最近は、一応、月水金の週三回のペースで更新してきましたが、昨日の水曜はさぼってしまいました。
早朝と夕方、おふくろの送り迎えをしたので、何となく、やはり慌ただしく、書く気持ちになれなかったのです。
それに、です。昨日は3月11日で東日本大震災の日でした。あれから4年の月日が流れたのです。記憶は薄らいできました。
新聞も、テレビも、震災の特集ばかり、私としては、新聞の特集記事は見だしだけを眼で追い、中味の記事は読みませんでした。テレビの特集も見ませんでした。
見たのは当時録画しておいた、当日のニュース映像です。私は3・11を体験していないのです。私の体験はテレビの中の映像だけです。
当日の午後2時46分、辺りは見渡す限り田圃の風景のなか、畦道を自転車で走っていました。何となく地面が波打った感覚と、風もないのにバタバタと空気の揺れる音を感じたのが、3・11体験でした。
震度6の恐怖体験も無く、ひたすら見続けたテレビの、地震と津波と火災の映像が、そして、原発の爆発シーンの映像が、3・11体験です。
「マッサン」も昨日で終戦、いや、敗戦で、そして70年。阪神大震災から20年、東日本大震災から4年。
忘れなければ、と、思うことは忘れられず、忘れてならないことは、忘れてしまう、そう云うものなのでしょう、フツウの人は・・・・・・。
そして、“これまで”の長さと、これからの長さ、の違いも、いろいろと影響することと思うのです。
それで、だからァ、荒野ですが、優太と章吾の“これからは”長く、山岡先生は“これまで”が圧倒的に長く、これからは残り僅か、そして、朋美は、これまでとこれからが、ほぼ同じ長さです。
優太と章吾はこれまでを清算して、それなりに新しい人生が開かれつつ、山岡先生はこれまでを背負つつの人生で、朋美は意識的に、向かい合って、のり越えて、それなりの人生に踏み出すのでしょう。
朋美、いや、鈴木京香さん、終盤は、とても、とても、46歳として綺麗でした。請求書なんて失礼な表現をお詫びします。
終わってみて、考えて、最後に思うのです。録画は消さないで、もう少し時間をおいて観たいとの気持ちがあるので、まあ、それなりに、ヨカッタ!と、思うのです。
15回も引っぱってしまいました。これで「だから荒野」はお終い。
それでは、また。
早朝と夕方、おふくろの送り迎えをしたので、何となく、やはり慌ただしく、書く気持ちになれなかったのです。
それに、です。昨日は3月11日で東日本大震災の日でした。あれから4年の月日が流れたのです。記憶は薄らいできました。
新聞も、テレビも、震災の特集ばかり、私としては、新聞の特集記事は見だしだけを眼で追い、中味の記事は読みませんでした。テレビの特集も見ませんでした。
見たのは当時録画しておいた、当日のニュース映像です。私は3・11を体験していないのです。私の体験はテレビの中の映像だけです。
当日の午後2時46分、辺りは見渡す限り田圃の風景のなか、畦道を自転車で走っていました。何となく地面が波打った感覚と、風もないのにバタバタと空気の揺れる音を感じたのが、3・11体験でした。
震度6の恐怖体験も無く、ひたすら見続けたテレビの、地震と津波と火災の映像が、そして、原発の爆発シーンの映像が、3・11体験です。
「マッサン」も昨日で終戦、いや、敗戦で、そして70年。阪神大震災から20年、東日本大震災から4年。
忘れなければ、と、思うことは忘れられず、忘れてならないことは、忘れてしまう、そう云うものなのでしょう、フツウの人は・・・・・・。
そして、“これまで”の長さと、これからの長さ、の違いも、いろいろと影響することと思うのです。
それで、だからァ、荒野ですが、優太と章吾の“これからは”長く、山岡先生は“これまで”が圧倒的に長く、これからは残り僅か、そして、朋美は、これまでとこれからが、ほぼ同じ長さです。
優太と章吾はこれまでを清算して、それなりに新しい人生が開かれつつ、山岡先生はこれまでを背負つつの人生で、朋美は意識的に、向かい合って、のり越えて、それなりの人生に踏み出すのでしょう。
朋美、いや、鈴木京香さん、終盤は、とても、とても、46歳として綺麗でした。請求書なんて失礼な表現をお詫びします。
終わってみて、考えて、最後に思うのです。録画は消さないで、もう少し時間をおいて観たいとの気持ちがあるので、まあ、それなりに、ヨカッタ!と、思うのです。
15回も引っぱってしまいました。これで「だから荒野」はお終い。
それでは、また。