先日、『銀座化粧』を観ました。
去年の暮れ、双子ちゃんのパパから借りて、暫くそのままにしてあったのです。久しぶりの映画鑑賞でした。
先ずは、冒頭から、それなりに引き込まれるストーリー展開、そして、そして、何よりも、白黒の画面に映し出される1950年代の東京の風景の懐かしさです。
1951年4月公開、私が生まれたのは1950年1月ですから、1歳3ヶ月の時の作品となります。
1951年の風景は、私がものごころが付いた頃の風景と、それほど違いはないと思うのです。それでも、作品の舞台は東京の“ど真ん中”『銀座』で、私が住んでいたのは東京の“ど外れ”の板橋区。
それでも、まあ、銀座とは云っても、終戦直後で表通りから一本路地を入れば、もうそこは“ど外れ”と大して変わらない風景。
それで、銀座のバーのホステスで、チーママ的存在で、小学生(10歳)の男の子を抱えるシングルマザーで、“そろそろ何とかしないと”、と、思いつつ、中年に差し掛かり、それなりに焦りと不安を抱えるヒロイン。
それで、ヒロインを演じる“田中絹代”ですが、1909年11月の生まれですから、撮影時はほぼ42歳。作品の中で“40を過ぎると・・・”の台詞から役柄と実年齢はほぼ同じ。
現在と当時では、40歳前半の、世間的受け止め方は、かなり、かなり、異なると思います。現在よりも、かなり、かなり、老け込んでオバサンの領域に相当脚を踏み入れたお年頃?
ですから“そろそろ何とか”も、かなり、かなり、“切迫的そろそろ何とか!”なのだ、と、そう思うのです。
画面に映る田中絹代は、いまの42歳と比較すると、ほぼ10歳は老け込んで見えるのです。女優の42歳で“アレ”ですから、フツウの42歳はかなりなものだったのです。
それで、双子ちゃんのママですが、ヒロインほぼ同じお年頃ですが、とても、とても、そうは見えないのです。
はい、それでは、超可愛い!双子ちゃんのツーショットです。
もう、こんなに大きくなりました。いまでは伝わり歩きができるようになりました。来月には遊びに来るのです。
はい、きょうは成瀬巳喜男『銀座化粧』のおはなし、これでお終い。ほんのさわりだけで、失礼しました。
と、云うことで、次回も銀座化粧のお話です。
それでは、また、次回をよろしく。
去年の暮れ、双子ちゃんのパパから借りて、暫くそのままにしてあったのです。久しぶりの映画鑑賞でした。
先ずは、冒頭から、それなりに引き込まれるストーリー展開、そして、そして、何よりも、白黒の画面に映し出される1950年代の東京の風景の懐かしさです。
1951年4月公開、私が生まれたのは1950年1月ですから、1歳3ヶ月の時の作品となります。
1951年の風景は、私がものごころが付いた頃の風景と、それほど違いはないと思うのです。それでも、作品の舞台は東京の“ど真ん中”『銀座』で、私が住んでいたのは東京の“ど外れ”の板橋区。
それでも、まあ、銀座とは云っても、終戦直後で表通りから一本路地を入れば、もうそこは“ど外れ”と大して変わらない風景。
それで、銀座のバーのホステスで、チーママ的存在で、小学生(10歳)の男の子を抱えるシングルマザーで、“そろそろ何とかしないと”、と、思いつつ、中年に差し掛かり、それなりに焦りと不安を抱えるヒロイン。
それで、ヒロインを演じる“田中絹代”ですが、1909年11月の生まれですから、撮影時はほぼ42歳。作品の中で“40を過ぎると・・・”の台詞から役柄と実年齢はほぼ同じ。
現在と当時では、40歳前半の、世間的受け止め方は、かなり、かなり、異なると思います。現在よりも、かなり、かなり、老け込んでオバサンの領域に相当脚を踏み入れたお年頃?
ですから“そろそろ何とか”も、かなり、かなり、“切迫的そろそろ何とか!”なのだ、と、そう思うのです。
画面に映る田中絹代は、いまの42歳と比較すると、ほぼ10歳は老け込んで見えるのです。女優の42歳で“アレ”ですから、フツウの42歳はかなりなものだったのです。
それで、双子ちゃんのママですが、ヒロインほぼ同じお年頃ですが、とても、とても、そうは見えないのです。
はい、それでは、超可愛い!双子ちゃんのツーショットです。
もう、こんなに大きくなりました。いまでは伝わり歩きができるようになりました。来月には遊びに来るのです。
はい、きょうは成瀬巳喜男『銀座化粧』のおはなし、これでお終い。ほんのさわりだけで、失礼しました。
と、云うことで、次回も銀座化粧のお話です。
それでは、また、次回をよろしく。