最終回を観ました。
前日に録画予約していたのですが、当日は、リアルタイムで観てしまおうか?それとも、やっぱり次の日に観るか?と、迷ったりしたのです。何たって最終回ですから、いつもとは多少ことなるのです。
でも、しかし、夜の9時を過ぎると、観たい気持ちは少しずつ、少しずつ、薄らいで、10時には床に入って寝てました。
そして、本日の午前中に満を持して、再生ボタンを押したのです。一番気になったのは、何と云っても、“山岡孝吉の犯した罪”です。前回、プログに推測を書いてしまったので、それなりに、責任?と云うか、見栄?と云うか、大はずれしては、それなりに小っ恥ずかしい!なんて、思ってみたり・・・。
でも、ホント!反省しているのです。折角のドラマ、かなり損をした気持ちになりました。やはり、あんな事を云った為に、邪念が生じ、ドラマに素直に集中し、素直に感動する事を、かなり、かなり、邪魔されました。ホント!余計なことしてしまった。
それで、孝吉少年の罪ですが、食べ物ではなく“水”でした。水筒の水を自分が飲み干し、妹が、かか細く“お水・・・お水・・・お水・・・”と訴える声・・・、もう、ダメです。可哀想で、可哀想で、まともに見ていられません。
思い出してしまいました。あの“火垂の墓”です。妹が空になったドロップの缶に水を入れ、微かな甘みの残り香がを・・・。もう、ダメです!
幼い子供に、こんな、残酷な、残酷な、思いをさせるのは、絶対に、あってはならないのです。子供達に、まったく責任は無いのです。でも、いまでも、それが、あちこちでくり返されているのが、今の、この世界の現実。
でも、冷静になって考えなければ、と、そう思うのです。感情に訴えるのは、とても、とても、効果的なのですが、悲しいかな長続きしません。
戦争は悲惨で残酷です。でも、それに反対する事は、とても、とても、とても、難しいことです。反対できない状況がつくられてから、戦争になってから、ジタバタしても遅いのです、後の祭りです。
反対できない状況になってから、しばらくして、これは戦争になると、人は気付くのです。大多数の人は、それまで、まさか、まさか、そんなことにはと思っているのです。
で、いまは? わたしとしては、反対できない状況に、半歩踏み入れた、とても、とても、微妙なところに来ていると思うのです。多くの人は、それは、あなた、ちょっと考えすぎ、と、思うでしょう。
それと、戦争は、それなりに、時と場合によっては、やむを得ないと、戦争は、勇ましく、凛々しく、勇敢で、立派で、正しく、美しい、と、口には出さず、密かに思っている方が、案外、周りに、多く、いるのです。そして、いま、それなりに、発言をはじめているのです。
それで、“マッサン”ですが、戦争中て、鬼畜米英で、特高警察で、言論統制で、一平?に招集令状で、ドラマが展開していますが、見ていても、昔話には思えないのです。
そして昨日は、“小さいお家”も放送されました。あの頃は、みんな、戦争に、バンザイ、バンザイだったのです。
誰しもが、終戦間際まで、玉音放送を聞くまで、バンザイ、バンザイだったのです。
ホント! 元自民党の元幹事長の加藤紘一さんならまだしも、元自民党の元幹事長で、あの靖国神社元総代職で、日本遺族会の元会長の、古賀誠さんとか、同じく、自民党元幹事長の、野中広務さんとか、安倍政権は危険だと言い始めている、そんな異常事態なのです。
そして、天皇陛下も、皇后陛下も、皇太子も、過去の戦争に、平和憲法について言及し、現政権の、世相の、行く末の、危うさに対して、憲法上ギリギリの発言をされています。
そして、怖いのは、その言及部分をまったく無視するマスコミがあるのです。そう、その代表が“日本放送協会”です。でも、“だから荒野”は、そんな“日本放送協会”の番組でした、だから、未だ、いろいろあるのです。
で、まあ、そんな、こんな、いろいろあっても、やっぱり、いくらなんでも、それは無いと、考え過ぎだと、思っているのですよねェ、皆さん。
そうです!“だからこれは”やっぱり、私の考え過ぎで、未だ半歩踏み入れではなく、未だ、一歩前?半歩手前
