前回の続きです。
横山家住宅と槍かけ団子を観て写真も撮ったし、時間もない事だし駅に戻る事にしました。帰り道は“宿場町通り”から脇の路地を通って駅に向かいます。
横山家脇の路地を入ると、突き当たりに“お寺の門らしきもの”が見えたのです。もしかして、これは“槍かけの松”があった“清亮寺”か?と思ったのです。

でも、しかし、そこは“真言宗長圓寺”でした。

ざっと読んで写真を撮って、

こちらが、“めやみ地蔵”で、

眼病を治すお地蔵様で、

こちらは、これをクルクル回すと、百万遍お詣りしたと同じ御利益があるとか、何とか云う、“ナントとか車”かも?

長円寺の前を右に折れ、丁字路の角に石柱を発見。

何と彫ってあるのか、

近づいてみると、“木偏”に“ロ、ハ”の文字に“掘跡”とあります。

“木にロハ”で、いったい何て読むの? 兎に角、木偏だから木の名前が付いた“掘り割り”が、昔、ここを流れていたのでしょう。
それで、帰宅してから、ちょっくら調べてみたのです。木偏に「ロハ」で、何と、“カラタチ”と読むのでした。
“カラタチ”と云えば、あの島倉千代子が歌った「からたち日記」で、“・・・♪カラタチ♪カラタチ♪カラタ~~チのハ~~ナ~”です。
あれは“枳掘跡”だったのです。“からたち”と云う木の名前は知っていましたが、こんな漢字を書くとは、まったく知りませんでした。
ここまで調べたので、それでは、何で“枳掘”と呼ばれたの?と、謂われを調べたら、長円寺は通称“からたち寺”と呼ばれ、その脇を流れていた掘り割なので、“枳掘”りなのでした。
参道に枳が植えられていたので“からたち寺”で、単純な事でした。
それで、この“枳”と云う漢字ですが、木偏に“つくり”が“タダ”で、カラタチと云うのは何故? 辞書を引くと、
---ただ【徒/只】 《「直(ただ)」と同語源》 [名] 1 取り立てて値打ちや意味がないこと---
と、あります。“意味も値打ちも無い”とは、何とも、寂しい説明です。木偏に只の枳は意味も値打ちも無い木と云うことでしょうか? もしも、カラタチが聞いたら、間違い無く激怒しますね。
序でですが、無料のことを“タダ”と云い、“ロハ”とも云うのは、只という字からきていることに、気が付きました。でも、今は“ロハ”は死語かもね。
もう一つ序でに、カラタチは日本の“橘”似ている“唐の橘”で略して“カラタチ”なのだそうです。
カラタチには棘があり、実がなるのですが種が多く、酸味と苦味が強く食用にならないそうで、そんな事で「木偏に只」となったのでしょう。昔はよく垣根として植えられたそうですが、今は、ブロック塀や、アルミフェンスにその座を譲ったのです。
それで、隣に、枳掘跡の石碑があるのですから、長円寺の説明板で、ひと言“からたち寺”のことを触れて欲しいと思うのです。

それと、この説明を読むと、“毛彫りの石碣”と云う文字がありますが、毛彫りは毛のように、細く、細かい、線で彫られているとは想像できるのですが、“せっけつ”と“ふりがな”があるのですが、石碣とは???・・・・・・。
調べて見たら、石碑と同じ意味でした。今回は、とても、とても、石碣と云い、枳と云い、漢字のお勉強にも、植物のお勉強にもなりました。
こちら玄関に並ぶお二人は、

漢字の国の賢者のお姿のようにお見受けしました。この一画は、かなり、かなり、中国文化の濃いところです。

北千住の駅前に戻りました。

さあ、東武伊勢崎線で浅草を目指します。
それでは、また。
横山家住宅と槍かけ団子を観て写真も撮ったし、時間もない事だし駅に戻る事にしました。帰り道は“宿場町通り”から脇の路地を通って駅に向かいます。
横山家脇の路地を入ると、突き当たりに“お寺の門らしきもの”が見えたのです。もしかして、これは“槍かけの松”があった“清亮寺”か?と思ったのです。

でも、しかし、そこは“真言宗長圓寺”でした。

ざっと読んで写真を撮って、

こちらが、“めやみ地蔵”で、

眼病を治すお地蔵様で、

こちらは、これをクルクル回すと、百万遍お詣りしたと同じ御利益があるとか、何とか云う、“ナントとか車”かも?

長円寺の前を右に折れ、丁字路の角に石柱を発見。

何と彫ってあるのか、

近づいてみると、“木偏”に“ロ、ハ”の文字に“掘跡”とあります。

“木にロハ”で、いったい何て読むの? 兎に角、木偏だから木の名前が付いた“掘り割り”が、昔、ここを流れていたのでしょう。
それで、帰宅してから、ちょっくら調べてみたのです。木偏に「ロハ」で、何と、“カラタチ”と読むのでした。
“カラタチ”と云えば、あの島倉千代子が歌った「からたち日記」で、“・・・♪カラタチ♪カラタチ♪カラタ~~チのハ~~ナ~”です。
あれは“枳掘跡”だったのです。“からたち”と云う木の名前は知っていましたが、こんな漢字を書くとは、まったく知りませんでした。
ここまで調べたので、それでは、何で“枳掘”と呼ばれたの?と、謂われを調べたら、長円寺は通称“からたち寺”と呼ばれ、その脇を流れていた掘り割なので、“枳掘”りなのでした。
参道に枳が植えられていたので“からたち寺”で、単純な事でした。
それで、この“枳”と云う漢字ですが、木偏に“つくり”が“タダ”で、カラタチと云うのは何故? 辞書を引くと、
---ただ【徒/只】 《「直(ただ)」と同語源》 [名] 1 取り立てて値打ちや意味がないこと---
と、あります。“意味も値打ちも無い”とは、何とも、寂しい説明です。木偏に只の枳は意味も値打ちも無い木と云うことでしょうか? もしも、カラタチが聞いたら、間違い無く激怒しますね。
序でですが、無料のことを“タダ”と云い、“ロハ”とも云うのは、只という字からきていることに、気が付きました。でも、今は“ロハ”は死語かもね。
もう一つ序でに、カラタチは日本の“橘”似ている“唐の橘”で略して“カラタチ”なのだそうです。
カラタチには棘があり、実がなるのですが種が多く、酸味と苦味が強く食用にならないそうで、そんな事で「木偏に只」となったのでしょう。昔はよく垣根として植えられたそうですが、今は、ブロック塀や、アルミフェンスにその座を譲ったのです。
それで、隣に、枳掘跡の石碑があるのですから、長円寺の説明板で、ひと言“からたち寺”のことを触れて欲しいと思うのです。

それと、この説明を読むと、“毛彫りの石碣”と云う文字がありますが、毛彫りは毛のように、細く、細かい、線で彫られているとは想像できるのですが、“せっけつ”と“ふりがな”があるのですが、石碣とは???・・・・・・。
調べて見たら、石碑と同じ意味でした。今回は、とても、とても、石碣と云い、枳と云い、漢字のお勉強にも、植物のお勉強にもなりました。
こちら玄関に並ぶお二人は、

漢字の国の賢者のお姿のようにお見受けしました。この一画は、かなり、かなり、中国文化の濃いところです。

北千住の駅前に戻りました。

さあ、東武伊勢崎線で浅草を目指します。
それでは、また。