋歌」のような、色恋と云っても、過去を辿り、思い出し、懐かしむ、“人生の盛りをふり返る的”な曲の可能性が高いと思います。

それと、気になったのは、皺と年齢と、もう一つ、最近の「天城越え」で、歌い終わってのポーズです。

女の、愛への、男への、激しい、執念とか、情念とか、そんなことを表現しているのでしょうが、正面を、見据えると云うか、睨み付けると云うか、虚空を凝視すると云うか、その眼、その表情を観ていて、ハッ!と、したのです。

それは、“ちあきなおみ”です。あの“おいで、おいで”の、「夜へ急ぐ人」の、“ちあき”を思い出したのです。旦那が亡くなった1992年、45歳の時に芸能界から消えて行きました。

二人とも、芸の興味が歌から芝居へと、すこしずつ移っていく過程がとても似ているのです。

それで、もしかして、なのですが・・・・・・。

今日のところは・・・・・・・。

この続きは、明日ということで。


それでは、また明日。


コメント
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