それでは、また。
前日に録画予約していたのですが、当日は、リアルタイムで観てしまおうか?それとも、やっぱり次の日に観るか?と、迷ったりしたのです。何たって最終回ですから、いつもとは多少ことなるのです。
でも、しかし、夜の9時を過ぎると、観たい気持ちは少しずつ、少しずつ、薄らいで、10時には床に入って寝てました。
そして、本日の午前中に満を持して、再生ボタンを押したのです。一番気になったのは、何と云っても、“山岡孝吉の犯した罪”です。前回、プログに推測を書いてしまったので、それなりに、責任?と云うか、見栄?と云うか、大はずれしては、それなりに小っ恥ずかしい!なんて、思ってみたり・・・。
でも、ホント!反省しているのです。折角のドラマ、かなり損をした気持ちになりました。やはり、あんな事を云った為に、邪念が生じ、ドラマに素直に集中し、素直に感動する事を、かなり、かなり、邪魔されました。ホント!余計なことしてしまった。
それで、孝吉少年の罪ですが、食べ物ではなく“水”でした。水筒の水を自分が飲み干し、妹が、かか細く“お水・・・お水・・・お水・・・”と訴える声・・・、もう、ダメです。可哀想で、可哀想で、まともに見ていられません。
思い出してしまいました。あの“火垂の墓”です。妹が空になったドロップの缶に水を入れ、微かな甘みの残り香がを・・・。もう、ダメです!
幼い子供に、こんな、残酷な、残酷な、思いをさせるのは、絶対に、あってはならないのです。子供達に、まったく責任は無いのです。でも、いまでも、それが、あちこちでくり返されているのが、今の、この世界の現実。
でも、冷静になって考えなければ、と、そう思うのです。感情に訴えるのは、とても、とても、効果的なのですが、悲しいかな長続きしません。
戦争は悲惨で残酷です。でも、それに反対する事は、とても、とても、とても、難しいことです。反対できない状況がつくられてから、戦争になってから、ジタバタしても遅いのです、後の祭りです。
反対できない状況になってから、しばらくして、これは戦争になると、人は気付くのです。大多数の人は、それまで、まさか、まさか、そんなことにはと思っているのです。
で、いまは? わたしとしては、反対できない状況に、半歩踏み入れた、とても、とても、微妙なところに来ていると思うのです。多くの人は、それは、あなた、ちょっと考えすぎ、と、思うでしょう。
それと、戦争は、それなりに、時と場合によっては、やむを得ないと、戦争は、勇ましく、凛々しく、勇敢で、立派で、正しく、美しい、と、口には出さず、密かに思っている方が、案外、周りに、多く、いるのです。そして、いま、それなりに、発言をはじめているのです。
それで、“マッサン”ですが、戦争中て、鬼畜米英で、特高警察で、言論統制で、一平?に招集令状で、ドラマが展開していますが、見ていても、昔話には思えないのです。
そして昨日は、“小さいお家”も放送されました。あの頃は、みんな、戦争に、バンザイ、バンザイだったのです。
誰しもが、終戦間際まで、玉音放送を聞くまで、バンザイ、バンザイだったのです。
ホント! 元自民党の元幹事長の加藤紘一さんならまだしも、元自民党の元幹事長で、あの靖国神社元総代職で、日本遺族会の元会長の、古賀誠さんとか、同じく、自民党元幹事長の、野中広務さんとか、安倍政権は危険だと言い始めている、そんな異常事態なのです。
そして、天皇陛下も、皇后陛下も、皇太子も、過去の戦争に、平和憲法について言及し、現政権の、世相の、行く末の、危うさに対して、憲法上ギリギリの発言をされています。
そして、怖いのは、その言及部分をまったく無視するマスコミがあるのです。そう、その代表が“日本放送協会”です。でも、“だから荒野”は、そんな“日本放送協会”の番組でした、だから、未だ、いろいろあるのです。
で、まあ、そんな、こんな、いろいろあっても、やっぱり、いくらなんでも、それは無いと、考え過ぎだと、思っているのですよねェ、皆さん。
そうです!“だからこれは”やっぱり、私の考え過ぎで、未だ半歩踏み入れではなく、未だ、一歩前?半歩手前
それでは、また。