歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京スカイツリーの下は東京物語

2012年04月02日 | 東京の風景
前回の続きです。

東京スカイツリーの周囲を歩いています。

今日が最終回になります。

スカイツリーを見終わり、これより帰路につきます。この日、行きは東武伊勢崎線の浅草駅で降り、吾妻橋を渡り、ウンコビルじゃなくて、炎のオブジェ、墨田区役所、長命寺の桜餅、言問団子、そして、業平橋駅、東京スカイツリーと、辿って来たのです。

帰りは、ぶらぶらと、路地を歩き、曳舟駅から東武伊勢崎線に乗ろうと思います。

こちらは、スカイツリーの真下、押上通り商店街です。ありました!“東京都指定食堂”の“大衆押上食堂”です。


残念ながら本日はお休みです。あの、戦中戦後の食糧難の時代に活躍した“外食券食堂”の面影を残す、東京都指定食堂なのです。“飲食営業臨時規整法”に基づく“東京都指定民生食堂”なのです。


2008年6月9日に記事を書き、2011年に“もう無くなった”と書いき、“まだ存在しています”と押上在住の方からコメントを頂いた“押上食堂”は、確かに、いまも、スカイツリーの足下に、しっかりと存在しておりました。

ホント、デジタル時代の電波塔の下、外食券食堂の面影を残す、東京都指定民生食堂が、いまもなお、ここに存在していました。

歳を重ね、未来よりも、過去が、ずっとずっと長くなると、こういう、古くて、消えそうなものに、自らを重ね合わせ、愛おしくなるのです。

でも、ホントのところ、外食券食堂はリアルタイムでの記憶はありません。でも、兎に角、それでも、いつか、何処かで、すれ違ったような気がするのです。

東京スカイツリーが開業すると、押上商店街は、これからどのように変化して行くのか?とても楽しみです。


この商店街の風景はどう変わって行くのか? それとも変わらないのか?


この、東京の“端っこ感”が、とても、とても、好きなのです。


こんな高層マンションの景色も現れ、


民家の先にスカイツリーが現れても、


路地も、


アパートも、


餅菓子屋も、町工場も、


日本そば屋も、


お風呂屋も、


みんな、みんな、好きです。「東京物語」の世界です。

それにしても、東京の端っこに暮らす、地方出身の家族を描いて、小津監督は何故?「東京物語」と云うタイトルを付けたのか? 

戦後の混乱から復興期、地方出身で、地方を引き摺る、東京暮らし一世達の「東京」での「物語」。


東京以外の地方で暮らす人達、東京の端っこで暮らす人達、都心の高級住宅地に暮らす人達、「東京物語」は、それぞれに、いろいろと、違って見えたことでしょう。きっと。

東京は地方出身者の集まりです。地方出身の曾祖父と曾祖母、東京生まれの祖父と祖母、東京生まれの父と母、そして、東京生まれが3世代続いて、初めて東京人の誕生。

いま、山田洋次監督によって「東京家族」と云うタイトルの映画が制作中だそうです。

世の中は、先の見えない停滞期、平成の時代です、地方を引き摺った東京人の物語ではなく、“東京人の東京での物語”のような気がします。妻夫木聡が主演のようです。

山田洋次監督は御年80歳の地方出身者ですから、もしかして、また、地方を引き摺った東京に出て来た人の物語だったりして? まあ、それは、それで、ありだと思いますけどね・・・・・・。

話しが逸れてきました。そんな、東京の端っこの、曳舟駅を目指して、二人で歩いています。この日は暑く、ドーナツ屋さんでアイスコーヒーだけを飲んで休憩。


曳舟駅。


特急の名前が、“りょうもう”です。いかにも、東武鉄道で、伊勢崎線で、イイです。


はい、これで、お終い。

それでは、また。

コメント (1)
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